原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“権力 VS 権力” 思想の根底には…

2010年01月23日 | 時事論評
 今回の記事は、本ブログ「原左都子エッセイ集」の2本前の時事論評記事、「親分の言いなりの子分達も同罪」の続編のような形になろうか。

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体の土地購入をめぐる疑惑への、通常国会を直前にしての東京地検特捜部の一連の捜査、 VS 民主党の事実上の独裁者である小沢氏側の党一丸となっての検察に全面対決するべく強気の姿勢。
 この構図を 「権力対決」 「戦い」 と見る世論や報道が横行している現状のようだ。
 
 その代表例が何と驚くべきことに、検察との対決姿勢を前面に出していた小沢氏に対して、民主党トップの鳩山首相自らが「どうぞ戦って下さい!」との力強いエールを贈ったことであろう。 この発言は通常国会においても物議を醸している最中である。 一国の総理にしての突拍子もない発言に対する世論の反発に対して首相は「検察の捜査に介入するつもりの発言ではなく、検察の公正な捜査を信じている」と中途半端な弁明で表面を繕っているようだが…


 マスメディアにおいても「検察VS小沢氏(あるいは民主政権)」の構図について論評する報道が氾濫している。

 例えば朝日新聞1月17日の「検察VS民主政権 どうみる」と題するオピニオン記事の中で、政治学者の御厨貴氏は以下のように述べている。(その一部を要約して引用)
 東京地裁特捜部という強大な権力と時の政権与党との妥協のない戦いが始まった。 今回の特捜部の小沢幹事長への捜査は小沢氏の旧自民党的体質、つまり手段の部分だけに光をあてて政治と社会の変革という目的の部分を意図的に無視しているようにしか思えない。今、小沢一郎という人物を追い詰めることで、検察はこの国をどうしようとしているのか。 一方、小沢氏も党と自らを一体化して検察と全面対決するという愚を犯そうとしている。ビジョンがないという点では検察と同じだ。云々……

 同じ朝日新聞記事より、政治アナリスト伊藤惇夫氏のオピニオンを以下に要約引用しよう。
 小沢一郎氏は細川政権以来一貫して「自民党の崩壊」を狙い今回総選挙に勝った。長年の夢の実現の仕上げを直前に検察が立ちはだかり邪魔しようとしている。小沢氏自身にはそう見えているのだろう。しかも相手は、小沢氏が師とあおいだ田中角栄元首相のロッキード事件以来30年間に渡って緊張関係にある特捜部である。いっそう怒りが高まり、今回の強気の発言につながったのではないか。 鳩山氏の「どうぞ戦って下さい」の発言を受けて小沢氏が断固戦うならば、あれ、民主党は国民の生活が第一ではなかったのか、これでは権力の二重構造どころか、小沢氏への「一極集中」ではないのか、と思われて仕方ない。総選挙で民主党に投票した人たちは、これでは自民党と変わらないと思うであろう。かと言って、自民党への揺り戻しがあるとも思えず、国民の「政治不信」を飛び越えて「政治への絶望」しか残らなくなることを懸念する。


 それでは私論に入ろう。

 今回の事件に関してその政治権力的な歴史的背景にまで遡った場合、元々政治無関心派の原左都子には私論を述べられる力量など毛頭ない。 それは重々認めた上で、今回の東京地検特捜部による小沢氏周辺捜査を “権力 VS 権力” 闘争とみる世論自体に対して、大いなる“違和感”と一種の“嫌悪感”すら抱いてしまう私である。
 大変失礼な表現をすれば、小沢氏の今回の疑惑にかこつけて“争い”や“戦い”を志向するちょっとばかり政治通を自負する連中がこの政治の混乱を利用して、そこに自分の欲求不満をぶつけつつ我こそは“正義の味方”と演技して面白おかしく騒ぎ立てているとしか受け取れない一面もある。  やれ、官僚の頂点にある特捜部が今こそチャンスだと小沢を叩き潰しにかかっただの、いや、小沢は民主党を引き連れて今こそ官僚を叩き潰すべきだ、等々と…
 ちょっと待ってくれよ。 政治家にしても官僚にしても、そもそもその職務の相互の位置付けは“対立”ではなく“職制分担”にあるのではないのか??  元々は政治家に力量がないが故に官僚に頼り切った歴史があるとしても、そろそろ官僚の上位にあるべく政治家が、官僚を潰すという手段で官僚よりも上位を死守しようなどとの“せせこましい発想”ではなく、自分自身が真の力を付けた上で選挙戦に立候補したらどうかと言いたくもなる。  政治家志向の輩がその能力もないのに「投票」という容易い手段で“世襲”や“縁故”で国民から選ばれる事に甘んじて、多額の歳費特権をいつまでも“搾取”し続けている背景があるからこそ、こういう金権政治がいつまでも蔓延り続けるのではないのか??

 本ブログの前々回の記事のコメント欄でも少し述べさせていただいているが、新政権が提言する “「官僚主導」から「政治主導」へ” のポリシー自体に関しては、元々民主党を支持していないこの私とて新政権のその理想論を否定する訳では決してなく、せっかく政権交代したのだからそれを実現するべく新政権は最大限努力するべきであろうと志向している。
 ところがその新政権の実態とは、小沢氏の独裁に“お飾り総理”をはじめ子分議員連中が迎合している有り様が、今回の事件により今まで以上に国民に対して浮き彫りにされた形だ。  民主党の実質的親分である小沢氏を崇拝する国民は昔から多いようだが、子分議員達が親分に楯突けない、そのような民主主義とは相容れるはずもない“異様な独裁政権”が目指している「政治主導」に操られる国家に、明るい未来が訪れるとは私には到底思えないのだ。
 
 今までの国政における長い歴史の歪み切った「官僚主導」を排除して「政治主導」を実現するには、政治家には大いなる政治手腕とリーダーシップ力が要求されるはずだ。
 そうであるはずなのに、その実態と言えば上記のごとく政権交代した政党の実質的親分がその党内で事実上の「独裁制」を敷き“お飾り首相”を前面に立て裏で操り、党員には有無を言わさないハーレムを形成する。 しかも金権政治も過去の政権同様に大手を振って続行となれば、この新政権の存在意義は一体何処にあるのか…。
 上記朝日新聞でオピニオンを記している政治アナリストの伊藤氏がおっしゃるように、こうなると国民には「政治への絶望」しか残らないというのが実情であろう。


 小沢氏は東京地検特捜部の任意聴取に応じた模様のようだ。
 小沢幹事長、貴方がどれ程偉大な政治家であられるのか私は失礼ながら未だに存じ上げていないのだが、過去に犯した過ちは一人間として是非共償われた上で、民主党内の独裁体制を緩和しつつご自身なりの政治家としての理想を貫かれるよう、一国民として期待申し上げたいものである… 
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