原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

五感でコミュニケーションすることの意義

2010年01月04日 | 人間関係
 昨日、我が嫁ぎ先一族の新年会に出席した。
 一族とは言えども義父母と義姉一家、そして我が家の総勢8名(一昨年に義父が他界して以降は7名)での会合である。
 とかく嫁の立場としては、嫁ぎ先一族との付き合いなど出来れば避けて通りたいものであろう。 ところが我が一族の場合、都会的現代的にソフィスティケイトした思考の持ち主であられ尚且つリーダーシップ力のある義母が、親戚付き合いを最大限簡素化するべく一族を統制し、嫁の立場の私の負担を大幅に軽減してくれているのだ。
 その義母の配慮のお陰で普段会う機会がほとんどない我が嫁ぎ先一族であるが、年に一度のみ義母の主催による新年会で一族と顔を合わせて今年で十数回目となる。
 (当ブログでも何度か公表済だが)結婚以来、義父母に厚遇され続けている私の新年会での役割は、毎年“飲み食い”に励む事、それのみである。 今年はフグ料理処でフグ三昧の新年会だったのだが、フグのお造りはもちろんのこと、てっちり鍋にフグ白子の天ぷら、から揚げにフグ鍋雑炊……  それからフグヒレ酒にビール、冷酒、焼酎と、お酒をこよなく愛していた義父亡き後を継いで、今では一族で一番大酒飲みの私である。  (これが許容される恵まれた立場の私なのです…)

 この義母の粋な計らいによる新年会は、一族の親睦上大きく功を奏していると私は捉えるのだ。 義母とは日頃交流がある一方で、普段会う機会のない義姉一家と鍋を囲んで談話することによりコミュニケーションの一時を共有でき、一族の中においては赤の他人の嫁である私の立場なりに親族の一員として受け入れられている実感が得られるのである。
(いやいや、そう思っているのは実は私のみで、「あの嫁には酒と美味しいものさえ与えておけばご機嫌だから、扱い易いよね~」と一族皆が陰でほくそ笑んでいるのかもしれない… 


 話が変わって、昨日(1月3日)の朝日新聞オピニオンページの“2010年 どんな時代に”と題する欄に、写真家・作家の藤原新也氏が「ネットが世界を縛る」とのオピニオン記事を綴られていた。
 この藤原氏のオピニオンが、 “ネット上の付き合いよりも人間生身同士での五感のコミュニケーションを尊重したい”と当ブログのバックナンバーにおいて再三主張し続けてきている私の見解と一部一致するのだ。
 そこで藤原氏の上記の記事を(私なりに多少アレンジしつつ)以下に要約して紹介しよう。

 2010年のコミュニケーションの姿を考える手がかりに、この10年間のコミュニケーションはどうだったのか思い巡らせてみた。
 SMAPの草薙事件は「いい人キャラクター」を演じ続け押し潰された結果と考察するが、この草薙型の「いい人への過剰反応」は若い世代のみならず大人の世界でも蔓延しているように見受けられる。今やタレントのみならず、一般人、企業やマスメディア、政治までもがその“好感度”という尺度で査定される時代である。 その目に見えない風圧に晒され、いい人を演じて波風の立たない人間関係を作ることに個々人が腐心する。そこには、相手の言葉や行為を正面から受け止め、たとえ軋轢が生じても自らの思いや考えを投げ返すという本当の意味でのコミュニケーションが希薄だ。
 そんな時代の空気を作り出したのはネットの影響も大きい。 ネットほど便利なものはないが、負の部分はそれが思わぬ監視機構として機能してしまうことであろう。
 今は誰でもブログを書く時代だが、それは個人情報を公の下に曝すということでもある。この私(藤原氏)のような弱小ブロガーにさえもアフガン戦争について否定的なことを書いたときに米国の国防総省からアクセスがあった程である。ネット社会における監視の目は交友関係のみならず世界規模に張り巡らされ、同調圧力の風圧が強まる中、今後のコミュニケーションはどうなるのか。
 ネット社会が臨界に達した時に、ゆり戻しが来るのではないかと期待している。そして既にその兆候がかすかに見えている面もある。 例えば米国の人気歌手マドンナが人と直接対面するライブイベントに活動をシフトしている。それはネットのダウンロード等でCDが圧倒的に売れなくなった等の理由によるものであるが、皮肉にもネットの臨界現象が“身体性”を復活させている。
 子どもや若年層が「ツイッター」による究極の相互監視システム故の辛酸をなめた結果その参入から退き始めているのと入れ替わるように、おじさん、おばさん達が嬉々としてそれにはまろうとしている光景は、ネット相互監視のダメージの経験のない世代の平和な光景にも見える。
 (以上、朝日新聞1月3日記事より藤原新也氏のオピニオンを原左都子が一部アレンジして引用)


 上記の藤原氏のオピニオンは、(私が以前より主張し続けているごとく)“ネットよりも生身の人間との五感でのコミュニケーションを大事に” との今回の記事のテーマからは若干趣旨がずれるものの、ネット上のバーチャル人間関係の怖さの究極は、藤原氏が主張される通り「相互監視システム」という個人(公人)対 個人(公人)の襲撃にまで及んでいる実態にあるとの見解に、私も同様の懸念を抱くのである。 
 今や国民2000万人が公開しているといわれるブログと言う“個人的日記”、ましてや、(私は未だ経験がないが)ツイッターとやらのネット上の交信システムを高齢者をも含めて国民誰しもがいとも容易く利用できる時代の裏側には、若年層を自殺に追い込んだり殺人事件が起こる程の「相互監視システム」という悲惨な現実が存在することも事実である。


 それでも確かに、この私とて我がブログに言語による反応を頂戴することは大変ありがたい。
 ただネットの世界とは、あくまでも「言語・言論」(画像・影像も含まれるが)という人間の五感の中のごくごく一部分でのコミュニケーション手段による付き合いの域を超えていないことを、いい大人が今一度再認識するべきであろう。 ネット上の付き合いとは決して全人格的付き合いではないことを送受信側双方がわきまえた上で、互いに礼儀を尽くしつつスマートに渡っていくべき人間関係であると私は考察する。

 やはり本来の人間関係の醍醐味とは、生身の五感でコミュニケーションして通じ合い親睦を深めていくことにあろう。
           
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