(写真は、「コニカミノルタプラネタリウム満天」のチラシより転写)
報道によると、冬の星座の王者であるオリオン座の一等星「ベテルギウス」で超新星爆発へ向かうと見られる兆候が観測されているとのことである。
この15年でベテルギウスの大きさが15%減ったという報告もあり、専門家は「爆発は数万年後かもしれないが、明日でもおかしくない」と話しているらしい。
もし爆発すれば満月ほどの明るさになり昼でも見えるようになるそうだ。
冬の大三角の一つでもあるベテルギウスは赤色超巨星であり、直径は太陽の一千倍。 重いため一生は短く既に寿命は近い。 最後は超新星爆発を起こしブラックホールなどになるとされる。
昨年米欧の研究者が3本の論文を発表し、ベテルギウスが大量のガスを放出していることや大きさの急減が示された。 ガスの放出によって星の表面が梅干のようにでこぼこに膨らんでいるらしい 。ある研究員は「爆発がいつかはわからないが、死の直前を見ているのは間違いない。 今まで想像するしかなかった星表面の様子も実際に見て確かめられるようになってきた」と話しているそうだ。
(以上、朝日新聞1月10日一面記事より抜粋)
話が変わるが、1月11日の成人の日に我が子と共に東京池袋サンシャインシティの中にある「古代オリエント美術館」(エジプト展開催中)と、そして上記写真の「プラネタリウム満天」を訪れた。
私がプラネタリウムファンであることは既に当ブログのバックナンバーでも公開済であるが、あれは私にとってはまたとはない“癒しの空間”である。 あのリクライニングシートに身を委ねて、巨大な天空のスクリーンを眺める1時間を堪能するために時々出かけるのがこの「満天」である。 今回は連休中でもあり満席だったのが少々窮屈だったのだが…。
今回私が観賞したのは「STARS(ディスカバリー・ザ・宇宙)」と題するCG番組だった。 これが、終演後に“ブラボー!!”と叫びたくなるような、なかなかの傑作だったのだ。
憶えている範囲でその内容を少し紹介してみよう。
「プラネタリウム満天」の場合、番組上演に先立ちまず今の季節の星空紹介がある。 冬の星座の代表格は冒頭に記した通り“オリオン座”なのだが、ギリシャ神話に登場する猟師である“オリオン座”のオリオンと、その周辺の“大犬座”“子犬座”そしてオリオンの狩猟の相手である“牡牛座”等の冬の星座が紹介された。
今時のプラネタリウムCG番組は、その名の通りCG技術を駆使して大スペクタクル影像が展開されるため迫力満点であることは、当ブログのバックナンバー記事でも記述済である。 もしもお台場のジョイポリスへ行かれた方がいらっしゃるならばご存知であろうが、ジョイポリスの場合も各アトラクション共にCG画面が駆使されて大迫力の世界なのであるが、欠点は時間が5分程度と短いことにあろうか。これが「満天」のCG影像の場合、約40分間大スペクタクル画面が楽しめるのだ。
そんな子どもじみた“目くらませ”に喜んでいるだけでも十分楽しく身体が癒されるのだが、毎回頷かされるのはその番組構成の見事さである。
今回の「STARS」のテーマは“ディスカバリー・ザ・宇宙”とのことで、星の誕生から死滅までを辿ることにより宇宙の歴史の一部を分かり易く垣間見せてもらえた。
と同時に、宇宙に浮かぶ星の一つである地球にも話が及ぶのである。 冬の星座で紹介された猟師のオリオンと大犬が可愛らしくもアニメで登場して、地球上の天空とのかかわりの太古からの歴史を小さい子どもにも分かり易く再現しているのだ。
古代エジプト文明から始まって、古代ギリシャにおける哲学、数学の発展により物事の概念化、数量化が可能になった話、後のガリレオ・ガリレイの登場による宇宙論における「天動説」から「地動説」への歴史的転換、その後のニュートン力学の功績からアインシュタインの相対性理論への移り変わり…。
アインシュタインの登場以降、目覚ましく発展を遂げる宇宙論をはじめとする科学の歴史を面白おかしく迫力満点の大画面で綴っているのがこのプラネタリウムCG番組「STARS」であった。
我が子が誕生の際に私が贈った命名は古代ギリシャ哲学から引用している。 そして我が子が生まれて最初の海外旅行の行き先は、その命名の由来地であるギリシャと世界文明の曙の地でもあるエジプト以外にあり得ないと志向し、その地に誘おうと考えそれを実行した親の私である。
猛暑の時期での訪問だったが故に、現地で激しい下痢を起こして高熱を出し苦しんだ我が子であるが、そんな辛い思い出があるからこそ印象深い海外旅行であった様子でもある。
我が家の事情はともかく、今回紹介した「満天」のプラネタリウム番組「STARS」は、特に小中学生程度の小さい子どもさんのおられるご家庭には、子どもさんが宇宙の神秘や地球の科学的歴史に楽しんで触れられるまたとない機会ではなかろうかと推奨する。
(いつもながら決して原左都子はコニカミノルタの回し者ではございませんで、自らの意思で本記事を綴っております。)
報道によると、冬の星座の王者であるオリオン座の一等星「ベテルギウス」で超新星爆発へ向かうと見られる兆候が観測されているとのことである。
この15年でベテルギウスの大きさが15%減ったという報告もあり、専門家は「爆発は数万年後かもしれないが、明日でもおかしくない」と話しているらしい。
もし爆発すれば満月ほどの明るさになり昼でも見えるようになるそうだ。
冬の大三角の一つでもあるベテルギウスは赤色超巨星であり、直径は太陽の一千倍。 重いため一生は短く既に寿命は近い。 最後は超新星爆発を起こしブラックホールなどになるとされる。
昨年米欧の研究者が3本の論文を発表し、ベテルギウスが大量のガスを放出していることや大きさの急減が示された。 ガスの放出によって星の表面が梅干のようにでこぼこに膨らんでいるらしい 。ある研究員は「爆発がいつかはわからないが、死の直前を見ているのは間違いない。 今まで想像するしかなかった星表面の様子も実際に見て確かめられるようになってきた」と話しているそうだ。
(以上、朝日新聞1月10日一面記事より抜粋)
話が変わるが、1月11日の成人の日に我が子と共に東京池袋サンシャインシティの中にある「古代オリエント美術館」(エジプト展開催中)と、そして上記写真の「プラネタリウム満天」を訪れた。
私がプラネタリウムファンであることは既に当ブログのバックナンバーでも公開済であるが、あれは私にとってはまたとはない“癒しの空間”である。 あのリクライニングシートに身を委ねて、巨大な天空のスクリーンを眺める1時間を堪能するために時々出かけるのがこの「満天」である。 今回は連休中でもあり満席だったのが少々窮屈だったのだが…。
今回私が観賞したのは「STARS(ディスカバリー・ザ・宇宙)」と題するCG番組だった。 これが、終演後に“ブラボー!!”と叫びたくなるような、なかなかの傑作だったのだ。
憶えている範囲でその内容を少し紹介してみよう。
「プラネタリウム満天」の場合、番組上演に先立ちまず今の季節の星空紹介がある。 冬の星座の代表格は冒頭に記した通り“オリオン座”なのだが、ギリシャ神話に登場する猟師である“オリオン座”のオリオンと、その周辺の“大犬座”“子犬座”そしてオリオンの狩猟の相手である“牡牛座”等の冬の星座が紹介された。
今時のプラネタリウムCG番組は、その名の通りCG技術を駆使して大スペクタクル影像が展開されるため迫力満点であることは、当ブログのバックナンバー記事でも記述済である。 もしもお台場のジョイポリスへ行かれた方がいらっしゃるならばご存知であろうが、ジョイポリスの場合も各アトラクション共にCG画面が駆使されて大迫力の世界なのであるが、欠点は時間が5分程度と短いことにあろうか。これが「満天」のCG影像の場合、約40分間大スペクタクル画面が楽しめるのだ。
そんな子どもじみた“目くらませ”に喜んでいるだけでも十分楽しく身体が癒されるのだが、毎回頷かされるのはその番組構成の見事さである。
今回の「STARS」のテーマは“ディスカバリー・ザ・宇宙”とのことで、星の誕生から死滅までを辿ることにより宇宙の歴史の一部を分かり易く垣間見せてもらえた。
と同時に、宇宙に浮かぶ星の一つである地球にも話が及ぶのである。 冬の星座で紹介された猟師のオリオンと大犬が可愛らしくもアニメで登場して、地球上の天空とのかかわりの太古からの歴史を小さい子どもにも分かり易く再現しているのだ。
古代エジプト文明から始まって、古代ギリシャにおける哲学、数学の発展により物事の概念化、数量化が可能になった話、後のガリレオ・ガリレイの登場による宇宙論における「天動説」から「地動説」への歴史的転換、その後のニュートン力学の功績からアインシュタインの相対性理論への移り変わり…。
アインシュタインの登場以降、目覚ましく発展を遂げる宇宙論をはじめとする科学の歴史を面白おかしく迫力満点の大画面で綴っているのがこのプラネタリウムCG番組「STARS」であった。
我が子が誕生の際に私が贈った命名は古代ギリシャ哲学から引用している。 そして我が子が生まれて最初の海外旅行の行き先は、その命名の由来地であるギリシャと世界文明の曙の地でもあるエジプト以外にあり得ないと志向し、その地に誘おうと考えそれを実行した親の私である。
猛暑の時期での訪問だったが故に、現地で激しい下痢を起こして高熱を出し苦しんだ我が子であるが、そんな辛い思い出があるからこそ印象深い海外旅行であった様子でもある。
我が家の事情はともかく、今回紹介した「満天」のプラネタリウム番組「STARS」は、特に小中学生程度の小さい子どもさんのおられるご家庭には、子どもさんが宇宙の神秘や地球の科学的歴史に楽しんで触れられるまたとない機会ではなかろうかと推奨する。
(いつもながら決して原左都子はコニカミノルタの回し者ではございませんで、自らの意思で本記事を綴っております。)