原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

美の巨匠ゴッホ 没後120年の輝き

2010年10月12日 | 芸術
 (写真は、現在国立新美術館に於いて開催中の「ゴッホ展」のチラシ 及びゴッホ作“ゴーギャンの椅子”(左)、“アルルの寝室”(右)の絵葉書)


 ゴッホと言えば、小学生の頃図工の教科書で見た(上記写真のごとくの)厳しい表情の自画像や、自分で耳を切り落とした奇行エピソード、そして自殺(他殺説も存在するが)により37歳の若さでこの世を去るに至った短い生涯等々、“暗い”イメージが先行してしまい“食わず嫌い”の原左都子であった。

 今から30年程前の1982年に、安田火災海上が当時のレート価額で58億円を投じゴッホ作「ひまわり」を購入して巷の話題となったことは、おそらく皆さんもご記憶であろう。
 その頃、安田海上取締役の奥方と知り合いであった私は、その奥方に誘われるままにゴッホにあまり趣味がないにもかかわらず、単なる野次馬根性で58億円の「ひまわり」を安田海上東郷青児美術館(現 損保ジャパン東郷青児美術館)へ見学に行ったのである。
 作品保存のためと察したが薄暗い室内に展示されていた「ひまわり」は、私が知る盛夏に咲くひまわりとはまったく別物の“どす黒い黄色”とでも表現できかねない活気のない花が花瓶にいけられている絵だったのである。  (これが58億円ねえ~。 芸術の価値など凡人庶民の私には所詮一生分からず終いなのだろうなあ…)と内心思いつつ、その後引き続き取締役ご夫人のランチに同行したものである。


 さて、話を国立新美術館で現在開催中の「ゴッホ展」に移そう。

 今回の「ゴッホ展」は “こうして私はゴッホになった” とのテーマを掲げ、ゴッホの芸術との出会いから死の直前に至るまでの作品を一堂に展示したものであった。
 展示作品の多くは、ゴッホの世界的コレクションを有するゴッホの生誕地であるオランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館の協力の下に結集しつつ、ゴッホがその作風に影響を受けた巨匠の作品も交えて公開された「ゴッホ展」だった。

 これを芸術家志望の我が娘に鑑賞させない訳には行かないと志した私は、先だっての体育の日(10月11日)に娘と共に国立新美術館へ出向いたのである。

 さすがに大混雑の会場であった。
 ゴッホの絵画の観賞と言うよりも、人の頭また頭を観賞して来たとも言える程の混雑だったのだが、それでも国立新美術館は会場が広いのに助けられた思いである。 長身の私は(子どもや低身長の鑑賞者に遠慮して)混雑の後方からの観賞とならざるを得なかったのだが、それでも結構ゴッホ作品の色彩や絵画の全体構成は見て取れた。)

 その中で今回原左都子が一番気に入ったゴッホ作品は、冒頭の写真の左側「ゴーギャンの椅子」である。 絵葉書写真ではまったくゴッホの描写が再現されていないが、この作品の色使いに大いにインパクトを受けた私なのだ。
 恥ずかしながら、私はゴッホとゴーギャン(原左都子は少し前に「ゴーギャン展」にも足を運んでいることに関してはバックナンバー “我々はどこから、そしてどこへ” において既述している。)が、南フランスアルルにおいて一時期共同生活をしていたことすら認識していなかった。 この2人が後世に名を刻む美の巨匠として、たった2ヶ月間であれ影響力を与え合った歴史とは凄まじいものであろう。
 参考のため、冒頭の写真の右「アルルの寝室」は当時ゴッホが住んでいた部屋であり、その隣にゴーギャンの部屋があったとのことである。 そして、左は言わずと知れたゴーギャンが愛用していた椅子をゴッホが描いたものである。

 ところがこの2人どうしたことか、わずか2ヶ月にして不和となる運命にあるらしい。
 ゴッホ伝記によると、どうやらゴッホの自画像を見たゴーギャンから「自画像の耳の形がおかしい」と言われたゴッホが自分の左の耳朶を切り取ったということなのだ。しかもゴッホは切り取った耳朶を女友達に送りつけるという奇行をするなどして、精神科病院に入院するに至ったとのことである。
 その後1890年にフランスパリ郊外で狩猟の弾を受け、ゴッホは2日後に37歳の若さにして死に至っている。(死因に関しては上記の通り自殺説、他殺説が今尚行き交っているようだが。)
  


 今回、原左都子は遅ればせながらも初めてゴッホという美の巨匠の“業”に触れられた気がするのだ。
 ゴッホという画家に対して私がこの展覧会において抱いた印象とは、芸術に一歩踏み込んだ若かりし当初より努力家であり勤勉であり、自分が志す方向を地道に見据えつつモチーフ、色彩等の基礎力を修得しながら、先人の作風も大いに参考にしつつ着実に精進してきた芸術家であるような気がする。  ただ残念ながら、芸術家には珍しいことではないのだろうが、今で言う“鬱病的気質”も天分として備えていたのであろうか??

 その辺の精神的事情故に、一面において悲壮感漂う画家とのイメージが否めないのかもしれない。
 ただ、ゴッホが描いた絵画の中には素晴らしい色彩構成力や、没後120年の今の時代に尚訴えるべく輝ける生命力は十分にあると、今さらながら実感する私である。

 ゴッホの名前が今尚世界の名立たる美の巨匠として響き渡っているのは、その辺の人物像が醸し出す絵画の類稀な存在観故なのであろう。
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