本日の「原左都子エッセイ集」においては当初、時事論評カテゴリー関連の記事を綴る予定だったのだが、どうも今日の原左都子は疲労感、脱力感に苛まれ頭がクリアに働かない。
この魂が抜けたような心身状態の原因は、昨日より24時間に渡り受けたホルター心電図検査のため体が“ロボット状態”を余儀なくされていたからに他ならないと推測する。
そこで本日は予定を変更して、働かない頭で思い出せるレベルの内容の「ホルター心電図24時間体験記」を記述することとしよう。
(ホルター心電図検査に関する医学専門的な情報に関しましては、他の文献やサイトをご参照下さいますように。)
いえ、決してホルター検査自体が体に悪影響を及ぼす訳ではない。
日々目覚ましい技術革新を遂げている現代医学医療機器の世界における例外ではなく、今時のホルター検査装置とは至って小型化されていて、さほどの装着感がないといっても過言ではない。
私の場合上半身に電極を4箇所貼り付けたのだが、この電極自体厚みがほとんどなく、いわばサロンパスを貼り付けている感覚である。(もちろん、スースーしませんよ) そしてそれら電極を細いコードで繋ぎ合わせ各電極からのデータを受け取り処理する記録装置は、なんと携帯電話の3分の1程度の小ささである!
それらの装置が体から24時間剥がれないよう頑丈に接着生地で覆うのだが、この生地の接着力が強靭でよほど激しく動いても電極が取れる心配はないようだ。 その代わり痒みや皮膚の発赤反応が出ることはあるとの説明であったため、「痒くなったら電極の上からボリボリ掻いていいですか?」などと私は天然質の質問をしたのだが、看護師氏(検査技師氏?)答えて曰く、「いいですよ~~」
(装置を貼り付けた上半身の写真を撮って披露すると全体像が分かり易いのは承知だけど、2、30年前のボディならともかく、まさかねえ…)
携帯の3分の1程度の小ささの記録装置は、一番下の胃の辺りに貼られた電極部分からのコードと首から紐でぶら下げる恰好となるのだが、医院を出て歩き始めてみて感じたのは、その重みが胃に及ぼす圧迫感と首紐をぶらさげていることによる肩の負担である。 いくら小型装置とは言えども、普段慣れているネックレスよりも断然重いのを実感である。
医院より自宅へ帰るなり、胃の圧迫感と肩の負担を軽減するべく自分でバンドエイドを取り出してあれこれコードを装着し直してみたり(思い切りのよい原左都子とて、決して電極自体をむしり取るようなことはしませんよ~)、首紐の長さを調整してみたりの試行錯誤を繰り返したのであるが、どう工夫しても違和感が拭い去れないのだ。 普段、慣れないものを体に貼り付けられることの不条理を大いに実感である。
医院の先生らは普通に暮らしていいと言うけれど、この電極で繋がれた“ロボット状態”じゃ相当の図太い神経の持ち主かよほど悟りを開いた人物でもない限り必然的に心拍数も上がるだろうし不整脈も出るよなあ、などと思いつつも、 忘れてならないのはホルター検査のもう一つの宿題の「24時間の行動記録」である。
体に貼り付けられた電極が示す心臓からのデータと患者の24時間の行動記録を照らし合わせる事にこそ、ホルター検査の本髄、存在意義があるのだ。
物事を観察記録することを我が“天性の業”とする人生を歩んでいるとも言える原左都子の特性として、この種の行動記録用紙を与えられるととことん記述したい気分になるものである。 ところが今現在の社会は個人情報保護の制限があるが故に、たとえ医療と言えども医療提供側から患者に対してその詳細の記録を望むべくもない。 加えて自らの健康維持をこれ程までに医療機関に依存する国民が多い現状において、数をこなさねばならない医療データ解析者の負担を考慮した場合、ある程度の行動記録があれば十分とのことなのでもあろう。
それにしても、自分の行動を一枚の記録用紙に端的に表現することとは難しいものであることを実感させられる思いである。
殊に私の場合元医学関係者であるため、この辺の情報をホルター解析者に提供してあげたら有用なのだろうか?、などとの余計な配慮心も働いてしまうのだ。
まあ、その種の特殊な背景も心臓に多少負担がかかる要因でもあり得ることを勘案しつつ、本日原左都子なりの記録用紙を医院に提出するに至ったのではあるが…。
昨日医院受診時に、ホルター検査に先立って先週行った外注諸検査の結果も合わせて聞いてきた元医学関係者の原左都子の総合診断結果によると、来週結果が出る今回のホルター検査も 「異常なし」 であることでしょう!
えっ?、そんな勝手な思い込みのある奴ほど後で痛い目に遭う、ですって???
この魂が抜けたような心身状態の原因は、昨日より24時間に渡り受けたホルター心電図検査のため体が“ロボット状態”を余儀なくされていたからに他ならないと推測する。
そこで本日は予定を変更して、働かない頭で思い出せるレベルの内容の「ホルター心電図24時間体験記」を記述することとしよう。
(ホルター心電図検査に関する医学専門的な情報に関しましては、他の文献やサイトをご参照下さいますように。)
いえ、決してホルター検査自体が体に悪影響を及ぼす訳ではない。
日々目覚ましい技術革新を遂げている現代医学医療機器の世界における例外ではなく、今時のホルター検査装置とは至って小型化されていて、さほどの装着感がないといっても過言ではない。
私の場合上半身に電極を4箇所貼り付けたのだが、この電極自体厚みがほとんどなく、いわばサロンパスを貼り付けている感覚である。(もちろん、スースーしませんよ) そしてそれら電極を細いコードで繋ぎ合わせ各電極からのデータを受け取り処理する記録装置は、なんと携帯電話の3分の1程度の小ささである!
それらの装置が体から24時間剥がれないよう頑丈に接着生地で覆うのだが、この生地の接着力が強靭でよほど激しく動いても電極が取れる心配はないようだ。 その代わり痒みや皮膚の発赤反応が出ることはあるとの説明であったため、「痒くなったら電極の上からボリボリ掻いていいですか?」などと私は天然質の質問をしたのだが、看護師氏(検査技師氏?)答えて曰く、「いいですよ~~」
(装置を貼り付けた上半身の写真を撮って披露すると全体像が分かり易いのは承知だけど、2、30年前のボディならともかく、まさかねえ…)
携帯の3分の1程度の小ささの記録装置は、一番下の胃の辺りに貼られた電極部分からのコードと首から紐でぶら下げる恰好となるのだが、医院を出て歩き始めてみて感じたのは、その重みが胃に及ぼす圧迫感と首紐をぶらさげていることによる肩の負担である。 いくら小型装置とは言えども、普段慣れているネックレスよりも断然重いのを実感である。
医院より自宅へ帰るなり、胃の圧迫感と肩の負担を軽減するべく自分でバンドエイドを取り出してあれこれコードを装着し直してみたり(思い切りのよい原左都子とて、決して電極自体をむしり取るようなことはしませんよ~)、首紐の長さを調整してみたりの試行錯誤を繰り返したのであるが、どう工夫しても違和感が拭い去れないのだ。 普段、慣れないものを体に貼り付けられることの不条理を大いに実感である。
医院の先生らは普通に暮らしていいと言うけれど、この電極で繋がれた“ロボット状態”じゃ相当の図太い神経の持ち主かよほど悟りを開いた人物でもない限り必然的に心拍数も上がるだろうし不整脈も出るよなあ、などと思いつつも、 忘れてならないのはホルター検査のもう一つの宿題の「24時間の行動記録」である。
体に貼り付けられた電極が示す心臓からのデータと患者の24時間の行動記録を照らし合わせる事にこそ、ホルター検査の本髄、存在意義があるのだ。
物事を観察記録することを我が“天性の業”とする人生を歩んでいるとも言える原左都子の特性として、この種の行動記録用紙を与えられるととことん記述したい気分になるものである。 ところが今現在の社会は個人情報保護の制限があるが故に、たとえ医療と言えども医療提供側から患者に対してその詳細の記録を望むべくもない。 加えて自らの健康維持をこれ程までに医療機関に依存する国民が多い現状において、数をこなさねばならない医療データ解析者の負担を考慮した場合、ある程度の行動記録があれば十分とのことなのでもあろう。
それにしても、自分の行動を一枚の記録用紙に端的に表現することとは難しいものであることを実感させられる思いである。
殊に私の場合元医学関係者であるため、この辺の情報をホルター解析者に提供してあげたら有用なのだろうか?、などとの余計な配慮心も働いてしまうのだ。
まあ、その種の特殊な背景も心臓に多少負担がかかる要因でもあり得ることを勘案しつつ、本日原左都子なりの記録用紙を医院に提出するに至ったのではあるが…。
昨日医院受診時に、ホルター検査に先立って先週行った外注諸検査の結果も合わせて聞いてきた元医学関係者の原左都子の総合診断結果によると、来週結果が出る今回のホルター検査も 「異常なし」 であることでしょう!
えっ?、そんな勝手な思い込みのある奴ほど後で痛い目に遭う、ですって???