朝日新聞10月20日の天声人語の書き出しは 「あらゆる欲望の中で、一番の長生きは食欲らしい」 であった。
まさに「食」とは生命持続にとって不可欠の根源であり、“食欲”と“長生き”の間には大いなる相関関係があろう。
一方人間の場合、精神面での生命持続の根源とは物事に対する「達成欲」ではなかろうか?
原左都子の場合、この「達成欲」すなわち “達成感を得ようとする欲求” が特別強い人間であるように自己分析している。 達成したいと欲する対象事象の大小にかかわらず、自分が定めた目標レベルに到達することを目指しつつ日々生を営んでいると言っても過言ではない。
例えば、現在の私にとってはこの「原左都子エッセイ集」とてその一つの対象事象である。 一記事一記事に自分なりの“達成目標”があり、その基準(あくまでも自分自身の内面での基準であるが)をクリアするべく執筆に励む日々である。 そのため、自己満足の範囲内ながらも執筆後はいつも達成欲が満たされたことによる爽快感に酔うことが出来るのである。
スポーツジムへ行っても同様である。 今現在の目標はランニング30分なのであるがこれが達成できたらミーハー素人ノリではあるが5kmマラソンにでもチャレンジしてみたく思っている。
もちろん“お抱え家庭教師”として我が子の大学受験対策も決して日々怠ってはいない。
(現在少し滞っているのが「原左都子エッセイ集」へのコメント返答であるかもしれない。 常連読者の方々にはすっかり甘えさせていただきまして申し訳ございません。 必ずやご返答申し上げます…)
ところが、この「達成欲」も度が過ぎると寿命を縮める足かせ要因ともなってしまいそうだ。
実は原左都子が先週受けたホルター24時間心電図検査において、それを懸念する結果が出てしまったのである。
若干の不整脈や心電図の基線の乱れが検出されたものの、これに関しては今すぐ心臓病に直結する程の悪性のものではなく経過観察でよいとの結果であった。
私の場合特異的なのは、“頻脈” である。 ただ、これについても10代前半の頃より何十年に渡って検診において指摘され続けていることであるし、また“頻脈”とは体の異常と言うよりも“緊張状態”など精神的産物の要素が強いため、特段気にするでもなく今に至っている私なのだ。
要するに若い頃から「達成欲」が強かった私は常に物事に集中する時間が長く、いつも自分の心臓に緊張状態を強いる結果となっていると分析できるのである。
そんな私の言い分を聞きつつ、医師の方も私のバックグラウンドを重々認めながらも、「それにしても重労働をしている訳でもないのに、24時間ほとんど休む暇もない程の心臓の頻脈状態は捨て置けない」とのコメントである。
私にとってホルター心電図検査は今回が初体験であり、そのデータを私も医師と一緒に全部見させてもらったのであるが、確かに私の心臓は“寝ても起きても”せっせかせっせか働き過ぎているのだ。 (ちなみに就寝時にも心拍数が多いのは、不眠症気味で夢をよく見るためだと私は説明したのだが…)
そして医師は言う。「もちろんこの頻脈状態はあなたの性格を含めた人格でもあるのでしょう。ですが、いつもいつも心臓にこれ程の負担をかけているとすると、単刀直入に言えば短命になる恐れもあります。 あなたの人格のみではない頻脈の要素がもしもあるならばそれを取り除く事が先決問題でから、一応考えられる検査をしてみましょう。」
あくまでも「この頻脈は私の人格のせいです!」と主張する私を振り切って、医師はとりあえず甲状腺機能検査をするとのことで、やむを得ずそれに付き合うことにした私である。
(その結果は来週出るのだが、元医学関係者の私の診断では私は甲状腺機能亢進症ではないことは明らかとも言えるが… さて?)
まあ、それにしても確かにこの医師がおっしゃる通り、心臓とは一生において脈を打つ回数がある程度定められているものである。 (他の例を挙げると、一生において女性が排卵する卵子の数がある程度定められているようにね。)
もちろん人間の体とは個人差が大きい事は否めないが、その個人差とて“ある程度”の範囲内であることは皆さんも既にご存知の通りである。 未だかつて150歳以上生きた人が世界に記録されていないがごとく……
そうなると、原左都子が長生きするためにはこの医師の指示に従って“頻脈”の原因を突き止められるならばそうした方がいいというとりあえずの結論となるのである。
ただし、私の場合はやはり“達成欲”が強いという人格面で心臓の“頻脈”を煽っていることは明らかである。
もしも今回の甲状腺検査で異常が出ない場合、医師から「もう少しのんびり過ごしましょう」などとアドバイスされるのであろうか???
これはかえって難しい課題だなあ~~。
長年ずっと「達成欲」を頼りに自分を活性化してきている我が身にとって、たとえ心臓がバクバク脈打とうが「少しのんびりしなさい」などとのアドバイスは本心で辛い思いである。 と言うよりも“のんびり”を演ずることにかえってストレスを感じて、さらに頻脈を煽りそうな気がする。
そもそも我が子を自立させた暁の我が寿命は多少短くてもよいと心得ているのだが、その後も生き長らえるのであれば“のんびり”などせずして、是非共今まで通りあくせくと自分なりの“達成感”を享受しつつこの世を堪能したいものである。
まさに「食」とは生命持続にとって不可欠の根源であり、“食欲”と“長生き”の間には大いなる相関関係があろう。
一方人間の場合、精神面での生命持続の根源とは物事に対する「達成欲」ではなかろうか?
原左都子の場合、この「達成欲」すなわち “達成感を得ようとする欲求” が特別強い人間であるように自己分析している。 達成したいと欲する対象事象の大小にかかわらず、自分が定めた目標レベルに到達することを目指しつつ日々生を営んでいると言っても過言ではない。
例えば、現在の私にとってはこの「原左都子エッセイ集」とてその一つの対象事象である。 一記事一記事に自分なりの“達成目標”があり、その基準(あくまでも自分自身の内面での基準であるが)をクリアするべく執筆に励む日々である。 そのため、自己満足の範囲内ながらも執筆後はいつも達成欲が満たされたことによる爽快感に酔うことが出来るのである。
スポーツジムへ行っても同様である。 今現在の目標はランニング30分なのであるがこれが達成できたらミーハー素人ノリではあるが5kmマラソンにでもチャレンジしてみたく思っている。
もちろん“お抱え家庭教師”として我が子の大学受験対策も決して日々怠ってはいない。
(現在少し滞っているのが「原左都子エッセイ集」へのコメント返答であるかもしれない。 常連読者の方々にはすっかり甘えさせていただきまして申し訳ございません。 必ずやご返答申し上げます…)
ところが、この「達成欲」も度が過ぎると寿命を縮める足かせ要因ともなってしまいそうだ。
実は原左都子が先週受けたホルター24時間心電図検査において、それを懸念する結果が出てしまったのである。
若干の不整脈や心電図の基線の乱れが検出されたものの、これに関しては今すぐ心臓病に直結する程の悪性のものではなく経過観察でよいとの結果であった。
私の場合特異的なのは、“頻脈” である。 ただ、これについても10代前半の頃より何十年に渡って検診において指摘され続けていることであるし、また“頻脈”とは体の異常と言うよりも“緊張状態”など精神的産物の要素が強いため、特段気にするでもなく今に至っている私なのだ。
要するに若い頃から「達成欲」が強かった私は常に物事に集中する時間が長く、いつも自分の心臓に緊張状態を強いる結果となっていると分析できるのである。
そんな私の言い分を聞きつつ、医師の方も私のバックグラウンドを重々認めながらも、「それにしても重労働をしている訳でもないのに、24時間ほとんど休む暇もない程の心臓の頻脈状態は捨て置けない」とのコメントである。
私にとってホルター心電図検査は今回が初体験であり、そのデータを私も医師と一緒に全部見させてもらったのであるが、確かに私の心臓は“寝ても起きても”せっせかせっせか働き過ぎているのだ。 (ちなみに就寝時にも心拍数が多いのは、不眠症気味で夢をよく見るためだと私は説明したのだが…)
そして医師は言う。「もちろんこの頻脈状態はあなたの性格を含めた人格でもあるのでしょう。ですが、いつもいつも心臓にこれ程の負担をかけているとすると、単刀直入に言えば短命になる恐れもあります。 あなたの人格のみではない頻脈の要素がもしもあるならばそれを取り除く事が先決問題でから、一応考えられる検査をしてみましょう。」
あくまでも「この頻脈は私の人格のせいです!」と主張する私を振り切って、医師はとりあえず甲状腺機能検査をするとのことで、やむを得ずそれに付き合うことにした私である。
(その結果は来週出るのだが、元医学関係者の私の診断では私は甲状腺機能亢進症ではないことは明らかとも言えるが… さて?)
まあ、それにしても確かにこの医師がおっしゃる通り、心臓とは一生において脈を打つ回数がある程度定められているものである。 (他の例を挙げると、一生において女性が排卵する卵子の数がある程度定められているようにね。)
もちろん人間の体とは個人差が大きい事は否めないが、その個人差とて“ある程度”の範囲内であることは皆さんも既にご存知の通りである。 未だかつて150歳以上生きた人が世界に記録されていないがごとく……
そうなると、原左都子が長生きするためにはこの医師の指示に従って“頻脈”の原因を突き止められるならばそうした方がいいというとりあえずの結論となるのである。
ただし、私の場合はやはり“達成欲”が強いという人格面で心臓の“頻脈”を煽っていることは明らかである。
もしも今回の甲状腺検査で異常が出ない場合、医師から「もう少しのんびり過ごしましょう」などとアドバイスされるのであろうか???
これはかえって難しい課題だなあ~~。
長年ずっと「達成欲」を頼りに自分を活性化してきている我が身にとって、たとえ心臓がバクバク脈打とうが「少しのんびりしなさい」などとのアドバイスは本心で辛い思いである。 と言うよりも“のんびり”を演ずることにかえってストレスを感じて、さらに頻脈を煽りそうな気がする。
そもそも我が子を自立させた暁の我が寿命は多少短くてもよいと心得ているのだが、その後も生き長らえるのであれば“のんびり”などせずして、是非共今まで通りあくせくと自分なりの“達成感”を享受しつつこの世を堪能したいものである。