私のペンネーム 「原左都子」 (はら さとこ) の“左”の字は決して“左利き”から取った訳ではないのだが、私は幼い頃どうやら“左利き”だったようだ。
(参考のため、原左都子の“左”の漢字は「右に倣え」「右向け右」などと他者から指示された場合、“左”を向きたくなる我が“天邪鬼”気質等々を表現したものであります。)
幼き頃の私は、親が私の自由にさせると何をするにも必ずや左手を使っていたらしい。
“箸”に関しては、親がそれを最初から右手に持つよう矯正したとのことだ。 (その矯正によほどの無理があったのか、未だに“箸”を上手に持てず人前で恥を晒している私である。)
クレヨンに関しては、苦い思い出がある。
私自身にはその思い出に関して一部分を覗き明瞭な記憶がなく、後に母より伝達されたエピソードの範囲内なのだが、以下に我が幼き日の失敗談を紹介しよう。
未だ幼稚園へも入園していない幼児(おそらく3歳頃)であった私は、親の知り合いの新築家屋落成記念会合に一家で招待された。 1階で飲み食いしつつ盛り上がる大人達が子供は2階で遊ぶように指示し、私もその子供の一人として2階で遊んでいたようだ。 会合も終焉に近づいた頃、子供達の様子を見ようと2階に上がった新築家屋の奥方が真っ青になって1階に戻り我が母に訴えたそうなのだ!
「お宅の○○ちゃん(私のこと)が、クレヨンで部屋一杯に落書きした!!」と。
それを聞いた母は「うちの○○はおとなしいいい子で、そんな事をするはずはないのだけど…」と弁解しつつ2階に上がって仰天したのだと言う。
なぜならば、新築2階の部屋の壁や床一面に私の氏名がひらがなで多数書き込まれ、左手にクレヨンを持った私がそこに存在したからである。
当時の我が母としては用意した紙に“お絵かき”でもさせるつもりだったのが、幼き私は2階の部屋全体を“キャンバス”と履き違えたようだ。 新しい畳そして白くてまっさらで綺麗な壁に私が書きたかったのは絵ではなく文字であったということである。(当時まっさらな新築家屋の“キャンバス”に感激した記憶は、私にも僅かながら残っている。)
その落書きを見て別の意味で一番驚いたのは我が母であったようだ。 新築家屋の主に平謝りしながら床や壁を拭きつつ、親が知らない間に我が子が既に自分の氏名をひらがなで書けるまでに成長していて、しかもわずが3歳にして左手で書いたその字は実に正確で美しかったのだと言う。
その“事件”をきっかけに今後私が幼稚園へ入園するに先立って、クレヨンを右手に持たせる矯正に乗り出した我が母であるようだ。
(今尚、右手で字が綺麗に書けない私なのだが、やはり当時の無理な矯正がたたっているのであろうか?? その分両手を使うキーボード入力は俄然得意な原左都子であるよ。♪)
それから、今に至って尚顕著なのが“雑巾しぼり”である。
さすがにそこまで矯正の面倒が見切れなかった母であろうが、私の雑巾しぼりは“逆回転”で特異的であるぞ。 へっへっ
その他の事例として私の記憶にあるのは、小学生低学年の頃“かぎ針編み”という編み物に挑戦したことに関してである。
自然体で取り組んだ私は、やはり左手にかぎ針を持っていたのである。 そして器用に私が編む姿を見た母から「よくまあ左手でそんなに上手に編めるね!」と指摘されて初めて、私は左手で編んでいたことに気付いたものだ。(これもその後右手に直したのだけどね…)
それにしても、私は今となっては左手はまったく利き手ではない。 握力も高校生の頃から右手が勝っていて左手の握力など実に乏しいのだ…
「左利き」の人の中には両手が器用に使えるという話も耳にすると、どうして我が親は両手共に器用な人間に育ててくれなかったのかと不満をぶつけたくもなると言うものだ。
(ついでに言うと、原左都子が「右に倣え」とか「右向け右」と指示されて「左」に向きたいのは持って生まれた“左利き”気質とも考察できないだろうか?? それとも社会のシステムに迎合するために“左利き”を無理やり矯正された事の怨念によるものか??? などと推測してみても、それは単なる冗談の範囲内なのだけどね…… )
今回、原左都子が“左利き”関連の記事を綴ったのは、朝日新聞2月5日付別刷「be」のサザエさん漫画関連の記事によるのだ。
その記事においても、今の時代「左利き」とは矯正するべきなのかを主たるテーマとして話を展開していた。 この記事の結論とも言える最後の箇所で大学教授が以下のような論評をしている。
「無理に変えない方がいいが、幼児期に子供が強い嫌悪を示す場合を除いて右利きへの変更を試行してもいいのでは」
この論評は、今の時代の右利き社会に適合するべく子供を育てる観点からはごもっともな指摘であろう。
ただ、原左都子はやはり子供個々が持って生まれた特質に任せて欲しい思いが強い。
なぜならば幼き子供とは言えども千差万別であるからだ。 周囲の指導により“子供が右手への強い嫌悪感を示す”かどうかに関してさえ、大いに子供の個性によるのだ。 私など、幼き頃から周囲への客観性の配慮にばかり焦点を置いていた記憶があるのだが、この種の子供とは我が意に反して親や教育者の指導に従順とならざるを得ないのだ。 すなわち、親や指導者が「右手を使え」と指示したならば、自分の不快感を押し殺してでもそれに素直に従う道を自ずと選択して、後々内面にストレスを溜め込んでしまうのである。
朝日新聞の上記記事によると、何を基準として“左利き”を判断するかも困難であるとのことである。 これに関しては、医学経験のある原左都子にも十分理解可能である。
そしてそれを踏まえた上での単純な判断によると、世の“左利き”とは1割の確率であるそうだ。
そんなことを言えば、血液型におけるAB型だって日本人の1割にしか過ぎないよなあ~~。 原左都子はそのAB型でもあるのだが、まさかそれで差別されることもないなら、各人の器用な手が右であっても左であってもいいのは当然であるし、本来ならば両者が共存し得る社会が築かれるべきだけど…
(とは言え、どうしても近代社会のシステムや論理とは多数派が尊重されてしまうのが辛いところだよね。)
(参考のため、原左都子の“左”の漢字は「右に倣え」「右向け右」などと他者から指示された場合、“左”を向きたくなる我が“天邪鬼”気質等々を表現したものであります。)
幼き頃の私は、親が私の自由にさせると何をするにも必ずや左手を使っていたらしい。
“箸”に関しては、親がそれを最初から右手に持つよう矯正したとのことだ。 (その矯正によほどの無理があったのか、未だに“箸”を上手に持てず人前で恥を晒している私である。)
クレヨンに関しては、苦い思い出がある。
私自身にはその思い出に関して一部分を覗き明瞭な記憶がなく、後に母より伝達されたエピソードの範囲内なのだが、以下に我が幼き日の失敗談を紹介しよう。
未だ幼稚園へも入園していない幼児(おそらく3歳頃)であった私は、親の知り合いの新築家屋落成記念会合に一家で招待された。 1階で飲み食いしつつ盛り上がる大人達が子供は2階で遊ぶように指示し、私もその子供の一人として2階で遊んでいたようだ。 会合も終焉に近づいた頃、子供達の様子を見ようと2階に上がった新築家屋の奥方が真っ青になって1階に戻り我が母に訴えたそうなのだ!
「お宅の○○ちゃん(私のこと)が、クレヨンで部屋一杯に落書きした!!」と。
それを聞いた母は「うちの○○はおとなしいいい子で、そんな事をするはずはないのだけど…」と弁解しつつ2階に上がって仰天したのだと言う。
なぜならば、新築2階の部屋の壁や床一面に私の氏名がひらがなで多数書き込まれ、左手にクレヨンを持った私がそこに存在したからである。
当時の我が母としては用意した紙に“お絵かき”でもさせるつもりだったのが、幼き私は2階の部屋全体を“キャンバス”と履き違えたようだ。 新しい畳そして白くてまっさらで綺麗な壁に私が書きたかったのは絵ではなく文字であったということである。(当時まっさらな新築家屋の“キャンバス”に感激した記憶は、私にも僅かながら残っている。)
その落書きを見て別の意味で一番驚いたのは我が母であったようだ。 新築家屋の主に平謝りしながら床や壁を拭きつつ、親が知らない間に我が子が既に自分の氏名をひらがなで書けるまでに成長していて、しかもわずが3歳にして左手で書いたその字は実に正確で美しかったのだと言う。
その“事件”をきっかけに今後私が幼稚園へ入園するに先立って、クレヨンを右手に持たせる矯正に乗り出した我が母であるようだ。
(今尚、右手で字が綺麗に書けない私なのだが、やはり当時の無理な矯正がたたっているのであろうか?? その分両手を使うキーボード入力は俄然得意な原左都子であるよ。♪)
それから、今に至って尚顕著なのが“雑巾しぼり”である。
さすがにそこまで矯正の面倒が見切れなかった母であろうが、私の雑巾しぼりは“逆回転”で特異的であるぞ。 へっへっ
その他の事例として私の記憶にあるのは、小学生低学年の頃“かぎ針編み”という編み物に挑戦したことに関してである。
自然体で取り組んだ私は、やはり左手にかぎ針を持っていたのである。 そして器用に私が編む姿を見た母から「よくまあ左手でそんなに上手に編めるね!」と指摘されて初めて、私は左手で編んでいたことに気付いたものだ。(これもその後右手に直したのだけどね…)
それにしても、私は今となっては左手はまったく利き手ではない。 握力も高校生の頃から右手が勝っていて左手の握力など実に乏しいのだ…
「左利き」の人の中には両手が器用に使えるという話も耳にすると、どうして我が親は両手共に器用な人間に育ててくれなかったのかと不満をぶつけたくもなると言うものだ。
(ついでに言うと、原左都子が「右に倣え」とか「右向け右」と指示されて「左」に向きたいのは持って生まれた“左利き”気質とも考察できないだろうか?? それとも社会のシステムに迎合するために“左利き”を無理やり矯正された事の怨念によるものか??? などと推測してみても、それは単なる冗談の範囲内なのだけどね…… )
今回、原左都子が“左利き”関連の記事を綴ったのは、朝日新聞2月5日付別刷「be」のサザエさん漫画関連の記事によるのだ。
その記事においても、今の時代「左利き」とは矯正するべきなのかを主たるテーマとして話を展開していた。 この記事の結論とも言える最後の箇所で大学教授が以下のような論評をしている。
「無理に変えない方がいいが、幼児期に子供が強い嫌悪を示す場合を除いて右利きへの変更を試行してもいいのでは」
この論評は、今の時代の右利き社会に適合するべく子供を育てる観点からはごもっともな指摘であろう。
ただ、原左都子はやはり子供個々が持って生まれた特質に任せて欲しい思いが強い。
なぜならば幼き子供とは言えども千差万別であるからだ。 周囲の指導により“子供が右手への強い嫌悪感を示す”かどうかに関してさえ、大いに子供の個性によるのだ。 私など、幼き頃から周囲への客観性の配慮にばかり焦点を置いていた記憶があるのだが、この種の子供とは我が意に反して親や教育者の指導に従順とならざるを得ないのだ。 すなわち、親や指導者が「右手を使え」と指示したならば、自分の不快感を押し殺してでもそれに素直に従う道を自ずと選択して、後々内面にストレスを溜め込んでしまうのである。
朝日新聞の上記記事によると、何を基準として“左利き”を判断するかも困難であるとのことである。 これに関しては、医学経験のある原左都子にも十分理解可能である。
そしてそれを踏まえた上での単純な判断によると、世の“左利き”とは1割の確率であるそうだ。
そんなことを言えば、血液型におけるAB型だって日本人の1割にしか過ぎないよなあ~~。 原左都子はそのAB型でもあるのだが、まさかそれで差別されることもないなら、各人の器用な手が右であっても左であってもいいのは当然であるし、本来ならば両者が共存し得る社会が築かれるべきだけど…
(とは言え、どうしても近代社会のシステムや論理とは多数派が尊重されてしまうのが辛いところだよね。)