原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“メイドカフェ” に依存するアキバオタク族の病理

2011年02月10日 | 時事論評
 NHKも何を血迷ったのか、昨日(2月9日)の昼間の番組で秋葉原の“メイドカフェ”を取り上げていた。

 事の詳細を説明すると、NHKテレビの昼のニュースの後に 「ふるさと一番」 という 至って“地味”で視聴率が低そうな番組がある。 この番組では毎回アナウンサーがゲストを従えて全国各地を巡り、その土地固有の名所名物や特産品等々を毎回テーマを決めて生放送で紹介しているのだ。
 何故にこの“地味”で視聴率が低い番組を原左都子が見ているのかというと、それは暇だからである。  いえいえそうではなくて、 番組が取り上げる対象によっては結構面白く興味深い内容であり、生放送にして時間内によくまとまっているからだ。

 昨日の「ふるさと一番」においては、東京秋葉原を舞台に店頭でバレンタインのチョコレートの紹介等の後“メイド”として働く女性が数人登場し、そして“メイドカフェ”の店内の様子が紹介されたのである。  アナウンサーは「ふるさと一番」でおなじみのカンズイ氏(漢字が不明で申し訳ないのだが、このNHK男性アナはなかなかの度量の持ち主で原左都子の好みでもあるよ。)、そしてゲストは女優でタレントの川島なお美氏であった。 今回の番組テーマのイメージにピッタリともいえる人選のゲストである川島氏なのだが、くだらない内容であるにもかかわらず自を抑えて弱輩者の“メイド達”に誠心誠意対応しつつ、番組を盛り立てていたのがプラス面で印象的であった。


 さて、何故に“国営放送”とも言える天下のNHKが昼間のテレビ番組の中で東京秋葉原の“メイドカフェ”をピックアップして正当化したのかに関しては、原左都子とてある程度その趣旨を推し量ることが可能である。

 その一つの理由はおそらく、秋葉原に拠点をおく“AKB48”という女子アイドルグループが今や国民的人気であり、年末の「NHK紅白歌合戦」にも2年連続で出演している故であろう。
 “AKB48”グループの一員が、少し前に同じくNHK昼の番組である「スタジオパーク」にも登場し生トークを披露していた。 原左都子は荒廃しつつある今の時代の片鱗を捉える目的で一応それも見聞したのであるが、その感想とは、まあ無難線を貫いていたというだけのイメージであった。 既に24歳になるというメンバーも抱えるグループの指導者及びスタッフたる連中が、大いなる経済効果をもたらすという営利目的のみで、妙齢の娘達に稚拙な事をやらせた挙句使い捨てして許されるのかと嘆かわしい気分にさせられるばかりである。

 そしてNHKが今回の番組で秋葉原を取り上げたもう一つの理由とは、数年前の集団殺傷事件の後、重苦しい空気を背負っていた秋葉原の街に先だって歩行者天国がやっと再開したことを受けているものとも察するのだ。
 若者や外国人でまた賑わい始めた秋葉原を“国営放送”として応援しようとの趣旨もあったのであろう。
 それは認めるとしても、NHKが何故にテレビ番組で“メイドカフェ”を正当化して取り上げるまで踏み込んだのであろうか??


 原左都子の私論に移ろう。

 私は普段、秋葉原に行く用もなければ、ましてや“メイドカフェ”なるカフェでおそらく今後一生お世話になることもないであろう。

 ただ過去において一時バンケット会社派遣による“パーコン”や“ラウンジコンパニオン”の経験がある私は、庶民の女の子が“メイド”になりたい思いが少し理解できなくもない。  ところが、私が30代にして学業の合間に単なるアルバイト目的で上記のコンパニオンを志した動機と、まだ少女である彼女達が秋葉原で“メイド”をしている現状とはその趣旨が大いに異なることを実感させられるのだ。
 そもそも大変失礼ながらこれはどうしたことかと感じるのは、“メイド”である少女達が“メイド”の衣裳を身に付けているにもかかわらず、特に可愛いとか美しいとかの要素が一切なくごく普通の少女を抜け出ていないことである。
 私がバンケット会社からコンパニオンとして派遣された時代には、外見的にも内面的にもそれはそれは厳しい条件を突きつけられたものだ。 顧客の前で失礼のない身なりをするための化粧法やヘアスタイルや衣裳アクセサリー、そして礼儀やマナーはもちろんのこと、姿勢や立ち振る舞い等々に関する詳細の注文を余儀なくされたものだ。 たとえアルバイトと言えども、それらをすべてクリアして初めて顧客の前に立つことができたのである。

 それに比して秋葉原の“メイド”とは、衣裳関連の条件はあるようなものの、むしろ“素人の女の子”であることが採用条件とも考察できるところが怖いのである。 
 (これは一見して種々雑多な女の子達の集合体である“AKB48”もそのコンセプトとしては共通の条件なのであろうが…)


 それでは、今の時代は何故に“素人の女の子”が好まれるのかに関して引き続き検証する事にしよう。 
 そう言えば先だって訪れた ディズニーシー でも、どういう訳かアルバイトスタッフの女の子達がいかにも“素人”もどきで化粧もしていなければスマートな対応も心得ていなかったことに関しては、「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて既述した。
 私の年代など、たとえアルバイトと言えどもプロの職業人としての厳しい条件を突きつけられたことに照らして、仕事をする人間とは職種に限らずやはり“プロ意識”を明確に持っているべき思いが強い。

 ところが、今の時代は顧客側が要求するアルバイト女性である“メイド”への意識が大幅に変遷している実態のようだ。
 昨日放映されたNHK「ふるさと一番」に話を戻すが、“メイドカフェ”に訪れている顧客とは、“メイド”と触れ合える束の間の時間を人生の真なる糧としている様子なのだ。 この“現実”を受けてゲストの川島なお美氏も「ネット上の見知らぬ人との関係よりも、現実世界で生身の人間と相対した方がいいですものね」などと苦し紛れのコメントを述べておられた。
 生放送故の川島なお美氏の咄嗟のフォローに苦笑いしつつ、“メイドカフェ”とは人間関係における実に切実な現象であることを思い知らされる。
“人間関係の希薄化現象”もここまで来てしまうと、もやはこれは一種の娯楽として済まされないのではなかろうか?

 NHKが「無縁社会」という用語を一つの番組制作において創り出し、その用語が国会答弁においても用いられるようになった現状は評価する。
 ただ、秋葉原の“メイドカフェ”がそれを救う一助になるとは原左都子は到底思えないのだ。 むしろ、あの“空虚さ”こそが今後人間関係の希薄化現象にさらに拍車をかけてしまう程の危機を内在している元凶と捉えた私は、背筋が寒い思いである。

 人間関係とは、営利関係で発展し得る訳がない。
 アキバオタク族が“素人もどき”のアルバイト女性による“メイド”に一瞬癒されることで一時のコミュニケーションを持てたと勘違いする裏側に、必ずやプロ意識なくその仕事に励んでいる“メイド役”の女の子達のストレスが鬱積しているというものだ。 そうではない関係も時には発生するのだろうが、その行き先がストーカー等の刑事事件に発展しようが原左都子は一切責任が持てないよ、NHKさん。


 とは言ってみても素人の女の子が“メイド”を志すのも自由だろうし、アキバオタク族が“メイドカフェ”に通うのも勝手という、妙な時代に成り下がっているのは事実なのだけどね…
        
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