一人娘がフランス修学旅行から帰国し、我が束の間の“独身三昧”も終止符を打っている。
エジプト、リビアのごとくの政変動乱に巻き込まれることも、現在ニュージーランドで発生中の大地震のような天災にも見舞われず、大きな病気も怪我もなく無事帰って来てくれたのが親としては何よりである。
ところで、今回の我が娘の修学旅行の出発前に一保護者として大いに頭を悩まされる事象があった。
それは、高校からのインフルエンザワクチン接種“半”強制だったのであるが、事の始まりは昨年10月頃、フランス修学旅行に際して参加者生徒全員に配布された“インフルエンザワクチン集団接種のお知らせ”であった。
元医学関係者でもある原左都子のインフルエンザワクチン接種に対する見解については、昨年度新型インフルエンザが世界規模で流行した時期に、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいて私論を再三述べているのでそれを参照していただきたい。
厚労省が年齢層等により接種順位を決め、そして接種は2回だ、いや1回、と医学的根拠もなく二転三転して醜態を晒しつつ全国民にワクチン接種を“半ば”強制した事は、皆さんも記憶に新しいであろう。 国を挙げてすったもんだの大騒ぎで国民を混乱に巻き込んだものの大した流行規模にはならず、輸入ワクチン大量余剰による巨額の損失を積み上げただけの新型インフルエンザ騒動であった。(あの巨額損失に関しては国会においても追及されないのだが、如何に処理されたのだろうか???)
「原左都子エッセイ集」の長期読者の方々は既にご存知であろうが、原左都子は医療行為に関して一貫して慎重な立場を貫いている。
現代社会において、科学の一分野である医療の目覚ましい進化は生命体の存続発展にとって今後共無くてはならないものであり、我々はその恩恵があってこそ命を育むことが可能であることに関しては、原左都子も当然ながら認めるところである。
一方で、医学・医療とは生命に直結する科学分野であるが故に専門性が高く、一般市民に分かりにくいのも事実であろう。 「この薬を飲めば治ります」「このワクチンを打ったら病気にはかかりません」… 医師をはじめとする医療関係者、ましてや国家からそのように指導されたら、それを鵜呑みにしてしまうのが悲しいかな一般市民の実情でもあろう。
ところが、ワクチン一つとってもそう簡単にはいかないのだ。
「みんながワクチン打ってるから、私も早くワクチン打って助かろう!」
昨年の新型インフルワクチン騒動など、国民皆にその種の吹聴をしてワクチン接種のために我が身息災観点から“我先に!”と病院へ走らせた厚労省であったと言えるのだが、その罪は大きいものがあると今尚私は捉えている。
まずワクチンの「安全性」面から説明すると、薬に副作用があるがごとくワクチンにも当然ながら副作用がある。(これが発症するのは全接種者中ごくわずかな確率ではあるが。) それ故にワクチン接種時に手渡される説明書にも副作用に関する記載があり、医師もワクチン接種直前に接種者毎に体調や副作用が発症し易い体質か否かのチェックはしている。 ただ医療機関に於けるこのチェック体制が万全とは言い難く、いずれのワクチン接種においても必ずや大なり小なり(重篤な場合死に至るほど)の副作用が僅かな確率ではあるが発生しているのが現状である。
そして次に検証するべきはワクチンの「有効性」であるが、インフルエンザワクチンに限って言うと、その有効性は“低い”と結論付けるのが現実ではあるまいか? ワクチンを打ってもインフルエンザに罹患する患者が少なからず発生してしまうのがこのワクチンの特徴でもある。 これに関しては、ワクチンを打っておけばインフルエンザに罹患しても症状が軽くて済むと医療機関から説明されているようだが、私に言わせてもらうと、その種の接種者とはたとえワクチンを打たずにインフルエンザに罹患したとしても、そもそも重篤な症状には至らない健常人の範囲内の話ではなかろうか??
話を我が娘のフランス修学旅行前のインフルエンザワクチン接種に戻そう。
学校の気持ちは重々分かる。 二百数十名という大集団を引き連れて厳寒の時期にフランスを訪れようとする場合、とりあえずインフルエンザワクチン接種を生徒全員に半強制しておくことで引率側の学校の“責任”は大いに軽減されることであろう。
修学旅行前の保護者会でも、再三再四ワクチン接種について大人の保護者相手に強要されたものである。
学校の気持ちは分かろうと、一方で保護者には我が子の生命を“本気”で守り抜く責任があるのだ!
我が娘の場合、産まれ持っての若干の事情があるためか身体面においても万全とは言い難い側面を抱えている。(生命にはさほど係わらないのだが、幼い頃より原因不明の“奇病”を発症して医師さえその診断が下せなかったことを幾度も経験している。 医学経験のある母の私は、私なりのある程度の診断を下して来ているのだが…) その一つとして娘は“不明熱”を発症し易い体質であり、以前エジプト・ギリシャ方面へ家族旅行した時にも39度を超える発熱をして、ホテルで2日間寝て過ごした経験がある。
今回のフランス修学旅行に当たっては、アレルギー体質も兼ね備えている我が子のインフルエンザワクチン接種後の副作用を考慮して、親としてはワクチン接種は避け通したかったのが本音である。 ただ、厳寒のフランスで運悪く不明高熱を出した場合、それがインフルエンザと現地医師に誤診されてしまう場合も想定して、“苦渋の選択”としてワクチン接種に踏み切った私だったのだ。
幸いなことに、ワクチン接種後副作用が出現せずに娘がフランスに旅立てたのは実にラッキーだった。
一方で、上記のごとくインフルエンザワクチンの「有効性」に関しては元々信用していない原左都子であるため、娘にワクチンの副作用さえ出現しなければそれだけで万々歳であったと言えるのだ。 (本音を言うと、“医療と政府との癒着”か?とも言えるワクチン接種に、個人負担金5000円を投資したくはなかったのだけどね…。)
インフルエンザワクチン接種など私自身は一回足りとて受けたこともなければ、今後一生受けることもないだろうけれど、もう数年来インフルエンザに罹患していない原左都子である。
人為的医療に出来るだけ頼らず自然体で生きている私は、恐らくあらゆる病原体に対して“不顕性感染”(感染しても発症はせずに免疫を獲得している状態)で自然に強靭な免疫力を得ていることであろうと信じている。 “アジュバント”(病原体の免疫増強剤であり、人体内において予期せぬアレルギー反応の原因となる物質)等の不純物が混ざるワクチンを体内に入れることこそを、私は何が何でも避けたい思いだね!
それにしても、もうそろそろ日本の学校も大集団で修学旅行に行くことを終焉してはどうなのか??
集団とはその規模にかかわらず“存在自体が”周囲に迷惑を及ぼすことが明白である。
はたまた今回のインフルエンザワクチン全員半強制のごとくの、個体差の激しい子供達一人ひとりの個性を尊重し得ない無責任な一律指導などしなくて済むのだ。
そしてそして、今回のニュージーランドのごとくの予期せぬ大地震等に際しては、一度に多くの命を失わずに済むと言うものでもあろう。
エジプト、リビアのごとくの政変動乱に巻き込まれることも、現在ニュージーランドで発生中の大地震のような天災にも見舞われず、大きな病気も怪我もなく無事帰って来てくれたのが親としては何よりである。
ところで、今回の我が娘の修学旅行の出発前に一保護者として大いに頭を悩まされる事象があった。
それは、高校からのインフルエンザワクチン接種“半”強制だったのであるが、事の始まりは昨年10月頃、フランス修学旅行に際して参加者生徒全員に配布された“インフルエンザワクチン集団接種のお知らせ”であった。
元医学関係者でもある原左都子のインフルエンザワクチン接種に対する見解については、昨年度新型インフルエンザが世界規模で流行した時期に、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいて私論を再三述べているのでそれを参照していただきたい。
厚労省が年齢層等により接種順位を決め、そして接種は2回だ、いや1回、と医学的根拠もなく二転三転して醜態を晒しつつ全国民にワクチン接種を“半ば”強制した事は、皆さんも記憶に新しいであろう。 国を挙げてすったもんだの大騒ぎで国民を混乱に巻き込んだものの大した流行規模にはならず、輸入ワクチン大量余剰による巨額の損失を積み上げただけの新型インフルエンザ騒動であった。(あの巨額損失に関しては国会においても追及されないのだが、如何に処理されたのだろうか???)
「原左都子エッセイ集」の長期読者の方々は既にご存知であろうが、原左都子は医療行為に関して一貫して慎重な立場を貫いている。
現代社会において、科学の一分野である医療の目覚ましい進化は生命体の存続発展にとって今後共無くてはならないものであり、我々はその恩恵があってこそ命を育むことが可能であることに関しては、原左都子も当然ながら認めるところである。
一方で、医学・医療とは生命に直結する科学分野であるが故に専門性が高く、一般市民に分かりにくいのも事実であろう。 「この薬を飲めば治ります」「このワクチンを打ったら病気にはかかりません」… 医師をはじめとする医療関係者、ましてや国家からそのように指導されたら、それを鵜呑みにしてしまうのが悲しいかな一般市民の実情でもあろう。
ところが、ワクチン一つとってもそう簡単にはいかないのだ。
「みんながワクチン打ってるから、私も早くワクチン打って助かろう!」
昨年の新型インフルワクチン騒動など、国民皆にその種の吹聴をしてワクチン接種のために我が身息災観点から“我先に!”と病院へ走らせた厚労省であったと言えるのだが、その罪は大きいものがあると今尚私は捉えている。
まずワクチンの「安全性」面から説明すると、薬に副作用があるがごとくワクチンにも当然ながら副作用がある。(これが発症するのは全接種者中ごくわずかな確率ではあるが。) それ故にワクチン接種時に手渡される説明書にも副作用に関する記載があり、医師もワクチン接種直前に接種者毎に体調や副作用が発症し易い体質か否かのチェックはしている。 ただ医療機関に於けるこのチェック体制が万全とは言い難く、いずれのワクチン接種においても必ずや大なり小なり(重篤な場合死に至るほど)の副作用が僅かな確率ではあるが発生しているのが現状である。
そして次に検証するべきはワクチンの「有効性」であるが、インフルエンザワクチンに限って言うと、その有効性は“低い”と結論付けるのが現実ではあるまいか? ワクチンを打ってもインフルエンザに罹患する患者が少なからず発生してしまうのがこのワクチンの特徴でもある。 これに関しては、ワクチンを打っておけばインフルエンザに罹患しても症状が軽くて済むと医療機関から説明されているようだが、私に言わせてもらうと、その種の接種者とはたとえワクチンを打たずにインフルエンザに罹患したとしても、そもそも重篤な症状には至らない健常人の範囲内の話ではなかろうか??
話を我が娘のフランス修学旅行前のインフルエンザワクチン接種に戻そう。
学校の気持ちは重々分かる。 二百数十名という大集団を引き連れて厳寒の時期にフランスを訪れようとする場合、とりあえずインフルエンザワクチン接種を生徒全員に半強制しておくことで引率側の学校の“責任”は大いに軽減されることであろう。
修学旅行前の保護者会でも、再三再四ワクチン接種について大人の保護者相手に強要されたものである。
学校の気持ちは分かろうと、一方で保護者には我が子の生命を“本気”で守り抜く責任があるのだ!
我が娘の場合、産まれ持っての若干の事情があるためか身体面においても万全とは言い難い側面を抱えている。(生命にはさほど係わらないのだが、幼い頃より原因不明の“奇病”を発症して医師さえその診断が下せなかったことを幾度も経験している。 医学経験のある母の私は、私なりのある程度の診断を下して来ているのだが…) その一つとして娘は“不明熱”を発症し易い体質であり、以前エジプト・ギリシャ方面へ家族旅行した時にも39度を超える発熱をして、ホテルで2日間寝て過ごした経験がある。
今回のフランス修学旅行に当たっては、アレルギー体質も兼ね備えている我が子のインフルエンザワクチン接種後の副作用を考慮して、親としてはワクチン接種は避け通したかったのが本音である。 ただ、厳寒のフランスで運悪く不明高熱を出した場合、それがインフルエンザと現地医師に誤診されてしまう場合も想定して、“苦渋の選択”としてワクチン接種に踏み切った私だったのだ。
幸いなことに、ワクチン接種後副作用が出現せずに娘がフランスに旅立てたのは実にラッキーだった。
一方で、上記のごとくインフルエンザワクチンの「有効性」に関しては元々信用していない原左都子であるため、娘にワクチンの副作用さえ出現しなければそれだけで万々歳であったと言えるのだ。 (本音を言うと、“医療と政府との癒着”か?とも言えるワクチン接種に、個人負担金5000円を投資したくはなかったのだけどね…。)
インフルエンザワクチン接種など私自身は一回足りとて受けたこともなければ、今後一生受けることもないだろうけれど、もう数年来インフルエンザに罹患していない原左都子である。
人為的医療に出来るだけ頼らず自然体で生きている私は、恐らくあらゆる病原体に対して“不顕性感染”(感染しても発症はせずに免疫を獲得している状態)で自然に強靭な免疫力を得ていることであろうと信じている。 “アジュバント”(病原体の免疫増強剤であり、人体内において予期せぬアレルギー反応の原因となる物質)等の不純物が混ざるワクチンを体内に入れることこそを、私は何が何でも避けたい思いだね!
それにしても、もうそろそろ日本の学校も大集団で修学旅行に行くことを終焉してはどうなのか??
集団とはその規模にかかわらず“存在自体が”周囲に迷惑を及ぼすことが明白である。
はたまた今回のインフルエンザワクチン全員半強制のごとくの、個体差の激しい子供達一人ひとりの個性を尊重し得ない無責任な一律指導などしなくて済むのだ。
そしてそして、今回のニュージーランドのごとくの予期せぬ大地震等に際しては、一度に多くの命を失わずに済むと言うものでもあろう。