原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

50代にして早くも“孫”が心の支えなのか?

2011年02月16日 | 自己実現
 50代にして、長男夫婦が既に不妊治療適齢期であり体外受精に6回挑戦したが赤ちゃんが授からない???

 これは2月12日付朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談内容なのだが、(相談者である50代主婦は一体幾つで長男を産んだのだろう?) と咄嗟に計算を始めた私である。
 不妊治療適齢期と言えばおそらく長男夫婦は40歳前後位と仮定して、相談主婦が仮に59歳であるならば19歳頃に長男を産んだことになるから、そうおかしな話でもないのか…
 などと、高齢出産の我が身としては50代同世代にしていろんな人生があることを再認識させられる相談なのである。


 それでは早速“悩みのるつぼ”の 「子のいない長男夫婦がふびんで」 と題する相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 50代の主婦であるが、夫婦共に保育士をしている長男夫妻にまだ赤ちゃんが授からない。年齢的なこともあり不妊治療を受け体外受精に6回挑戦したが結果が出ない。本当にかわいそうでならない。 嫁は気立てのいい芯のしっかりした子で(不妊治療が)ダメだった時に「折れた心を修復してまた頑張ります」とメールを打ってきた。私はこれを読んで涙が止まらない。 世の中は順番通りにはいかないもので後で結婚した下の子に先に初孫が授かった。それはうれしいのだが、世の不条理を思い本当につらい日々だ。 こんな立場の時はどんな気持ちで乗り切ればよいのか。


 早速、私論に入ろう。

 嫁、 孫、 順番通りにいかない? それが世の不条理? それで涙がとまらない…??  
 いや~~、立場の違いとは言えども、40近くまで独身を謳歌した後にやっと一人だけ子どもを産んだ原左都子にとっては、一生縁がなさそうな言葉ばかりが羅列されていることにたまげてしまう相談である。

 まあそれにしても、上で計算したように50代と言えば確かに“普通に”孫がいる年代である。 私の知人にも早くも30代で“おばあちゃん”になった女性もいれば、60歳少しで既に“ひ孫”がいる人もいる。 これらは極端な例かもしれないが、原左都子世代の世間一般の常識からすれば、40近くで子どもを産む事の方がごく少数派で例外的であったことであろう。
 以前、女性の出産年齢に関する当時の統計資料を目にしたことがあるが、私が出産した時代の40近くの「初産」は1%以下の統計確率だったように記憶している。

 そんな私であるためか、今回の相談に関してはどの角度から考察しても相談主婦の心境にはなれない。
 「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「年老いては子に従わず、見返りも求めず」においても既述しているが、私の場合娘に若干の事情があるせいもあるのだが、親として我が子の将来を展望に入れて今後どれだけの事をしてやれるか、との発想しかない。 この先我が子が順調に成長し自立してくれるだけで、親として十分過ぎる感覚なのだ。

 別の側面から考察すると、そもそも私の場合子どもを設けることに関してすらどちらでもよかった程であるから、ましてや孫をこの手に抱こうなどという発想もまったくない。 (いえいえ、もしも我が子が孫を産んで「育児を手伝って!」などと嘆願されたものなら俄然張り切る性格ではあろうが、今のところはその種の希望は一切ない。)
 今はただただ我が子の自立を望む私の将来の夢は、我が子自立後の自らの“自己実現”なのである。
                                
 そんな50代原左都子の存在もかなり極端であろうことは認めるものの、それにしても同じく50代相談主婦の、未だこの世に産まれ出ない長男夫婦の孫にかける“歪んだ思い”もどうにかならないものであろうか。
 こんな “孫一筋!” とも言える義母を抱えている“嫁”こそが最大の犠牲者であることは明白だ。
 長男夫婦が子どもを欲しがり体外受精に及んでいる事に関してはある程度は本人たちの自由であるとしても、特に産む性である“嫁”の苦しみに義母の立場からの言動が追い討ちをかけていることに、この50代主婦は気付かないのであろうか?
 この相談、誰が読んでも一番落ち度があるのは相談者であるあなたなのだ!
 赤ちゃんが出来ずに切羽詰っている長男夫婦(とくに“嫁”)の真相心理の程を気遣うことも出来ず、嫁に「また頑張ります!」メールまでさせているあなたの存在こそどうにかならないのか??


 今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる 社会学者の上野千鶴子氏 も、私と同様の回答をされている。 以下にその一部を紹介しよう。
 こういうご質問、困りますね。 これはどなたのお悩み? お困りなのはあなたご自身なのですね? 長男に子どもがいないことを気に病んでいるのはあなたご自身ではありませんか? そんなあなたに「がんばります」とメールで報告してくるお嫁さんは何てけなげなのでしょう。せめてその負担を減らしてあげられませんか。 自分の子どもを産むか産まないかは本人達自身の問題であって、たとえ親であっても容喙すべきではない。 あなたの役割はむしろ、子どもを産まなければというプレッシャーをお嫁さんから解放してあげることだ。お世継ぎを期待している訳じゃあるまいし。 子どもがいない女はかわいそうと思っているあなたがお嫁さんのストレス源であることを自覚して下さい。 ひとの生き死にに人為がはたらかないことに、もう少し世の中が謙虚であってくれたらと思う。
 (以上、上野千鶴子氏の回答内容の一部を要約引用。)   


 再び、私論に戻ろう。 

 それでは、今後この相談主婦はどのように気持ちを切り替えていけばよいのであろうか。 
 この解決策が困難であることを、今に至ってひしひしと感じる私である。
 今回の相談に対する私と社会学者の上野千鶴子氏との見解がほぼ一致しているのは、おそらく独身が長かった私と今尚独身を貫いていらっしゃる上野氏が、その背景において一部共通であるためと考察する。
 ところが一般的には、団塊の世代前後の年代とはいわゆる“適齢期”で婚姻に至り子どもを複数(通常は2人)設けることが当時の世の“決まり”でもあったのだ!  それを素直に実行しつつ人生を送った多くの単純“善良な市民”達は、現在孫を可愛がっているのが実態なのであろう。 一方でその種の人種が適齢期に産んだ子ども達が現代の経済危機社会を最たる背景に晩婚とならざるを得ないが故に、団塊の世代にして今尚孫がいない人種が増殖しているのも実態であろう。
 長い独身を謳歌したいがために主体的に晩婚を選択した私は、昔からその人種とは根本的な部分において思想が異なっていたと言える。  我々の世代において“世間一般に迎合して適齢期に婚姻に至った連中”達の心中とは、時代の変遷を捉えきれず今に至って尚老後の楽しみを“孫”に見出したいのではないかとの危惧感を感じる場面によく出くわすからである。


 この相談主婦には身近な“孫”や“長男夫婦”から大きく気持ちを切り替えて、まだまだ今後の人生長いのだから、自分自身の“内面”から湧き出る「自己実現」意欲に燃えることに期待したい気持ちである。
 
 そういう意味では時代の先端を先取りしてきているとも言える上野氏や私(一緒くたにする失礼を何卒お許し下さい。)は、今現在の若き世代の苦悩を真に受け止めることが出来るような気もするのだ。

 身内の じーさん ばーさん の身勝手な“孫”に期待する思いなど テキトー に振り切って、今後も 自分達の生活を大事に育もうね!
          
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