冒頭から余談であるが、民主党野田政権の藤村官房長官がメディアの会見において頻繁に使用する国語表現の一部に首を傾げている私である。
本日(9月11日)昼のNHKニュースに於いても発したのだが、記者会見の場で藤村氏が野田総理を代弁して応えて曰く 「野田総理は○○と考えておられることと“拝察します”」
「拝察する」との表現は、私もこの「原左都子エッセイ集」においてよく使用する言い回しである。
「拝察する」とは「察する」の謙譲語である。 謙譲語である以上、当然ながら自分が謙ることによって相手を敬おうとする場合に使用されるべきである。
そこで私は、本エッセイを綴るに当たっての記載対象である相手が年齢・地位等において私よりも目上の存在であると判断した場合や、ここでは一歩下がって相手を立てておいた方が無難であろうと判断する場合にこの言葉を使用している。
野田氏と藤村氏の関係の場合、メディア報道によると藤村氏は野田氏の“側近中の側近”であるようだ。 2人の個人的関係内において、側近である藤村氏が自分を官房長官に任命してくれた総理である野田氏を是が非でも敬おうとの意思で、「拝察します」の言葉が自然と表出してくるのであろう。
ところが国民の観点から考察すると、これは滑稽ではなかろうか?
確かに法的権限上も一国の首相と官房長官の関係に於いては首相が上位に位置しているため、官房長官が記者会見において「(首相のご意思を)拝察する」との表現を用いても絶対的な誤りだとは言えないのかもしれない。
ただ近年(永田町のコップの中で)ころころと入れ替わる短命政権の有様や野田政権の今後の見通しの程を慮った場合、藤村氏の「(首相のご意思を)拝察する」との表現はやはり原左都子個人的には滑稽であり、大いなる違和感を抱かされるのだ。
ここは前官房長官であられた枝野氏のごとく「総理は○○と考えて“おられると思う”」程度の表現でよいのではあるまいか、藤村さん?
本日その前官房長官枝野氏が、先だって致命的暴言を吐いて経済産業相を辞任した鉢呂氏の後任大臣として任命されたようだ。
(個人的には民主党が政権を奪取して間もない頃から枝野氏の政治家としての総合力を認めている私としては、何故野田氏は政権閣僚として最初から民主党内においては類稀なこの人材を投入しなかったのかと、残念に思っていたところであった。)
それにしても、2009年秋に政権が民主党に移って以降1年足らずの短期間でころころと政権交代する中で、暴言を吐く閣僚が多発している現状である。
民主党政権における閣僚が発するその暴言のレベルの程が劣悪過ぎるのではなかろうか??
いえいえ、政治家の失言は今に始まった事ではない。
自民党政権時代にもそれは数多く存在した。 例えば、麻生氏の失言についてはこのエッセイ集においても取り上げている。 国会答弁において秘書が書いた原稿の漢字の読み方を間違えるミスが多発したことをバッシングされた麻生氏は、「私はあまり新聞を読まない」等と応答して言葉を濁したりしたものだ。 こういう失言も国民の失笑、落胆を買うことには間違いないが、まだしも国民の実被害の程は少なかったのではあるまいか?
それに対して民主党内で昨今続いている閣僚の“暴言”の程は、一国民として聞くに堪えない低レベルの様相である。
例えば7月には菅政権の下で松本龍復興担当相が、東日本大震災で被災した岩手、宮城県知事との会談で暴言を発した責任を取って辞職している。 同氏は大臣として任命された直後の7月に両知事と面会した際、「知事は大臣より先に来て待ってろ!」 「(私は)九州の人間だから東北の何市がどこの県か知らない」 「知恵を出さないやつは助けない。突き放す時は突き放す」等々と暴言を吐き散らしたのだ。 この事実に関して、被災地住民の感情を逆なでする言動だとして野党より厳しい批判を受けた上での退陣だった。
今回の鉢呂経産相の暴言も、上記の松本氏と似たりよったりだった。
先だって野田総理等の閣僚と共に福島第一原発の現地に一時のみ立ち寄り視察した後、東京に戻った鉢呂氏は記者会見の場で、こともあろうに原発事故に見舞われた地を「死のまち」と表現したとのことである。
これに関しては、福島第一原発周辺の放射能汚染の程を医学的観点から本気で考察している私も、一体いつになれば地域住民の皆さんがこの郷里の地で再び生を営めるようになるのかを心より心配申し上げている。 (2011年5月の本エッセイ集バックナンバー「フクシマが“幸運”と“富”の地 福島 に蘇る日」においてその詳細を綴っておりますのでよろしければご参照下さい。)
鉢呂氏の暴言はまだまだ続く。 今度は議員宿舎において記者に対応した際「(福島原発の)放射能をつけちゃうぞ!」との暴言を吐いたとの事である。
野田政権閣僚軍団が福島第一原発現地を視察している風景はメディアを通じて私も見聞した。 猛暑の中、複数のメタボおじさんどもがあの防御服を着用しての現地視察はさぞや大変であった事だろうね。
だからと言ってその苦悩の思いを記者団に八つ当たりするなどもっての他だよ、鉢呂さん。
今年3月11日に我が国に発生した未曾有の大震災、及びそれに関連して引き起こしてしまった福島第一原発事故という過去の政権がもたらした“人災”の後始末を担って立つ現政権の役割は甚大なものであろう。
そういう大命題を背負っているからこそ、今一度野田政権には手綱を引き締めて大震災復興を目玉とする国政に勢力を注いで欲しいものである。
まさか野田氏がメディアの政権発足初期支持率世論調査結果を真に受けて有頂天になっているとは思わないが、そんな国民の一時のバブル期待感など砂上の楼閣に過ぎないことは明白である。 教育行政が手薄い環境下で育たざるを得なかったこの国における特に若い世代の国民気質を勘案した場合、ほんのちょっとしたことですぐに政権支持率が急降下することくらいは野田氏も認識していることと信じたい。
暴言によりわずか9日で辞任に追い込まれるがごとく閣僚を任命した責任は大きいものがあることを、野田総理は再度自覚するべきである。
本日(9月11日)昼のNHKニュースに於いても発したのだが、記者会見の場で藤村氏が野田総理を代弁して応えて曰く 「野田総理は○○と考えておられることと“拝察します”」
「拝察する」との表現は、私もこの「原左都子エッセイ集」においてよく使用する言い回しである。
「拝察する」とは「察する」の謙譲語である。 謙譲語である以上、当然ながら自分が謙ることによって相手を敬おうとする場合に使用されるべきである。
そこで私は、本エッセイを綴るに当たっての記載対象である相手が年齢・地位等において私よりも目上の存在であると判断した場合や、ここでは一歩下がって相手を立てておいた方が無難であろうと判断する場合にこの言葉を使用している。
野田氏と藤村氏の関係の場合、メディア報道によると藤村氏は野田氏の“側近中の側近”であるようだ。 2人の個人的関係内において、側近である藤村氏が自分を官房長官に任命してくれた総理である野田氏を是が非でも敬おうとの意思で、「拝察します」の言葉が自然と表出してくるのであろう。
ところが国民の観点から考察すると、これは滑稽ではなかろうか?
確かに法的権限上も一国の首相と官房長官の関係に於いては首相が上位に位置しているため、官房長官が記者会見において「(首相のご意思を)拝察する」との表現を用いても絶対的な誤りだとは言えないのかもしれない。
ただ近年(永田町のコップの中で)ころころと入れ替わる短命政権の有様や野田政権の今後の見通しの程を慮った場合、藤村氏の「(首相のご意思を)拝察する」との表現はやはり原左都子個人的には滑稽であり、大いなる違和感を抱かされるのだ。
ここは前官房長官であられた枝野氏のごとく「総理は○○と考えて“おられると思う”」程度の表現でよいのではあるまいか、藤村さん?
本日その前官房長官枝野氏が、先だって致命的暴言を吐いて経済産業相を辞任した鉢呂氏の後任大臣として任命されたようだ。
(個人的には民主党が政権を奪取して間もない頃から枝野氏の政治家としての総合力を認めている私としては、何故野田氏は政権閣僚として最初から民主党内においては類稀なこの人材を投入しなかったのかと、残念に思っていたところであった。)
それにしても、2009年秋に政権が民主党に移って以降1年足らずの短期間でころころと政権交代する中で、暴言を吐く閣僚が多発している現状である。
民主党政権における閣僚が発するその暴言のレベルの程が劣悪過ぎるのではなかろうか??
いえいえ、政治家の失言は今に始まった事ではない。
自民党政権時代にもそれは数多く存在した。 例えば、麻生氏の失言についてはこのエッセイ集においても取り上げている。 国会答弁において秘書が書いた原稿の漢字の読み方を間違えるミスが多発したことをバッシングされた麻生氏は、「私はあまり新聞を読まない」等と応答して言葉を濁したりしたものだ。 こういう失言も国民の失笑、落胆を買うことには間違いないが、まだしも国民の実被害の程は少なかったのではあるまいか?
それに対して民主党内で昨今続いている閣僚の“暴言”の程は、一国民として聞くに堪えない低レベルの様相である。
例えば7月には菅政権の下で松本龍復興担当相が、東日本大震災で被災した岩手、宮城県知事との会談で暴言を発した責任を取って辞職している。 同氏は大臣として任命された直後の7月に両知事と面会した際、「知事は大臣より先に来て待ってろ!」 「(私は)九州の人間だから東北の何市がどこの県か知らない」 「知恵を出さないやつは助けない。突き放す時は突き放す」等々と暴言を吐き散らしたのだ。 この事実に関して、被災地住民の感情を逆なでする言動だとして野党より厳しい批判を受けた上での退陣だった。
今回の鉢呂経産相の暴言も、上記の松本氏と似たりよったりだった。
先だって野田総理等の閣僚と共に福島第一原発の現地に一時のみ立ち寄り視察した後、東京に戻った鉢呂氏は記者会見の場で、こともあろうに原発事故に見舞われた地を「死のまち」と表現したとのことである。
これに関しては、福島第一原発周辺の放射能汚染の程を医学的観点から本気で考察している私も、一体いつになれば地域住民の皆さんがこの郷里の地で再び生を営めるようになるのかを心より心配申し上げている。 (2011年5月の本エッセイ集バックナンバー「フクシマが“幸運”と“富”の地 福島 に蘇る日」においてその詳細を綴っておりますのでよろしければご参照下さい。)
鉢呂氏の暴言はまだまだ続く。 今度は議員宿舎において記者に対応した際「(福島原発の)放射能をつけちゃうぞ!」との暴言を吐いたとの事である。
野田政権閣僚軍団が福島第一原発現地を視察している風景はメディアを通じて私も見聞した。 猛暑の中、複数のメタボおじさんどもがあの防御服を着用しての現地視察はさぞや大変であった事だろうね。
だからと言ってその苦悩の思いを記者団に八つ当たりするなどもっての他だよ、鉢呂さん。
今年3月11日に我が国に発生した未曾有の大震災、及びそれに関連して引き起こしてしまった福島第一原発事故という過去の政権がもたらした“人災”の後始末を担って立つ現政権の役割は甚大なものであろう。
そういう大命題を背負っているからこそ、今一度野田政権には手綱を引き締めて大震災復興を目玉とする国政に勢力を注いで欲しいものである。
まさか野田氏がメディアの政権発足初期支持率世論調査結果を真に受けて有頂天になっているとは思わないが、そんな国民の一時のバブル期待感など砂上の楼閣に過ぎないことは明白である。 教育行政が手薄い環境下で育たざるを得なかったこの国における特に若い世代の国民気質を勘案した場合、ほんのちょっとしたことですぐに政権支持率が急降下することくらいは野田氏も認識していることと信じたい。
暴言によりわずか9日で辞任に追い込まれるがごとく閣僚を任命した責任は大きいものがあることを、野田総理は再度自覚するべきである。