原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「食って」「寝て」ダレてる間に仕事初め…

2012年01月04日 | 自己実現
 1月4日の本日より、職場に出勤された方々は数多い事であろう。

 無職となった今でこそ年頭の“仕事初め”には縁が無い私であるが、職業人として頑張っていた頃、この“仕事初め”が大の苦手だった。
 決して新たな年に仕事を再開する事自体が嫌だった訳ではない。 仕事そのものにはいつ何時も精力的に取り組んでいた原左都子である。   そうではなく、集団嫌いの私としては人が大勢集まる場に久々に出向く事に鬱陶しさを感じてしまうのだ。

 特に仕事初めの儀式が嫌いだ。 全職員を強制的に集会室に集め社長等の職場長が年頭の訓示を垂れる、あの一種独裁的とも言える雰囲気が阿呆らしくて耐え難い…。  そこで私は毎年この仕事始めの儀式を避けて通るべく年頭から有給休暇を利用し、人より1、2日遅れて出勤したものである。(年頭は仕事量が少なかったこともあるしね…)

 そんな過ぎ去りし時代を思い出しつつ本日午前中に布団を干すベランダから道路を見下ろすと、我が自治体のゴミ収集車が年末年始期間中に山ほど溜まった可燃ゴミを収集している。 
 そうか、ゴミ収集業務も今日が仕事初めだなあ。 1年で一番ゴミ量が多いのが本日1月4日であろう。 この業務においては職場長が長時間訓示を垂れている時間などないことと察するが、まったくもって年頭から激務の労働“ごくろうさま”としか言い様がない。

 などと言いつつ本日より仕事初めの労働者の皆さんには大変申し訳ない事に、原左都子は今朝から“二日酔い”状態である。
 と言うのも、昨日は我が嫁ぎ先一族の毎年恒例の新年会だった。 我が一族はどういう訳か女性の方が大酒飲みで、男性陣は(亡くなった義父を除き)下戸あるいは酒に弱い人達ばかりである。 今年は義姉の希望でふぐ料理処での新年会だったのだが、特に飲兵衛の義姉と私の2人が勝手に大いに盛り上がって、香ばしい風味の「ふぐヒレ酒」を始めビールに焼酎と飲んだくれたのである…  


 現在の家庭を築いて以降、毎年正月は「食って(私の場合は“飲んで”と言うべきだが)」「寝て」3日を過ごすのが恒例となってしまっている。 まあ、時は正月なのだからそれでも許されるかもしれないと自己弁護しつつも、自己実現欲の強い私としては(こんな馬鹿を3日もやってていいのだろうか?)との良心の呵責感にも苛まれるというものだ。
 今年は特に我が娘が大学合格を早期に決めてくれたお陰で、“お抱え家庭教師”の私としてはその開放感が強かったのかもしれない。 ずい分のんびりうだうだと正月を過ごしてしまった感覚がある。 


 少し前の朝日新聞の別刷「be」において、「『食う』『寝る』、どっちが好き?」 との読者のアンケート記事が掲載されていた。

 この質問の「食う」を「飲む」に置き換えるならば、原左都子の回答は断然「飲む」であるぞ!
 それは置いておいて、今回は「食う」or「寝る」とのアンケートであるため、それに応えるならば私は 「寝る」 に重点を置きたいと即答する。

 朝日新聞記事の読者の回答を紹介すると、「食う」が56%、「寝る」が44%とやや「食う」が上回っているものの、両者が拮抗状態である。
 そりゃそうであろう。 「食う」「寝る」共に生命体にとってなくてはならないライフラインである。 どちらを好むか否かにかかわらず、この二者を満たしていかねば生命体の維持、発展が全う出来るはずもない。


 それにしても、「食う」には恵まれた環境にありつつ 「寝る」 が満たされない人種が増殖している現代社会を私は懸念する。

 例えば“鬱病”等神経・精神疾患を患っている人達とは、処方薬剤の副作用で睡眠が阻害される症状等の影響が日常的に併発するようだ。 それを医師に訴えると、今度は睡眠薬を処方されるらしい…  
 薬剤処方の安易な医療の堂々巡りで神経精神疾患を改善できるすべもないであろうに…

 
 片や「食う」事にままならない人種も、発展途上国のみならず、一応先進国の範囲内と認識されている欧米各国も加えて、現在世界中で量産されている程の世界的経済危機状態である。
 これに関しては、各国国政の健全化と世界規模での協力体制構築に今後頼らざるを得ないのではなかろうか?

 あるいは「食」に生きる糧を求め過ぎるがばかりに、メタボ人生を歩む人々の今後の行く末も懸念するべきであろう。


 そうこう考察して来ると、今現在の世界中の人民の生命体にとって 「食う」 「寝る」 両者共にはずせないことは私が言わずとも自明である。
 
 それにしても、私が経営法学を志向して学問に励んだ30代前半に、経営学の基礎として学んだ“マズローの欲求段階説”の底辺である人間にとっての最低限の生理的欲求の課題が、今の時代に“「食う」「寝る」どっちが好き?” との形で朝日新聞に問われるとは予想だにしていなかった…。
 
 これをショックと位置付けるのではなく、戦後間もない頃に年配者である我々が生まれその後歩んだ道程が大いなる過ちであったことを認め、今後の世界を生き延びる次世代の発展を祈りたいものである。