先週の話になるが、正月に我が家の玄関先に飾った“注連(しめ)飾り”を取り外すため玄関から外に出ようとした私は、やわら自分の“身体的特徴”を思い起こした。
「あっそうだ。 頭にガーゼを貼った姿のまま玄関先で作業をするのをご近所の人が見ると、どうしたんだろう?と勘ぐるだろうか?」
それに我が娘が応えて曰く、 「じゃあ、帽子を被って作業をしたら」
「私が替わりに作業するよ」とでも言ってくれるのかと思いきや、未熟な世代なりの突拍子もないアドバイスに爆笑しつつ 「それじゃあ、まるで“不審者”だよ」 と応えた私である。
この話が分かりにくい読者の方々も多いことと推測して、少し補足説明をさせていただこう。
原左都子は今から遡る事16年程前に“癌”を患っている。 その後癌の再発転移もないままこの通り元気に日々を過ごしているのだが、人知れず癌手術跡の“置き土産”を頭部に一生抱えるはめとなっているのだ。
この“後天性”の我が身体的特徴をカバーするため、普段家庭内では頭にガーゼを貼って対応している。(参考のため、外出時にはオーダーウィッグ使用の状況)
子どもが小さい頃は“ガーゼ頭”のまま外に出ざるを得ない機会が多かったのだが、やはり周囲からの奇異なものを見るような視線は避けられなかったものだ。 現在の住所地に転居して以降、たとえ近隣にも“ガーゼ頭”を披露することは避けた方が無難と判断し、玄関からある程度長時間外に出る時(例えばゴミ出し等)には必ずウィッグを着用することにしている。
ところが一番厄介なのが、冒頭の事例のごとく玄関先での人との対応や作業等に際してである。 相手が宅配便等の業者である場合、今の時代従業員教育が徹底している様子で我が“ガーゼ頭”に疑義を呈する場面は皆無である。 一方で近隣の皆さんはどうかと考察するに、日々のお付き合いが希薄状態の現状において、一見して異様な身体特徴情報を自分からみだりに発信して不審感を募ることのないよう対応するのが、今の時代はスマートなのかとの結論に至るのである。
さて、何故このような我が“後天性”の身体事情を冒頭で綴ったのかというと、本日(1月14日)の朝日新聞“悩みのるつぼ”に於いて、38歳女性による 「身体的特徴を言われるのが嫌」 との相談を発見したからである。
この相談の題目を一見して原左都子の脳裏に浮かんだのは、この女性は一体如何なる“身体的特徴”を抱え苦悩しておられるのかとの懸念感と、一種の野次馬興味心である。
早速、上記の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
38歳の女性であるが、人はなぜ他人の身体的特徴をわざわざ声に出して言うのだろうか? 言われてうれしい事ならまだしも、本人が気にしている特徴をわざわざ指摘することが理解できない。 私が自分の身体的特徴にコンプレックスを持っているからそう思うだけなのか… 若い頃ならまだしも、最近になっても仲の良い友達に突然言われ腹が立っている。 気にし過ぎであろうか。 こんなテーマで人と話したことがないが、助言をお願いしたい。
この相談の回答者であられる作家 車谷長吉氏 の回答においては、氏自らが生まれ持った重度の疾患故に授かった身体的特徴を抱えつつ辛い思いをした過去の事情を語っておられる。
これは私が癌を患ったばかりに、その後頭にガーゼを貼って普段暮らさねばならない事情と重複するものであろう。
一方、今回の“悩みのるつぼ”相談者である38歳の女性の身体的特徴とは、原左都子が想像するに、おそらく先天的あるいは家庭育成環境等において備わった外見的事情に関する単なる“見栄え”の話なのではかなろうか?
大変失礼ながらここでその身体的特徴の事例を直言してしまうと、例えば「チビ」とか「短足」とか、「垂れ目」とか「出っ歯」(そういうのをひっくるめて世間では「ブス」と表現しているようだが)、 あるいは「デブ」とか… 単にその種の指摘に対してこの女性は悩んでおられるのではなかろうか??
上記の事例の中で 「デブ」 を別の位置付けにしたのには私なりの“クラス分け”理由がある。 その他の事象に関しては先天的に備わった要因に間違いないであろうが、大人の「デブ」等の体型的事情に関しては私はあくまで自己責任の範疇と捉えているからだ。
と言うのも、私自身もいい年をして人に言われて不快な言葉があるのだ。 それは「痩せてる」だの「細い」だのという我が体型に関する指摘である。
原左都子の現在の体型に関しては本エッセイ集バックナンバーで幾度となく綴っているが、自分の理想に基づいて何十年来保ち続けているものだ。 この体型を保つために涙ぐましいまでの努力をしている訳ではないが、我が理想とするスレンダー体型を主体的に保持している事にケチを付けられる事は私とて我慢ならない。
ところが、普段意外とこの言葉を投げつけられる場面が多い現状である。 そのような場合、こちらとしても「あなたこそそのメタボ体型を改善するべきじゃないですか!」などと言い返したくもなるというものだ。
今回の“悩みのるつぼ”の相談者である38歳女性が如何なる身体的特徴をお持ちなのかに関しては具体的に明記されていないため、私には想像がつかない。
それにしても、それが回答者の車谷氏のような先天的疾患とか原左都子のような癌罹患故の置き土産の部類でなければよいのだが…。
もしもあなたが生まれ持って授かった身体的特徴を自分の欠点と捉え悩んでいるとしても、あなたの今後の人生の歩みによっては、その“身体的特徴”を超越したあなた自身の存在を受け入れてくれる人物が必ずや出現する事と私は信じる。
これは決して無責任な発言ではなく、人とは“身体的特徴”よりも“人格”が上回っている事を私が今までの人生経験によって確信しているからに他ならない。
「あばたもえくぼ」「ブスも3日で慣れる」との“格言”とは、決して“身体的特徴”においてコンプレックスを抱えている人を単に励まそうとの意図の言葉ではないのだ。
そうではなくて、元々人間とは他者とのかかわりにおいて“人格”で勝負するべきとの格言であると私は解釈しているぞ。
「あっそうだ。 頭にガーゼを貼った姿のまま玄関先で作業をするのをご近所の人が見ると、どうしたんだろう?と勘ぐるだろうか?」
それに我が娘が応えて曰く、 「じゃあ、帽子を被って作業をしたら」
「私が替わりに作業するよ」とでも言ってくれるのかと思いきや、未熟な世代なりの突拍子もないアドバイスに爆笑しつつ 「それじゃあ、まるで“不審者”だよ」 と応えた私である。
この話が分かりにくい読者の方々も多いことと推測して、少し補足説明をさせていただこう。
原左都子は今から遡る事16年程前に“癌”を患っている。 その後癌の再発転移もないままこの通り元気に日々を過ごしているのだが、人知れず癌手術跡の“置き土産”を頭部に一生抱えるはめとなっているのだ。
この“後天性”の我が身体的特徴をカバーするため、普段家庭内では頭にガーゼを貼って対応している。(参考のため、外出時にはオーダーウィッグ使用の状況)
子どもが小さい頃は“ガーゼ頭”のまま外に出ざるを得ない機会が多かったのだが、やはり周囲からの奇異なものを見るような視線は避けられなかったものだ。 現在の住所地に転居して以降、たとえ近隣にも“ガーゼ頭”を披露することは避けた方が無難と判断し、玄関からある程度長時間外に出る時(例えばゴミ出し等)には必ずウィッグを着用することにしている。
ところが一番厄介なのが、冒頭の事例のごとく玄関先での人との対応や作業等に際してである。 相手が宅配便等の業者である場合、今の時代従業員教育が徹底している様子で我が“ガーゼ頭”に疑義を呈する場面は皆無である。 一方で近隣の皆さんはどうかと考察するに、日々のお付き合いが希薄状態の現状において、一見して異様な身体特徴情報を自分からみだりに発信して不審感を募ることのないよう対応するのが、今の時代はスマートなのかとの結論に至るのである。
さて、何故このような我が“後天性”の身体事情を冒頭で綴ったのかというと、本日(1月14日)の朝日新聞“悩みのるつぼ”に於いて、38歳女性による 「身体的特徴を言われるのが嫌」 との相談を発見したからである。
この相談の題目を一見して原左都子の脳裏に浮かんだのは、この女性は一体如何なる“身体的特徴”を抱え苦悩しておられるのかとの懸念感と、一種の野次馬興味心である。
早速、上記の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
38歳の女性であるが、人はなぜ他人の身体的特徴をわざわざ声に出して言うのだろうか? 言われてうれしい事ならまだしも、本人が気にしている特徴をわざわざ指摘することが理解できない。 私が自分の身体的特徴にコンプレックスを持っているからそう思うだけなのか… 若い頃ならまだしも、最近になっても仲の良い友達に突然言われ腹が立っている。 気にし過ぎであろうか。 こんなテーマで人と話したことがないが、助言をお願いしたい。
この相談の回答者であられる作家 車谷長吉氏 の回答においては、氏自らが生まれ持った重度の疾患故に授かった身体的特徴を抱えつつ辛い思いをした過去の事情を語っておられる。
これは私が癌を患ったばかりに、その後頭にガーゼを貼って普段暮らさねばならない事情と重複するものであろう。
一方、今回の“悩みのるつぼ”相談者である38歳の女性の身体的特徴とは、原左都子が想像するに、おそらく先天的あるいは家庭育成環境等において備わった外見的事情に関する単なる“見栄え”の話なのではかなろうか?
大変失礼ながらここでその身体的特徴の事例を直言してしまうと、例えば「チビ」とか「短足」とか、「垂れ目」とか「出っ歯」(そういうのをひっくるめて世間では「ブス」と表現しているようだが)、 あるいは「デブ」とか… 単にその種の指摘に対してこの女性は悩んでおられるのではなかろうか??
上記の事例の中で 「デブ」 を別の位置付けにしたのには私なりの“クラス分け”理由がある。 その他の事象に関しては先天的に備わった要因に間違いないであろうが、大人の「デブ」等の体型的事情に関しては私はあくまで自己責任の範疇と捉えているからだ。
と言うのも、私自身もいい年をして人に言われて不快な言葉があるのだ。 それは「痩せてる」だの「細い」だのという我が体型に関する指摘である。
原左都子の現在の体型に関しては本エッセイ集バックナンバーで幾度となく綴っているが、自分の理想に基づいて何十年来保ち続けているものだ。 この体型を保つために涙ぐましいまでの努力をしている訳ではないが、我が理想とするスレンダー体型を主体的に保持している事にケチを付けられる事は私とて我慢ならない。
ところが、普段意外とこの言葉を投げつけられる場面が多い現状である。 そのような場合、こちらとしても「あなたこそそのメタボ体型を改善するべきじゃないですか!」などと言い返したくもなるというものだ。
今回の“悩みのるつぼ”の相談者である38歳女性が如何なる身体的特徴をお持ちなのかに関しては具体的に明記されていないため、私には想像がつかない。
それにしても、それが回答者の車谷氏のような先天的疾患とか原左都子のような癌罹患故の置き土産の部類でなければよいのだが…。
もしもあなたが生まれ持って授かった身体的特徴を自分の欠点と捉え悩んでいるとしても、あなたの今後の人生の歩みによっては、その“身体的特徴”を超越したあなた自身の存在を受け入れてくれる人物が必ずや出現する事と私は信じる。
これは決して無責任な発言ではなく、人とは“身体的特徴”よりも“人格”が上回っている事を私が今までの人生経験によって確信しているからに他ならない。
「あばたもえくぼ」「ブスも3日で慣れる」との“格言”とは、決して“身体的特徴”においてコンプレックスを抱えている人を単に励まそうとの意図の言葉ではないのだ。
そうではなくて、元々人間とは他者とのかかわりにおいて“人格”で勝負するべきとの格言であると私は解釈しているぞ。