原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

モンスター患者 VS. モンスター医師

2012年12月01日 | 医学・医療・介護
 最近、「モンスター患者」なる俗語が出現しているそうだ。

 学校現場に於ける「モンスターペアレント」同様、上記俗語も病院現場で医師や医療従事者に対して理不尽な要求をしてくると病院側が判断する患者に対し、それを鬱陶しいと感じる“病院側”があくまでも身勝手な観点から名付けた言葉なのであろう。

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて、幾度か「モンスターペアレント」をテーマにした記事を公開している。
 その中で、この原左都子も子どもが高校を卒業するまで、おそらく学校から「モンスターペアレント」と後ろ指を指されていたであろうとの感覚があることを披露している。 
 何分我が子が昨年高校を卒業するまで、学校が施す教育の内容や運営に関して異議を唱えたい場合、担任をはじめ場合によっては学校長宛にも数多くの意見書を提出してきた。 (私の場合は一般的な“モンスター”によく見られるごとくの電話あるいは直に会って異議申し立てをするのではなく、あくまでも「意見書」との文書形式により冷静に対応してきたつもりではある。) 
 それでも、学校現場にとっては直接感情をぶちまける保護者より、むしろ私のような一応の礼儀を心得る保護者の方が数段扱いにくく、対応に難儀する存在であろうことは想像がつく。


 さて、「モンスター患者」に話を戻そう。
 私自身が元医学関係者であることが第一の理由で、日頃体調不良があれども自己診断に頼りそもそも病院へはほとんど行かないため、近年病院現場に於いて異議申し立てを唱える機会自体がない。

 それでも若かりし頃には病院で、診察医師の医学的見解・診断に異論を申し立てた経験がある。
 今から約30数年前、私が20代前半の頃の話だが、当時はまだまだ病院現場で医師が威張り腐っていた時代背景だった。
 ある日病院受診をした時、安易な診断の上投薬指導をしようとした医師に対し、若気の至りの私は医学関連の知識を持ち出して異論を唱えたのだ。 そうしたところ、それまで比較的冷静に対応していた医師が突然怒り出し、我が見解に反論をぶちまけ始めるではないか!  (その内容とは「鉄欠乏性貧血」発症機序及びそれに対する投薬の有効性議論だった。)のだが、さしあたって診察医の突然の怒りに驚き、医師としてのプライドに触れたであろう我が無礼を反省した。 そこで、とりあえず「すみません」と謝り処方された鉄剤をもらって帰ったものの、私には(詳細説明はここでは割愛するが)「鉄剤」の有効性がない事は既に承知していたためすべてを廃棄処分とした。 

 ただこの若かりし日の病院での経験は後々まで我がトラウマとして残ってしまい、その後病院受診において自分が医学関係者であることを名乗るのを一切控える手段に出ようと決めた。 そして病院受診時には決して医師に逆らわず、医師の診断内容を自分なりに分析して対応してきている。
 その後はもっとその思いを進化させ、生命に直結する疾患ではないと自分が判断する限り医師の診断を仰ぐ事自体を控え現在に至っている。

 そんな私も娘幼少の頃よりの度重なる病院受診時には、娘の担当医ととことん話し合わせてもらっている。 おそらく時代背景的に医療の世界に於いても、医師が患者の話を聞くべきとの時代へと進化したのであろう。
 それでもやはり過去のトラウマから、親の私が元医学関係者であることを医師に告げる事は一切控えている。
 ある時、娘の病状に関して担当医と議論を重ねていた際、担当医先生の方から「前々から感じていたのですが、もしかしたらお母様は医学関係者ではありませんか?」なる質問を頂いたのだ。  これは好都合だった。 そうと分かってもらえた方が後々の娘の成長がスピードアップするというものだ! 「実はそうです。」と答えた後はそれまで以上に担当医先生との情報交換が有意義となったものである。
 それにしても現在に至って尚、患者側のバックグラウンドにまでに思いが及ぶ上記のような貴重な医師先生は、この世において極少数派であると私は感じる。
 それを慮って、やはり私は病院受診時には元医学関係者である事に関して一切言及しないことを貫き通している。 


 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、少し古くなるが朝日新聞11月7日「声」欄の投書を見た事による。
 早速、54歳主婦による 「『現象だけ話して』という医師」 と題する投稿を以下に要約して紹介しよう。 
 「症状の現象だけを話しなさい。あなたの考えを話されると診断の邪魔になります」と、診療所の医師にひどく怒られた。 これによりショックを受けた私は結局他の病院で診断してもらうことにしたが、患者が心身の不安を訴えるのはごく普通のことではないのか。 それを聞きたくない医師にとって病とは何なのか考えあぐねる日々だ。 最近「モンスター患者」という言葉を耳にするが、医師の接し方に患者がモンスターに変わる引き金が潜んでいる場合があると感じる。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書より要約引用)


 私論を述べる前に、ウィキペディア上で公開されている「モンスター患者」に関して、以下にかいつまんで紹介しよう。
 モンスターペイシェント(モンスター患者、怪物患者等)とは医療従事者や医療機関に対して自己中心的で理不尽な要求果ては暴言・暴力を繰り返す患者や、その保護者等を意味する和製英語である。 医療現場でモラルに欠けた行動をとる患者をこのように呼ぶようになっている。
 医学・医療技術の進歩に伴い様々な病気の治療法が見つかり治療されているが、まだ全ての病気を治癒させることができる訳ではないのに加え、現在尚死に至る病気もある。
 しかし、医療知識が乏しい一般人は「病院に行けばすぐに治る」「薬を飲めばすぐに治る」という希望ないし過度の期待を抱きがちである。自分のイメージした治癒にならない場合に病院や医療従事者に対して強い不満をぶつけたり理不尽な要求を繰り返す患者が増え始め、社会問題化している。
 また医師法第19条には医療機関に患者の診療義務を課すいわゆる「応召義務」が規定されているがその結果病院は度を越した行動をとる患者に対しての毅然とした対応をとりにくく、病院に診療拒否権がないことを盾にとる患者が増加していることもモンスターペイシェントの増加の背景になっているとの指摘がある。
  「モンスター患者」の具体例として、踵骨骨折で生命に別状はないので医師は3日後の手術を予定したが「新聞社で医療を担当している」と伝え受診当日の緊急手術を強要。  医師から兄への治療法の説明の場に同席し執拗な質問を繰り返し、医師に無料で長時間の時間外労働を強要。  緊急性のない蓄膿症で夜間に救急外来を受診し、緊急CT検査と同日の結果説明を強要する。等…
 (以上、ウィキペディア情報を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 上記ウィキペディア内の「モンスター患者」事例は至って特異的であろうと私は推察するのだがどうだろう。
 この種の特異的事例を列挙していることから察して、冒頭で述べた通り 「モンスター○○」 との俗語とは、それに迷惑を感知している被害妄想の強い側から発せられている俗語である事が証明できると言うものだ。

 上記朝日新聞「声」欄の投書など、原左都子が若気の至りで医師相手に専門力を振りかざして喧嘩を売ったごとくの事例とは大違いで、あくまでも一般庶民からの切実な訴えと私は捉える。
 そう判断した場合、今の時代に尚「声」欄のごとく「現象だけ話して」と患者の前でのたまう医師が存在する事の方こそがやはり責められるべきであろう。

 医師の皆さん、日々ご多忙であられることは重々承知申し上げているが、それならば現在於かれている自らの職業環境改善を図るべく少しは行動してはいかがだろうか?
 今の時代、医師に限らずすべての職業においてこの経済難に際し切羽詰っているのが実情であろう。 少し前の時代に世間で厚遇された職種とて今後の展開は未知数である。
 
 医師や病院にとって実質的収入源の“顧客”である多様化した患者を敵対視するがごとく「モンスター」呼ばわりする行為とは、イコール 自身を「モンスター医師」と認める醜態でしかなく、今後の医療業界ひいては経済発展の視点からも避けるべきと私は心得るのだが…