12月初旬、折りしも私が南米アルゼンチンに旅立つ3日前の出来事である。
義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いた。
身内曰く、「十二指腸潰瘍らしいが…」
私も過去に十二指腸潰瘍を患った経験があるが、それにしてもそれが理由で突如入院とは相当潰瘍が悪化しているのであろうか??
こういう場合、元医学関係者の私が直接姉の担当医と面談して病状を聞くのが一番手っ取り早いとは感じつつ、血縁ではなく、しかも普段姉とさほど親しい付き合いをしている訳でもないのに、ここは私がしゃしゃり出るべきではないと冷静に判断した。
そして翌日、身内、義母及び義理姉の息子が病院へ出向き詳細を確認することと相成った。
そこで得た義理姉の病状を身内の話により再現しよう。
姉が医院を受診した当初のきっかけは貧血症状だったようだ。 腹部の痛み等の症状は特段なかったとのことである。 医院にて諸検査の後、医師より大きな病院の紹介を受け早めの診察指示があったらしい。 それに従い姉が早速紹介大病院を受診したところ、急きょ入院を指示され諸検査と相成った。 それと平行して貧血の程度が重いため即刻輸血が施されたとのことだ。
さしあたっての各種検査の結果としては、貧血は消化器系からの下血によるもの、そして膵臓に腫瘍があるとのことでもある。 マイクロスコープによる胃腸検査の結果、特段胃腸に異常は見当たらないとのようだが…。 近いうちに膵臓の腫瘍を摘出する手術実施予定とも、身内から聞いた。
身内の話によると、義理姉は一見元気にしているとのことだ。 身内にとって本人の“一見元気そうな”姿の印象が強いのか、医師から上記病状の説明を受け一安心して我が家に帰宅したようだ。
その話を身内から聞かされた私の脳裏には、一瞬にして暗雲が立ち込めた…。
輸血が必要な程の大量下血!?! さしあたり胃腸の異常が見当たらないとの事は、その下血は膵臓の腫瘍に由来していると考えるべきではないのか。 そうだとすると、その腫瘍は既に相当悪化しているとも判断できる。 手術で摘出できるとよいのだが…
そんな不吉な予感が過ぎった私であるが単なる憶測範疇に過ぎないため、医学的知識のない身内には伏せることにした。
そして身内に訪ねて曰く「アルゼンチンへは行っていいよね?」 応えて身内曰く「もちろんだよ。 ○子(私のこと)が家にいたって何かの役に立つ訳ではないし」
私の診断では義理姉は「膵臓癌」に間違いないと思いつつ、確かに身内が言う通り手術が終わるまでは動きようがないため、私は予定通り南米へ旅立った。
帰国後、姉の手術は12月19日予定とのことで、私の留守中一家は平穏に経緯していたようだ。 私としても外遊中の姉の手術を免れられ、一家の一員としては一安心である。
そして手術の翌日である20日(一昨日のことだが)朝、病院へ行った義母から身内へ術後の一報が入ったようだ。
義母との電話の後、身内から話を聞いた私は愕然とした。
義理姉は私の診断通り「膵臓癌」だったのだが、その悪化度合いが私の予想より数段進行していたのだ! 医師の説明によると、癌が大きく動脈を傷つけるため手術によっては摘出不能なため、今後抗癌剤投与で様子をみるとの事だ。
そして医師より付け加えられたのは、義理姉の「余命は長くて1年、短ければ3か月」…
既に要介護の身でケアマンションに入居している義母には、その夜、私から連絡を取った。
さぞや憔悴し切っているであろうと思いきや、意外や意外、冷静に義母が私に告げる。
「実は私も長女の緊急入院直後からこういうことになるであろうことは想定していた。 今現在は娘の余命3か月と考えて行動するべきと思う。 そうした場合、私の保証人や財産管理を今まで姉に任せていたが今後は長男の嫁である○子さん(私)にもお手伝いいただくことになるし、どうかよろしくお願いしたい。」
「もちろん、その心積もりは出来ています!」と力強く返答をするのが今の私の責務であり精一杯の返答であろう。
それにしても、義理姉への「余命告知」をどうするべきか?
これについても身内と話し合ったのだが、最終決断をするのは姉の一番の身内である配偶者氏と息子氏であろう。 当然ながら血縁でもない私が口出しする場面ではない。
元医学関係者としてこの種の話題に触れる機会は今まで多く、自分自身は是非共「余命告知」をして欲しいとの考えを貫いて来た私である。
ところが現実的にこの場面に直面すると、気弱になりその考えが傾いてしまうのはどうしたことか? 病状が悪化しているにもかかわらずとりあえず自分自身が元気であるならば、そのまま放って置いて欲しい思いすらする。
ましてや抗癌剤投与により心身が大打撃を受けた状況下で、「お前の余命は1年以内!」などと家族から告げられたものなら、癌経験者でもあり抗癌剤の痛みを知り抜いている私としては、もう死に至る階段を上り詰めるしか方策が取れない気もする。
現在集中治療室で病魔と闘っている義理姉自身は、自分の余命の程を未だ知らないでいるとのことだ。
そんな姉の人生とは如何程だったのだろう?
身内とは言えども私とはまったく別世界の暮らしをしているが故に、それを思い図ることは困難である。
私が知る限りでは早期に父母から生前贈与された財産をフル活用し、贅沢三昧の暮らしぶりのようだ。 常にブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味として、海外旅行にも頻繁に出かけていた様子だ。 親しい友人達とランチにディナーの日々グルメ三昧だったとの話も義母より多少見聞している。
それはそうとして、「余命告知」とは如何なる家族、如何なる患者にとっても過酷な現実であろう。
義理姉が歩んだ人生に沿うような「余命告知」が可能かどうか、我が身に照らしてみても究極に困難な課題を突きつけられた我が親族である。
義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いた。
身内曰く、「十二指腸潰瘍らしいが…」
私も過去に十二指腸潰瘍を患った経験があるが、それにしてもそれが理由で突如入院とは相当潰瘍が悪化しているのであろうか??
こういう場合、元医学関係者の私が直接姉の担当医と面談して病状を聞くのが一番手っ取り早いとは感じつつ、血縁ではなく、しかも普段姉とさほど親しい付き合いをしている訳でもないのに、ここは私がしゃしゃり出るべきではないと冷静に判断した。
そして翌日、身内、義母及び義理姉の息子が病院へ出向き詳細を確認することと相成った。
そこで得た義理姉の病状を身内の話により再現しよう。
姉が医院を受診した当初のきっかけは貧血症状だったようだ。 腹部の痛み等の症状は特段なかったとのことである。 医院にて諸検査の後、医師より大きな病院の紹介を受け早めの診察指示があったらしい。 それに従い姉が早速紹介大病院を受診したところ、急きょ入院を指示され諸検査と相成った。 それと平行して貧血の程度が重いため即刻輸血が施されたとのことだ。
さしあたっての各種検査の結果としては、貧血は消化器系からの下血によるもの、そして膵臓に腫瘍があるとのことでもある。 マイクロスコープによる胃腸検査の結果、特段胃腸に異常は見当たらないとのようだが…。 近いうちに膵臓の腫瘍を摘出する手術実施予定とも、身内から聞いた。
身内の話によると、義理姉は一見元気にしているとのことだ。 身内にとって本人の“一見元気そうな”姿の印象が強いのか、医師から上記病状の説明を受け一安心して我が家に帰宅したようだ。
その話を身内から聞かされた私の脳裏には、一瞬にして暗雲が立ち込めた…。
輸血が必要な程の大量下血!?! さしあたり胃腸の異常が見当たらないとの事は、その下血は膵臓の腫瘍に由来していると考えるべきではないのか。 そうだとすると、その腫瘍は既に相当悪化しているとも判断できる。 手術で摘出できるとよいのだが…
そんな不吉な予感が過ぎった私であるが単なる憶測範疇に過ぎないため、医学的知識のない身内には伏せることにした。
そして身内に訪ねて曰く「アルゼンチンへは行っていいよね?」 応えて身内曰く「もちろんだよ。 ○子(私のこと)が家にいたって何かの役に立つ訳ではないし」
私の診断では義理姉は「膵臓癌」に間違いないと思いつつ、確かに身内が言う通り手術が終わるまでは動きようがないため、私は予定通り南米へ旅立った。
帰国後、姉の手術は12月19日予定とのことで、私の留守中一家は平穏に経緯していたようだ。 私としても外遊中の姉の手術を免れられ、一家の一員としては一安心である。
そして手術の翌日である20日(一昨日のことだが)朝、病院へ行った義母から身内へ術後の一報が入ったようだ。
義母との電話の後、身内から話を聞いた私は愕然とした。
義理姉は私の診断通り「膵臓癌」だったのだが、その悪化度合いが私の予想より数段進行していたのだ! 医師の説明によると、癌が大きく動脈を傷つけるため手術によっては摘出不能なため、今後抗癌剤投与で様子をみるとの事だ。
そして医師より付け加えられたのは、義理姉の「余命は長くて1年、短ければ3か月」…
既に要介護の身でケアマンションに入居している義母には、その夜、私から連絡を取った。
さぞや憔悴し切っているであろうと思いきや、意外や意外、冷静に義母が私に告げる。
「実は私も長女の緊急入院直後からこういうことになるであろうことは想定していた。 今現在は娘の余命3か月と考えて行動するべきと思う。 そうした場合、私の保証人や財産管理を今まで姉に任せていたが今後は長男の嫁である○子さん(私)にもお手伝いいただくことになるし、どうかよろしくお願いしたい。」
「もちろん、その心積もりは出来ています!」と力強く返答をするのが今の私の責務であり精一杯の返答であろう。
それにしても、義理姉への「余命告知」をどうするべきか?
これについても身内と話し合ったのだが、最終決断をするのは姉の一番の身内である配偶者氏と息子氏であろう。 当然ながら血縁でもない私が口出しする場面ではない。
元医学関係者としてこの種の話題に触れる機会は今まで多く、自分自身は是非共「余命告知」をして欲しいとの考えを貫いて来た私である。
ところが現実的にこの場面に直面すると、気弱になりその考えが傾いてしまうのはどうしたことか? 病状が悪化しているにもかかわらずとりあえず自分自身が元気であるならば、そのまま放って置いて欲しい思いすらする。
ましてや抗癌剤投与により心身が大打撃を受けた状況下で、「お前の余命は1年以内!」などと家族から告げられたものなら、癌経験者でもあり抗癌剤の痛みを知り抜いている私としては、もう死に至る階段を上り詰めるしか方策が取れない気もする。
現在集中治療室で病魔と闘っている義理姉自身は、自分の余命の程を未だ知らないでいるとのことだ。
そんな姉の人生とは如何程だったのだろう?
身内とは言えども私とはまったく別世界の暮らしをしているが故に、それを思い図ることは困難である。
私が知る限りでは早期に父母から生前贈与された財産をフル活用し、贅沢三昧の暮らしぶりのようだ。 常にブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味として、海外旅行にも頻繁に出かけていた様子だ。 親しい友人達とランチにディナーの日々グルメ三昧だったとの話も義母より多少見聞している。
それはそうとして、「余命告知」とは如何なる家族、如何なる患者にとっても過酷な現実であろう。
義理姉が歩んだ人生に沿うような「余命告知」が可能かどうか、我が身に照らしてみても究極に困難な課題を突きつけられた我が親族である。