少し古い話題になるが、去る1月12日、文部科学省の下村大臣は現在公立学校で実施されている「完全学校週5日制」を見直し、土曜日にも授業をする「6日制」導入の検討を始めると発表した。
文科省が導入しようとしている「学校週6日制導入」の趣旨とは、授業時数を増やした新学習指導要領が既に小中学校で完全実施されているのを受けて、土曜日も使い授業時数を確保して子ども達の学力向上を目指す事にあると言う。
私立学校の中には土曜授業を続けている学校が多く、公私の学力格差拡大懸念を払拭する狙いもあるらしい。
参考のため、この「学校週6日制導入」に関して東京都小学校PTA協議会が10年に実施した調査では、土曜授業について保護者の86%と教員の38%が「必要」、保護者の7%と教員の52%が「反対」だったとの事だ。
(以上、ネット情報より要約引用)
冒頭より「学校週6日制導入」に関する本エッセイ集著者である 原左都子の私論の結論を記させていただくと、表題に掲げた通り基本的に「反対」派である。
その論拠は後に述べることとしよう。
この下村文科相の発言を受けて、朝日新聞1月21日「社説」に 「土曜授業 答を急ぐことはない」 と題する論評が掲載された。
以下にその一部を要約して引用しよう。
下村大臣は土曜日の授業を復活させたい意向を示したがその問題提起はわかる。 一方で、学校週5日制は週末を家族とゆったり過ごすライフスタイルをもたらした。土曜も授業となれば親子の会話が減る。そこをどう考えるか。 学校が土曜完全休みになったのは11年前。ゆとりの学習指導要領とともに始まった。 公立校の勉強だけでは足りないという不安が保護者に広がり、塾に通うお金がある家庭とそうでない家庭で学力に差がついた。都市部では土曜も授業をする私立に子どもが流れた。 横浜市教委のアンケートでは保護者の7割が土曜授業に賛成した。 大臣は「世論の理解はあると思う」と言う。
日本の子に足りないのは応用力と学ぶ意欲。知識よりも考える力である。 増えるべきは実験や観察、討論に振り向けるべきだ。 教職員も交代で休めるよう増やす必要がある。これは容易なことではない。 週末の暮らしが様変わりすることだろう。部活動や地域の子ども向けの催し、スポーツ教室や習い事、塾は土曜休みを前提に営まれている。 家族の遠出も減るかもしれない。 社会への様々な影響があり得る。 答を急ぐことはない。
(以上、朝日新聞1月21日「社説」よりその一部を要約引用)
ここで、原左都子の私事に入らせていだだこう。
我が家の場合“特異的事例”であるかもしれない点をまずはお断りしておく。
我が子が生まれながらに若干の事情を抱えていたこともあり、医学及び教育学分野のバックグラウンドがある母の私が「お抱え家庭教師」として我が子就学以前より教育指導を担当してきている。 娘が持って生まれた個性に対する私なりの専門力に基づく「指導計画・展望」があり、かつ娘が抱えている事情を一番理解していると自負する母の私自身が、我が子の教育を小学校入学後も可能な限り“私主体”に執り行いたい希望が強かった。
そうは思えど当然ながら小中校は義務教育課程であるため、保護者とは子どもを公教育現場の学校へ通わせる義務を法制度上負っている。 それをもどかしく思いつつも、とりあえずは2002年時点で土曜が完全に休みになることを待ちわびていたとも言える。
上記朝日新聞「社説」に記されているごとく、数多くの保護者が“公立校の勉強だけでは足りない”との不安を持ったとの経験は、原左都子に関してはただの一度もない。 我が子は私の指導の下、十二分に学習に励んでくれた。 むしろ、その他分野の我が子の個性や能力に応じた活動をする時間が十分取れないことにやきもきさせられたものだ。
例えば、我が子は音楽やダンス(バレエ)、造形絵画方面に幼少時より興味を抱いていたためその方面の習い事に長年励ませて来たのだが、小学校高学年、はたまた私立中学進学後にはこれに裂く時間が十分に取れない事態に難儀させられた。
“学習指導”は私が全面的にフォローするものの、娘の趣味や能力に応じた他分野活動の時間がもっと欲しかったものだ。 もしも学校で費やす時間が短く済めば、その分野の専門家氏に娘の成長を委ねるべく多くの時間を確保できたのにと、どれ程残念に思ったことか…
結局は小中高学校現場が土曜日も授業に当てるとの方策を採用するならば、立場が弱い保護者はそれに従わざるを得ない現状だ。
我が家の娘の場合、所属私立中高が土曜日授業を行っていたため他分野活動に十分な時間が取れなかったものの、私自身が学習指導において「お抱え家庭教師力」を発揮した結果、第一志望大学への公募制推薦合格が叶い、現在大学生となり学業に励んでいるためまだしもマシな立場であるのだろう。
そうではなく他分野での能力の発揮・成就が学習よりも主たる願望である家庭のご子息は、一体全体土曜日も学校へ行かねばならない“弊害”と如何に闘って来られた(行かれる)のであろうか?!?
最後に原左都子の私論でまとめよう。
下村文科相は、「学校週6日制導入」こそが我が国の児童生徒の学力上昇に繋がるとお考えのようだが、その発想は一体如何なる根拠によるものなのか??
真にこの国を支えている人材達が過去に歩んだ道程を、今一度捉え直すことも重要であろう。
現在安倍政権はその経済政策である「アベノミクス」を政治理念の中心に掲げているようだ。 そうであるとして、この国の経済発展を民間レベルで真に支えてきた人物の過去の経歴にまで遡った場合、必ずしも小中高の学力が秀でていた訳でもなかろう。 小中高時点で学校教員から低評価されたとて、そんなもの取るに足りない事象であり、本人の真の実力が試される実社会の中ではさほどの影響を及ぼさないのが世の常でもある。
それが理解できたならば現自民党政権とて、今後義務教育過程に於いて何を優先するべきかに関する方針が自ずと限定できるであろう。 最優先するべきは、子どもの個性に応じた“学ぶ場の多様化”に他ならないと私は考える。
あくまでも社会的弱者保護観点から土曜日も学校を運営するべきと自民党政権が捉えているとするならば、原左都子とてそれを少しは応援したいものだが…。 少なくとも土曜日登校は各家庭の判断により自由選択とする等、融通性を持たせて欲しいものである。
文科省が導入しようとしている「学校週6日制導入」の趣旨とは、授業時数を増やした新学習指導要領が既に小中学校で完全実施されているのを受けて、土曜日も使い授業時数を確保して子ども達の学力向上を目指す事にあると言う。
私立学校の中には土曜授業を続けている学校が多く、公私の学力格差拡大懸念を払拭する狙いもあるらしい。
参考のため、この「学校週6日制導入」に関して東京都小学校PTA協議会が10年に実施した調査では、土曜授業について保護者の86%と教員の38%が「必要」、保護者の7%と教員の52%が「反対」だったとの事だ。
(以上、ネット情報より要約引用)
冒頭より「学校週6日制導入」に関する本エッセイ集著者である 原左都子の私論の結論を記させていただくと、表題に掲げた通り基本的に「反対」派である。
その論拠は後に述べることとしよう。
この下村文科相の発言を受けて、朝日新聞1月21日「社説」に 「土曜授業 答を急ぐことはない」 と題する論評が掲載された。
以下にその一部を要約して引用しよう。
下村大臣は土曜日の授業を復活させたい意向を示したがその問題提起はわかる。 一方で、学校週5日制は週末を家族とゆったり過ごすライフスタイルをもたらした。土曜も授業となれば親子の会話が減る。そこをどう考えるか。 学校が土曜完全休みになったのは11年前。ゆとりの学習指導要領とともに始まった。 公立校の勉強だけでは足りないという不安が保護者に広がり、塾に通うお金がある家庭とそうでない家庭で学力に差がついた。都市部では土曜も授業をする私立に子どもが流れた。 横浜市教委のアンケートでは保護者の7割が土曜授業に賛成した。 大臣は「世論の理解はあると思う」と言う。
日本の子に足りないのは応用力と学ぶ意欲。知識よりも考える力である。 増えるべきは実験や観察、討論に振り向けるべきだ。 教職員も交代で休めるよう増やす必要がある。これは容易なことではない。 週末の暮らしが様変わりすることだろう。部活動や地域の子ども向けの催し、スポーツ教室や習い事、塾は土曜休みを前提に営まれている。 家族の遠出も減るかもしれない。 社会への様々な影響があり得る。 答を急ぐことはない。
(以上、朝日新聞1月21日「社説」よりその一部を要約引用)
ここで、原左都子の私事に入らせていだだこう。
我が家の場合“特異的事例”であるかもしれない点をまずはお断りしておく。
我が子が生まれながらに若干の事情を抱えていたこともあり、医学及び教育学分野のバックグラウンドがある母の私が「お抱え家庭教師」として我が子就学以前より教育指導を担当してきている。 娘が持って生まれた個性に対する私なりの専門力に基づく「指導計画・展望」があり、かつ娘が抱えている事情を一番理解していると自負する母の私自身が、我が子の教育を小学校入学後も可能な限り“私主体”に執り行いたい希望が強かった。
そうは思えど当然ながら小中校は義務教育課程であるため、保護者とは子どもを公教育現場の学校へ通わせる義務を法制度上負っている。 それをもどかしく思いつつも、とりあえずは2002年時点で土曜が完全に休みになることを待ちわびていたとも言える。
上記朝日新聞「社説」に記されているごとく、数多くの保護者が“公立校の勉強だけでは足りない”との不安を持ったとの経験は、原左都子に関してはただの一度もない。 我が子は私の指導の下、十二分に学習に励んでくれた。 むしろ、その他分野の我が子の個性や能力に応じた活動をする時間が十分取れないことにやきもきさせられたものだ。
例えば、我が子は音楽やダンス(バレエ)、造形絵画方面に幼少時より興味を抱いていたためその方面の習い事に長年励ませて来たのだが、小学校高学年、はたまた私立中学進学後にはこれに裂く時間が十分に取れない事態に難儀させられた。
“学習指導”は私が全面的にフォローするものの、娘の趣味や能力に応じた他分野活動の時間がもっと欲しかったものだ。 もしも学校で費やす時間が短く済めば、その分野の専門家氏に娘の成長を委ねるべく多くの時間を確保できたのにと、どれ程残念に思ったことか…
結局は小中高学校現場が土曜日も授業に当てるとの方策を採用するならば、立場が弱い保護者はそれに従わざるを得ない現状だ。
我が家の娘の場合、所属私立中高が土曜日授業を行っていたため他分野活動に十分な時間が取れなかったものの、私自身が学習指導において「お抱え家庭教師力」を発揮した結果、第一志望大学への公募制推薦合格が叶い、現在大学生となり学業に励んでいるためまだしもマシな立場であるのだろう。
そうではなく他分野での能力の発揮・成就が学習よりも主たる願望である家庭のご子息は、一体全体土曜日も学校へ行かねばならない“弊害”と如何に闘って来られた(行かれる)のであろうか?!?
最後に原左都子の私論でまとめよう。
下村文科相は、「学校週6日制導入」こそが我が国の児童生徒の学力上昇に繋がるとお考えのようだが、その発想は一体如何なる根拠によるものなのか??
真にこの国を支えている人材達が過去に歩んだ道程を、今一度捉え直すことも重要であろう。
現在安倍政権はその経済政策である「アベノミクス」を政治理念の中心に掲げているようだ。 そうであるとして、この国の経済発展を民間レベルで真に支えてきた人物の過去の経歴にまで遡った場合、必ずしも小中高の学力が秀でていた訳でもなかろう。 小中高時点で学校教員から低評価されたとて、そんなもの取るに足りない事象であり、本人の真の実力が試される実社会の中ではさほどの影響を及ぼさないのが世の常でもある。
それが理解できたならば現自民党政権とて、今後義務教育過程に於いて何を優先するべきかに関する方針が自ずと限定できるであろう。 最優先するべきは、子どもの個性に応じた“学ぶ場の多様化”に他ならないと私は考える。
あくまでも社会的弱者保護観点から土曜日も学校を運営するべきと自民党政権が捉えているとするならば、原左都子とてそれを少しは応援したいものだが…。 少なくとも土曜日登校は各家庭の判断により自由選択とする等、融通性を持たせて欲しいものである。