原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“人間ジュークボックス” 私もできますよ~♪

2013年02月16日 | 音楽
 (写真は、「ジュークボックス」の元祖とも言える「蓄音機」や「オルゴール」「自動演奏ピアノ」等々の写真。 原左都子が2011年8月に訪れた石川県金沢市に位置する“金沢蓄音器館”のパンフレット写真より転載。)

 現在放送中のNHK連続テレビ小説「純と愛」に於いて、 「ジュークボックス」 が一つのキーワードとなっているようだ。
 主人公純の“おじい”(祖父)が沖縄宮古島で経営していたホテルに、この「ジュークボックス」がロビーに燦然と置かれていた。  時は流れ行きホテル経営が武田鉄矢氏演ずる父親に移行した後には、その「ジュークボックス」はロビーの片隅に放置されたままとなる。ただし既に壊れていて音は発しない状態だ…。  ところがホテルの破産と共に、ロビーのジュークボックスも純の目の前で廃品として何処へ回収されてしまう…。 とのドラマのストーリー展開である。

 「ジュークボックス」なるものをご存知の国民は、おそらくある年代以上の世代の方々に限定されるであろう。
 そこでまずは「ジュークボックス」とは何かに関して、ウィキペディア情報を参照しつつ以下に私なりに紹介しよう。
 ジュークボックスとは現在言うところの「自動販売機」の一種であり、内部に多数のレコードを内蔵し硬貨を投入すると任意の音楽を演奏する機械である。
 ジュークボックスが発展する以前の19世紀の時代には、(冒頭写真のごとく)オルゴールや自動ピアノが存在していた。 
 1889年に米国サンフランシスコに初めてジュークボックスが設置された記録がある。 その装置とはエジソン蓄音器に聴音管を4つ付け、硬貨投入口を独立に動作できるシステムであったようだ。  その後電気録音とアンプが考案され、1927年にはレコードを選択できるジュークボックスが発売され成功を収めた。 1950年に45回転のシングル版が登場した後はその方向へ移行した。
 "juke box" という用語は、1940年ごろからアメリカ合衆国で使われはじめたらしい。 元々西部劇によく出てくるような飲食やギャンブルを楽しむ店を "juke joint" と呼んでおり、それが語源となっているとのことだ。
 1940年頃から60年代にかけてジュークボックスは極めて収益性の高い産業だった。 日本には戦後に進駐軍が導入したとのことで、1970年代まで飲食業やホテルなどに設置されて全盛期を迎えたと言われている。 しかし1980年代になるとCDやカラオケの登場で市場が小さくなり、従来型のものは姿を消した。
 (以上、ウィキペディア情報より要約引用)


 音楽好きの原左都子も、70年代頃までの若かりし時代には様々なシーンで「ジュークボックス」のお世話になって来ている。

 我が記憶によると、喫茶店やゲームセンター、はたまた一部の小規模ディスコにジュークボックスの設置が施されていた。 100円コインを入れ自分が好きな音楽をセットすると、その楽曲が客室空間全体に流れるシステムだ。 当時の「ジュークボックス」装置の魅力とは、“この楽曲が聞きたかった! この曲で踊りたかった!!”と志を同じくする見知らぬ顧客間での有言無言のコミュニケーションが成り立つ事だったのではなかろうかと私は懐古するのだが、皆さんはいかがであろうか?

 その後年月を経て、私が最後に「ジュークボックス」を経験したのは、我が子が幼き頃に訪ねた東京池袋サンシャインシティに位置する「ナンジャタウン」に於いてである。
 昭和の時代を再現したアミューズメントパークである「ナンジャタウン」に、何と昭和時代の産物であるジュークボックスが設置されていた。  おそらくこれは当時の最新鋭技術により復活させたデジタル版機種であることには間違いないが、それでも私はジュークボックスの存在自体に感動し100円を投じて娘の好みの楽曲を選択させたのだ。  当時のナンジャタウンのジュークボックスはキャラクターも一緒に動いてくれる大掛かりな装置だったことのみは憶えているが、今となっては娘が何の曲を選択したかの記憶すらない。

 そんな「ジュークボックス」ありき日々は当の昔に過ぎ去り、まさに今はカラオケ時代に変貌を遂げている。


 さて、冒頭のNHK連続テレビ小説「純と愛」に話を戻そう。

 先週の当該ドラマ内で放映された“人間ジュークボックス”に大いに対抗意識を燃やされた原左都子である。
 何でも、ドラマの中では今まで一言も口をきかない暗い少女だった“かすみちゃん”とやらが、暗い少女時代に一人で歌を歌い“人間ジュークボックス”に成れるがごとくの歌唱ボキャブラリーがあるとの事だ。

 ちょっと待ってよ、かすみちゃん!  とでも言おうか?!?
 この原左都子、特別暗い少女時代を送った訳ではない(多少“天邪鬼少女”だったことは認める…)のだが、私はきっとかすみちゃんに比して歌に関するボキャブラリーが1000倍豊富であることを自負しているよ!!
 それが証拠に、先だっての放送の中で貴方が歌った「ひなまつり」とて3番まですべて正確に歌えるし、愛(いとし)くんのお母さんがリクエストした「朧月夜」など、アルトバージョンをハモれるよ。 それからモーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」ならば歌って踊ってみたいものだよ!

 
 それにしても、NHKドラマが提案した“人間ジュークボックス”に今回いたく感動した私である。
 そうか、そういう職種があったか! と感じながら、これって結局昔からある「流し」と同様であることに気付きつつ…… 

 今時「流し」が流行らないのは十分に理解できる思いだ。
 みんな、人の歌を聞くより自分で歌を歌いたいのよ。 歌好きな人種は皆カラオケに通ってるのが現状だよね~  あるいは、NHK「のど自慢」に出るとか??
 「人間ジュークボックス」との職種は、NHKドラマ内の設定範囲を超越できないのは歴然だね…

 NHK連続テレビ小説「純と愛」もドラマの終盤が迫っているが、ここに来てむやみに“人の絆”を強調し過ぎる不自然さに違和感を抱かされる。  愛(いとし)ママまでが軟弱化する等々シナリオ設定に無理が生じ、現実世界の時代背景とのギャップが大きく開いて来ている事を残念に思う私だが……