現日本国憲法 第二七条に、 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」 との定めがあるが、その文言通り、日本国民は皆、勤労の権利を有し義務を負っている。
と同時に、すべての国民は様々な都合により勤労を辞する権利も有していると私は解釈している。
冒頭から、今回のエッセイテーマの原左都子の結論を記そう。
労働基準法に準拠する範囲内である限り、本人が職を辞したい場合その時期がいつであろうと、本人の主体的意思で退職を決定して何らの問題もないと私は普段より捉えている。
「原左都子エッセイ集」本日の記事においては、地方自治体「教員」にターゲットを絞り、現在世を騒がせている「駆け込み退職」現象に関して私論を展開したいと考える。
国家公務員の退職金減額措置に連動して、全国各地の地方自治体でも地方公務員の退職金を減額する条例改正に着手している。
この措置により、今年3月まで働いて受け取る退職金より改正条例が施行される前に自己都合退職により受け取る退職金の方が多くなる「逆転現象」が起き、全国の自治体で1月時点で早期退職する教員が続出した。
全国自治体学校教員による「駆け込み退職」現象に戸惑った学校現場の子ども達や保護者の実情を受けて、下村文科相は「最後まで職責を全うしていただきたい」と呼びかけているとのことだが…
この問題を受け、朝日新聞1月27日付社説において「駆け込み退職 子への影響防ぐ知恵を」 と題する記事が掲載された。
以下に、その一部を要約して紹介しよう。
いつ辞めるかは先生や職員の判断次第だが、児童生徒が割を食うのは理不尽だ。自治体は子ども達に悪影響を生じさせない対策をとる必要がある。 一方で、損しても働けと強いる事も出来ない。 制度設計の問題こそが大きい。 (3学期は)進路選びなどの大事な時期である。担任教師が代わるのは子ども達にとって望ましくない。教室に大きな影響が出ないようにすることを優先して考えたい。 下村文科相は退職者慰留の説得を各教委に求めている。 それに従い、佐賀県教委は早期退職した教員の大半を臨時任用制度を利用して残した。短期間で人を探すのは難しいし、同じ人を再任した方が教育活動に支障が出ないと判断した。 この騒ぎで教師不信を募らせる人もいるが、辞めた人にもどんな事情があったかは分からない。
(以上、朝日新聞社説より一部を要約引用)
上記の朝日新聞「社説」を受けて、その内容に対し何点かの疑義を抱く原左都子である。
早速、我が疑義に関する私論に入ろう。
まず第一点。
学校現場の教員が今回「駆け込み退職」をしたことにより、風評が飛び交っているがごとく児童生徒や保護者に実際それほどの「混乱」を招いているのであろうか?? 3学期は進路選び等で大切な時期だから、そんな時期に退職者を出すのは望ましくない???
ここで原左都子自身が遠い過去に、小学校現場に於いて児童の立場で経験した私事を述べさせていただくこととしよう。
小学校4年生の時の出来事だ。 担任である50歳前後程の女性教諭が「糖尿病」を患っているとのことで、担任であるにもかかわらず普段より職務を休む日が多かった。 この教員は学校現場に於いてはベテランの位置付けにあるようで、休みが多いにもかかわらず、学校職員や保護者の間で“擁護論”が幅を利かせている事を幼き私は十分に理解していた。
この担任、生来備わっている気質としてたちが悪いことに暴言暴力を日々生徒に投げつけるのだ。(教員の生徒児童への暴力が未だ肯定されていた時代背景である。) これに大いなる抵抗感を常に抱いていた私は、ある時母に訴えた。「担任の○○先生は暴言暴力を振るうから私は嫌いだ。どうにかして欲しい。」… ところが母から返って来た回答とは「先生は糖尿病を患って大変なのよ。自分の体が辛いからそのような行動に出ることを分かってあげて…」 おそらくそのように子どもに説得するよう、保護者は学校側から指導されていたと私は当時から察していた。
そうこうしていたところ、この「糖尿病」担任の容態が悪化して2学期途中から入院する事となり、一切学校には来なくなった。 これが私にとっては何ともラッキーだった! その後を引き継ぎ臨時採用担任が赴任してきたのだが、若き女性教師は我がクラスに間違いなくフレッシュな環境をもたらしてくれた! その代替教員のお陰でクラスの皆が活性化して子どもらしく楽しい学校生活が成り立った記憶がある。
原左都子の提言として、教員個人が抱えている事情の程はともかく辞めたい人には辞めてもらうことこそが、児童生徒は元より学校現場全体をリフレッシュできるまたとはない好機なのではなかろうか。
今現在の学校現場においては、まさか重病を抱えている教員を子ども達の担任として配属させていない事と信じたいが、そうである教員には管理者側から率先して退職を導くように動くべきとも思う。
朝日新聞「社説」を受けて抱く原左都子の疑義・異論のもう一点。
上記我が小学生時代の私事と重複するが、教員退職者を臨時任用教員として即刻雇い直す事は是非共避けるべきである。
「社説」の最後に記されている通り、辞めたい人にはどんな事情があるのか分かったものではない。 まずは「辞めたい」との本人の意思を尊重して“すっぱりきっぱりと”退職させてあげようではないか。 そして、臨時教員を雇い直せばよい話だ。
過去において高校非常勤講師の経験もある私は、非常勤教員登録制度の実態に関しても把握している。 今の時代臨時任用、あるいは非常勤教員希望者は掃いて捨てる程に存在するであろう。 若手のその種の人材を是非共学校現場で活用して欲しい。 その中に、素晴らしい教員資質を持つ人材が必ずや掘り起こされるものである。
次に、朝日新聞1月29日「声」欄 55歳男性による「駆け込み退職、恥じることない」と題する投書の一部を紹介しよう。
小学校高学年の時、春闘で授業が自習になったことがある。 その時、担任の先生が教室で話して下さった。 「聖職という言葉があるが、教師を聖職と考えるのはおかしい。 働いてお金を稼いで生活している賃金労働者だ。」 後任者への引継ぎや生徒への説明はきちんとする必要はあろう。 また、自身の退職の意味を、教員最後の教えとして生徒達に誠実に伝えていただければ何よりである。
最後に原左都子の私論でまとめよう。
上記「声」欄の春闘に出た教員と私の思想とは、おそらくそのバックグラウンドが大幅に異なる事と推測する。 それにしても 「教師が聖職」 などとは今時この世に生きる人間は誰も考えてもいないことであろう。
だからこそ、“教員”だから「駆け込み退職」をしてはいけないなどとの論理は、既にこの世において成り立たないと結論付けたい。
教員とて、一労働者の権利として自由に職を辞せばよい。
確かに、自分を信じてくれていた(?)生徒や保護者に対する説明責任は果すべきであろう。
それを実行した暁には世論になど翻弄されることなく、かつ自分は教育者だったなどとの思い上がりを鬱陶しくも周囲にチラつかせるでもなく、自分なりの新たな人生を歩めば済む話であろう。
と同時に、すべての国民は様々な都合により勤労を辞する権利も有していると私は解釈している。
冒頭から、今回のエッセイテーマの原左都子の結論を記そう。
労働基準法に準拠する範囲内である限り、本人が職を辞したい場合その時期がいつであろうと、本人の主体的意思で退職を決定して何らの問題もないと私は普段より捉えている。
「原左都子エッセイ集」本日の記事においては、地方自治体「教員」にターゲットを絞り、現在世を騒がせている「駆け込み退職」現象に関して私論を展開したいと考える。
国家公務員の退職金減額措置に連動して、全国各地の地方自治体でも地方公務員の退職金を減額する条例改正に着手している。
この措置により、今年3月まで働いて受け取る退職金より改正条例が施行される前に自己都合退職により受け取る退職金の方が多くなる「逆転現象」が起き、全国の自治体で1月時点で早期退職する教員が続出した。
全国自治体学校教員による「駆け込み退職」現象に戸惑った学校現場の子ども達や保護者の実情を受けて、下村文科相は「最後まで職責を全うしていただきたい」と呼びかけているとのことだが…
この問題を受け、朝日新聞1月27日付社説において「駆け込み退職 子への影響防ぐ知恵を」 と題する記事が掲載された。
以下に、その一部を要約して紹介しよう。
いつ辞めるかは先生や職員の判断次第だが、児童生徒が割を食うのは理不尽だ。自治体は子ども達に悪影響を生じさせない対策をとる必要がある。 一方で、損しても働けと強いる事も出来ない。 制度設計の問題こそが大きい。 (3学期は)進路選びなどの大事な時期である。担任教師が代わるのは子ども達にとって望ましくない。教室に大きな影響が出ないようにすることを優先して考えたい。 下村文科相は退職者慰留の説得を各教委に求めている。 それに従い、佐賀県教委は早期退職した教員の大半を臨時任用制度を利用して残した。短期間で人を探すのは難しいし、同じ人を再任した方が教育活動に支障が出ないと判断した。 この騒ぎで教師不信を募らせる人もいるが、辞めた人にもどんな事情があったかは分からない。
(以上、朝日新聞社説より一部を要約引用)
上記の朝日新聞「社説」を受けて、その内容に対し何点かの疑義を抱く原左都子である。
早速、我が疑義に関する私論に入ろう。
まず第一点。
学校現場の教員が今回「駆け込み退職」をしたことにより、風評が飛び交っているがごとく児童生徒や保護者に実際それほどの「混乱」を招いているのであろうか?? 3学期は進路選び等で大切な時期だから、そんな時期に退職者を出すのは望ましくない???
ここで原左都子自身が遠い過去に、小学校現場に於いて児童の立場で経験した私事を述べさせていただくこととしよう。
小学校4年生の時の出来事だ。 担任である50歳前後程の女性教諭が「糖尿病」を患っているとのことで、担任であるにもかかわらず普段より職務を休む日が多かった。 この教員は学校現場に於いてはベテランの位置付けにあるようで、休みが多いにもかかわらず、学校職員や保護者の間で“擁護論”が幅を利かせている事を幼き私は十分に理解していた。
この担任、生来備わっている気質としてたちが悪いことに暴言暴力を日々生徒に投げつけるのだ。(教員の生徒児童への暴力が未だ肯定されていた時代背景である。) これに大いなる抵抗感を常に抱いていた私は、ある時母に訴えた。「担任の○○先生は暴言暴力を振るうから私は嫌いだ。どうにかして欲しい。」… ところが母から返って来た回答とは「先生は糖尿病を患って大変なのよ。自分の体が辛いからそのような行動に出ることを分かってあげて…」 おそらくそのように子どもに説得するよう、保護者は学校側から指導されていたと私は当時から察していた。
そうこうしていたところ、この「糖尿病」担任の容態が悪化して2学期途中から入院する事となり、一切学校には来なくなった。 これが私にとっては何ともラッキーだった! その後を引き継ぎ臨時採用担任が赴任してきたのだが、若き女性教師は我がクラスに間違いなくフレッシュな環境をもたらしてくれた! その代替教員のお陰でクラスの皆が活性化して子どもらしく楽しい学校生活が成り立った記憶がある。
原左都子の提言として、教員個人が抱えている事情の程はともかく辞めたい人には辞めてもらうことこそが、児童生徒は元より学校現場全体をリフレッシュできるまたとはない好機なのではなかろうか。
今現在の学校現場においては、まさか重病を抱えている教員を子ども達の担任として配属させていない事と信じたいが、そうである教員には管理者側から率先して退職を導くように動くべきとも思う。
朝日新聞「社説」を受けて抱く原左都子の疑義・異論のもう一点。
上記我が小学生時代の私事と重複するが、教員退職者を臨時任用教員として即刻雇い直す事は是非共避けるべきである。
「社説」の最後に記されている通り、辞めたい人にはどんな事情があるのか分かったものではない。 まずは「辞めたい」との本人の意思を尊重して“すっぱりきっぱりと”退職させてあげようではないか。 そして、臨時教員を雇い直せばよい話だ。
過去において高校非常勤講師の経験もある私は、非常勤教員登録制度の実態に関しても把握している。 今の時代臨時任用、あるいは非常勤教員希望者は掃いて捨てる程に存在するであろう。 若手のその種の人材を是非共学校現場で活用して欲しい。 その中に、素晴らしい教員資質を持つ人材が必ずや掘り起こされるものである。
次に、朝日新聞1月29日「声」欄 55歳男性による「駆け込み退職、恥じることない」と題する投書の一部を紹介しよう。
小学校高学年の時、春闘で授業が自習になったことがある。 その時、担任の先生が教室で話して下さった。 「聖職という言葉があるが、教師を聖職と考えるのはおかしい。 働いてお金を稼いで生活している賃金労働者だ。」 後任者への引継ぎや生徒への説明はきちんとする必要はあろう。 また、自身の退職の意味を、教員最後の教えとして生徒達に誠実に伝えていただければ何よりである。
最後に原左都子の私論でまとめよう。
上記「声」欄の春闘に出た教員と私の思想とは、おそらくそのバックグラウンドが大幅に異なる事と推測する。 それにしても 「教師が聖職」 などとは今時この世に生きる人間は誰も考えてもいないことであろう。
だからこそ、“教員”だから「駆け込み退職」をしてはいけないなどとの論理は、既にこの世において成り立たないと結論付けたい。
教員とて、一労働者の権利として自由に職を辞せばよい。
確かに、自分を信じてくれていた(?)生徒や保護者に対する説明責任は果すべきであろう。
それを実行した暁には世論になど翻弄されることなく、かつ自分は教育者だったなどとの思い上がりを鬱陶しくも周囲にチラつかせるでもなく、自分なりの新たな人生を歩めば済む話であろう。