先だってのNHKテレビ放送に於いて、俳優の中尾彬氏が若手女性タレントから「2月14日は何の日だか知っていますか?」なんたらかんたら… と声かけされる場面があった。
それに応えて中尾彬氏が多少鬱陶しそうに、 「何の日? 分からないな~」と返したのが何とも小気味よかった天邪鬼の私である。
いやはや、若輩タレントとして大先輩の俳優であられる中尾氏に軽々しく持ちかける質問ではないであろう。
その日の番組のテーマが「チョコレート」だったかどうかの記憶はないが、2月14日に国民の一部にチョコレートを贈る(配る)習慣があろうがどうであろうが、そんな事は原左都子だってどうでもいい話題であり空虚感のみが漂ってしまった…。
そうしたところ若輩タレントが追い討ちをかけて曰く、「中尾さん、バレンタインデーに決まっているじゃないですか! 中尾さんだって奥様からチョコレートが届くでしょ?」どうのこうのと、またもや恥の上塗りを晒すではないか。
「この年齢になるとそういう事もなくなるよ…」と中尾氏が冷ややかに返答したような記憶があるが、まさにおっしゃる通りである。
NHK番組制作者としては近日中に迫っている「バレンタインデー」を意識して、「チョコレート」の話題を番組テーマとして取り上げたのであろう。 そうであるならば、ゲスト出演者の選択をもう少し配慮するべきではなかっただろうか。
原左都子はそもそも若い頃より、「バレンタインデー」なる日本に於ける特殊な習慣をさほど好意的に捉えていない人種である。
それに関して2011年2月に公開したバックナンバー 「男性の皆さん、チョコもらえましたか?」 と題するエッセイの一部を今一度以下に反復させていただこう。
私は中高生頃の未熟な時期を除き、我が国の商業主義に操られて世間が騒ぐ“バレンタインデー”との軽薄かつ歪んだ慣習を鬱陶しく感じる人種である。
ただそんな私も、この日にかこつけて日頃お世話になっている男性達に“ちょこ”っとチョコなど手渡そう程度の範囲内でこの歪んだ慣習を利用しようと狙ったりもした。 昔企業組織に所属していた時期には大量の“義理チョコ”を配った経験もある。
その最たるものが「原左都子エッセイ集」バックナンバーで綴った、今尚忘れもしない職場の男性から“強制された”30個を超える義理チョコだったのだ! 職場の男性陣が30人以上もいるのに対して女性はたったの2人…。 この義理チョコを購入するための費用が莫大である事に辟易としつつも当日チョコを配ったら これがな・な・なんと 「海老で鯛を釣る!」 結果となったことをバックナンバーで披露している。 1ヶ月後の3月14日のホワイトデーに届いた“お返し”たるや、“交際申し込み”も含め絢爛豪華だったのだ。
私が日本においては単に商業主義論理で根付いている2月14日の“バレンタインデー”を肯定的には捉えていないとは言えども、年頃の娘を抱える母の身として毎年これに係わらざるを得ない。 我が娘も母である私の影響を大いに受けつつ育っていることもあり、商業主義に流されるままにチョコを配ることに関して抵抗感があるようだ。 それ故に毎年私に相談に来る。「学校の先生達に配るべきか?」どうかと……。 娘の説明によると、娘が所属している私立女子中高校ではバレンタインデーに生徒が教員にチョコを配ることを容認しているとのことだ。 しかも先生達よりのお返しの内容が凄い! 特に校長のホワイトデーの生徒へのお返しが、なんと! ブランド品だと言うではないか!!? この一私学の教育現場で繰り広げられているバレンタインデーの実態を一保護者として如何に捉えるべきかと首を傾げつつも、娘には「自分の好きにすればいい」との指導しか出来ない私だ。 結局、今年も先生達へはチョコを配らない選択決断をした我が娘ではあるが…。
バレンタインデーという日本特有の“歪んだ”慣習に、毎年胃を痛めている若年層の男性陣が日本国内に数多いことであろう。 たかが取るに足りない慣習とは思ってみても、学校で、職場で、あるいは家庭で一個の「義理チョコ」も届かない男性の“侘しさ”や“疎外感”を察して余りある私でもある。 しかも国内製菓業界は“ホワイトデー”なる男性からのお返し慣習も根付かせてしまっている…。
それにしても男性の皆さん、どうなのでしょう? 一つもチョコが届かなかった方々は世間から見放された感覚ですか? あるいは本日女性からチョコをもらった男性にとって、そのチョコは本当に美味しいのでしょうか?
(以上「原左都子エッセイ集」バレンタインデーに関するバックナンバー記事より一部を引用)
朝日新聞報道によると、現在の「バレンタインデー」の日本国内の慣習は時代と共に様変わりしている様子でもある。
2月5日朝日新聞記事によれば、恋人以外の人に日頃の感謝を伝える機能を「バレンタインデー」は担いつつ現在成り立っているとのことであるが…
ところがこれとて記事を読み進めていくと、要するに「商業主義」主導であることを思い知らされる内容である。
例えば、東京都中央区に位置する「プランタン銀座」が“義理チョコ”に関するお金の調査をしたとの記述だ。 その調査によると職場女性の配布数平均値が10個程度、一個当たりの単価が1280円。その負担が重過ぎるからもっと気軽でインパクトあるバレンタインデーの提案をしたとのことだが…。
上記に記した通り、私が過去において職場で配布した「義理チョコ」負担総額はもっと多額だった。 時は「バブル経済」期だったことを思い知らされるが、贈る側、贈られる側双方に経済力がある時代だったからこそ叶った我がバレンタインデー「義理チョコ」騒動ではなかっただろうか。
時代は大きく変遷した。
この現状においても職場の女性達が男性陣に「義理チョコ」を贈るがためにそれほどの努力をせねばならないのか? あるいは、それをもらった男性陣が同様の経済負担をして「ホワイトデー」にお返しを義務化されるのだろうか?
もうそろそろ、日本国民を「バレンタインデー」との“縛り”から解放してあげようではないか。
日本の伝統的な「贈り物」の儀式は他にも数多く存在する。 それを超越するかのごとく「バレンタインデー」が若者世代を巻き込みつつ我が国の文化領域に潜入し過ぎていると感じるのは私のみか?
少なくとも「義理」で贈り物をする悪習など、断ち切るべきであろう。
何も「バレンタインデー」や「ホワイトデー」なる商業ベースの慣習に頼らずとて、男女は自分の意思で健全な出会いをしてこそ日本の未来があると私は思うぞ。
それに応えて中尾彬氏が多少鬱陶しそうに、 「何の日? 分からないな~」と返したのが何とも小気味よかった天邪鬼の私である。
いやはや、若輩タレントとして大先輩の俳優であられる中尾氏に軽々しく持ちかける質問ではないであろう。
その日の番組のテーマが「チョコレート」だったかどうかの記憶はないが、2月14日に国民の一部にチョコレートを贈る(配る)習慣があろうがどうであろうが、そんな事は原左都子だってどうでもいい話題であり空虚感のみが漂ってしまった…。
そうしたところ若輩タレントが追い討ちをかけて曰く、「中尾さん、バレンタインデーに決まっているじゃないですか! 中尾さんだって奥様からチョコレートが届くでしょ?」どうのこうのと、またもや恥の上塗りを晒すではないか。
「この年齢になるとそういう事もなくなるよ…」と中尾氏が冷ややかに返答したような記憶があるが、まさにおっしゃる通りである。
NHK番組制作者としては近日中に迫っている「バレンタインデー」を意識して、「チョコレート」の話題を番組テーマとして取り上げたのであろう。 そうであるならば、ゲスト出演者の選択をもう少し配慮するべきではなかっただろうか。
原左都子はそもそも若い頃より、「バレンタインデー」なる日本に於ける特殊な習慣をさほど好意的に捉えていない人種である。
それに関して2011年2月に公開したバックナンバー 「男性の皆さん、チョコもらえましたか?」 と題するエッセイの一部を今一度以下に反復させていただこう。
私は中高生頃の未熟な時期を除き、我が国の商業主義に操られて世間が騒ぐ“バレンタインデー”との軽薄かつ歪んだ慣習を鬱陶しく感じる人種である。
ただそんな私も、この日にかこつけて日頃お世話になっている男性達に“ちょこ”っとチョコなど手渡そう程度の範囲内でこの歪んだ慣習を利用しようと狙ったりもした。 昔企業組織に所属していた時期には大量の“義理チョコ”を配った経験もある。
その最たるものが「原左都子エッセイ集」バックナンバーで綴った、今尚忘れもしない職場の男性から“強制された”30個を超える義理チョコだったのだ! 職場の男性陣が30人以上もいるのに対して女性はたったの2人…。 この義理チョコを購入するための費用が莫大である事に辟易としつつも当日チョコを配ったら これがな・な・なんと 「海老で鯛を釣る!」 結果となったことをバックナンバーで披露している。 1ヶ月後の3月14日のホワイトデーに届いた“お返し”たるや、“交際申し込み”も含め絢爛豪華だったのだ。
私が日本においては単に商業主義論理で根付いている2月14日の“バレンタインデー”を肯定的には捉えていないとは言えども、年頃の娘を抱える母の身として毎年これに係わらざるを得ない。 我が娘も母である私の影響を大いに受けつつ育っていることもあり、商業主義に流されるままにチョコを配ることに関して抵抗感があるようだ。 それ故に毎年私に相談に来る。「学校の先生達に配るべきか?」どうかと……。 娘の説明によると、娘が所属している私立女子中高校ではバレンタインデーに生徒が教員にチョコを配ることを容認しているとのことだ。 しかも先生達よりのお返しの内容が凄い! 特に校長のホワイトデーの生徒へのお返しが、なんと! ブランド品だと言うではないか!!? この一私学の教育現場で繰り広げられているバレンタインデーの実態を一保護者として如何に捉えるべきかと首を傾げつつも、娘には「自分の好きにすればいい」との指導しか出来ない私だ。 結局、今年も先生達へはチョコを配らない選択決断をした我が娘ではあるが…。
バレンタインデーという日本特有の“歪んだ”慣習に、毎年胃を痛めている若年層の男性陣が日本国内に数多いことであろう。 たかが取るに足りない慣習とは思ってみても、学校で、職場で、あるいは家庭で一個の「義理チョコ」も届かない男性の“侘しさ”や“疎外感”を察して余りある私でもある。 しかも国内製菓業界は“ホワイトデー”なる男性からのお返し慣習も根付かせてしまっている…。
それにしても男性の皆さん、どうなのでしょう? 一つもチョコが届かなかった方々は世間から見放された感覚ですか? あるいは本日女性からチョコをもらった男性にとって、そのチョコは本当に美味しいのでしょうか?
(以上「原左都子エッセイ集」バレンタインデーに関するバックナンバー記事より一部を引用)
朝日新聞報道によると、現在の「バレンタインデー」の日本国内の慣習は時代と共に様変わりしている様子でもある。
2月5日朝日新聞記事によれば、恋人以外の人に日頃の感謝を伝える機能を「バレンタインデー」は担いつつ現在成り立っているとのことであるが…
ところがこれとて記事を読み進めていくと、要するに「商業主義」主導であることを思い知らされる内容である。
例えば、東京都中央区に位置する「プランタン銀座」が“義理チョコ”に関するお金の調査をしたとの記述だ。 その調査によると職場女性の配布数平均値が10個程度、一個当たりの単価が1280円。その負担が重過ぎるからもっと気軽でインパクトあるバレンタインデーの提案をしたとのことだが…。
上記に記した通り、私が過去において職場で配布した「義理チョコ」負担総額はもっと多額だった。 時は「バブル経済」期だったことを思い知らされるが、贈る側、贈られる側双方に経済力がある時代だったからこそ叶った我がバレンタインデー「義理チョコ」騒動ではなかっただろうか。
時代は大きく変遷した。
この現状においても職場の女性達が男性陣に「義理チョコ」を贈るがためにそれほどの努力をせねばならないのか? あるいは、それをもらった男性陣が同様の経済負担をして「ホワイトデー」にお返しを義務化されるのだろうか?
もうそろそろ、日本国民を「バレンタインデー」との“縛り”から解放してあげようではないか。
日本の伝統的な「贈り物」の儀式は他にも数多く存在する。 それを超越するかのごとく「バレンタインデー」が若者世代を巻き込みつつ我が国の文化領域に潜入し過ぎていると感じるのは私のみか?
少なくとも「義理」で贈り物をする悪習など、断ち切るべきであろう。
何も「バレンタインデー」や「ホワイトデー」なる商業ベースの慣習に頼らずとて、男女は自分の意思で健全な出会いをしてこそ日本の未来があると私は思うぞ。