4月1日の本日、職場や学校等一般社会現場は「新年度」を迎えた。
私が住む首都東京は少し肌寒いものの早朝から晴れ渡り、フレッシュ新人達の新しい門出に相応しい穏やかな気候である。
昨年大学生になった我が娘も昨年度1年間の学業単位をすべて無事クリアし、本日は2年生として早速大学のガイダンスに出かけた。
我が家の娘が「就職活動」に邁進する身となる日も迫りつつある。 我が子を社会に進出させ自立させねばならない親の立場としては、新卒フレッシュマンが社会へ旅立つ光景は他人事ではない。
本日昼間NHKニュースを見聞していたところ、やはり2番目のニュースとして職場に於ける新入社員入社式典の様子が報道された。 (NHKニュースの場合、毎年大手企業や官公庁を取り上げるのが恒例のようだが今年もその例外ではなかった。
)
この経済不況下に於いて、グローバル戦略により経営赤字から脱出し3年前より黒字転換を達成できた某民間電気メーカーでは、今年は700名を超過する新入社員を採用し入社させたようだ。 新入社員代表女子曰く「我々こそが企業の一員として世界を作り出せるよう精進したい。」(あくまでも原左都子の記憶のみに頼っているため、内容に誤りがある場合お詫びするが。)
東京都庁では千何百人(これまたあくまでも私の記憶に頼っている数値だが)もの新入職員が初登庁を迎えたようだ。 新入代表男子曰く、「都民のニーズを的確に捉え、迅速丁寧な対応に心がけたい」(同上、私の記憶による記述だが…。)
さらには防衛大学新卒者の防衛庁初任官式現場の様子も取り上げられていた。 例年、この式典には内閣総理大臣が出席していると私は記憶しているが、憲法を改定して自衛隊の任務を増強すると意気込んでいる安倍さんは本日ご多忙だったのだろうか? 何故か小野寺防衛大臣が出席し、若き初任者相手に北朝鮮との緊迫した状況や日中韓が置かれている立場につき言及していたような記憶が私にはある。
それにしても……。
何故か新入職員式典のテレビ影像が、原左都子に言わせてもらうと民間・官公庁にかかわらず何処も「暗い」のだ……

その理由は私自身が既に分析済みである。
皆が制服を強制されている職場ばかりを、NHKがニュース報道として取り上げている事が一番の理由であろう。 あるいは普段の職場ではそうでないにしろ、入社式典会場で管理者側が皆に制服着用を強制しているという事なのであろう。
先進国にしてはこの風景、ちょっと怖いよなあ。
ここで原左都子の私事に移らせてもらおう。
私自身も数十年前に医学国家資格を取得しての専門職新入社員として、某民間企業に入社している。
当然ながら入社式はあった。
ところが私の場合、時代背景によるのだろうか、あるいは企業自体が専門分野であったためか、入社式会場では新入社員皆が私服で出席していた。
就職活動の経験すらなく就職試験一発合格の私は、リクルートスーツなる服を購入した経験もない。 入社式当日には一体何を着用したらよいのか多いに困惑したものだ。
結果として色彩のみは抑えたものの、当時自分が気に入っていたひらひらのワンピース姿で入社式に臨んだものだ。
それでも誰かからそれをとがめられるでもなかったし、アフロヘアの医学専門職新入社員も存在するとの、実に“自由かつ良き時代”だったものだ。
(参考のため私が新入社員として入社した企業は、現在東証一部上場を果している。 その企業急成長期に若き我々世代が努力して土台を作り支えて来たからこそ、現在大企業として発展し得たと私は自負しているのだが…)
それに比し何故現代の新入社員群像とはこうも没個性なのかと、NHKニュース影像を見聞して嘆かわしい思いである。
入社式に制服着用を強制されたのならやむを得ないのであろうが、都庁などまさか制服はないであろうに?? それでも若き新人達の皆が皆、制服もどきの黒スーツを着用している風景に私は背筋が寒くなる思いである。
皆と同じ恰好をして「我々が世界を創造する」だの、「ニーズを的確に捉え迅速に対応する」だのと宣言されても、到底信じられないよなあ~~。
その決意の程を、若者には口先のみではなく全身全霊をもって表現して欲しいものだ。
ところが、それを叩き潰しているのは大人側であることは認める。
この世は、政治経済、人間関係すべての分野に於いてとことん貧しくなってしまった。 そんな世の中に生かされている若者達が自己実現を目指し身を立てる場合、その出発点においては、せめてもの礼儀として大人の世界に迎合し無難な対応をすることを余儀なくされるのであろう。 その結果として、晴れの入社式に皆が黒スーツに身をまとう事態となるとも推測できる。
朝日新聞3月27日「社説」に、「解雇規制緩和」に関する興味深い記事が取り上げられていた。
その内容の一部を要約して紹介しよう。
欧米では特定の仕事を前提に人を雇う事が多い。 その仕事がなくなれば整理解雇はやむを得ないと認識されている。 だが日本では大企業を中心に、どんな仕事をさせるのか決めずに新卒を一括採用する。 その後は会社の都合で仕事を与え転勤させる。社員側も仕事がなくなったら別の仕事に回ることを期待する。 この現象とは、正社員は「何でも屋」として長時間労働もいとわないのが当たり前との風土を培った。 一方、会社側は非正規社員の採用等、雇用が二極化した。
95年に日経連がまとめた報告書は、高度な能力を活用する専門職を位置づけた。 ところが、能力を生かした働き方は増えず、雇用の不安定化ばかりが進んだ。 会社側の「いいとこどり」だけの改革なら、日本再生は望めない。
(以上、朝日新聞3月27日「社説」より一部を要約引用。)
繰り返すが、原左都子など元々国家資格を取得する事を条件の専門職員として企業に新卒採用されたが故に、上記朝日新聞社説に記されているごとく「どんな仕事をさせるのか決めずに採用」されるべくはずもなかった。
そんな私にとっては理解し難い部分でもあるのだが、大卒者とは“一応”専門分野の学業を修めて卒業しているはずではないのだろうか? そうであるはずなのに、何故企業から「何でも屋」を期待されるのであろう???
その辺が理解不能なものの、たとえ「何でも屋」として採用された新卒者であろうが、ここは本日NHKニュースに於いても所信(初心?)表明していたごとく、「世界を創造する」べく、あるいは「市民のニーズに迅速に応える」べく、新入職員は若き世代の一員として未来に向け邁進しようではないか!!
私が住む首都東京は少し肌寒いものの早朝から晴れ渡り、フレッシュ新人達の新しい門出に相応しい穏やかな気候である。
昨年大学生になった我が娘も昨年度1年間の学業単位をすべて無事クリアし、本日は2年生として早速大学のガイダンスに出かけた。
我が家の娘が「就職活動」に邁進する身となる日も迫りつつある。 我が子を社会に進出させ自立させねばならない親の立場としては、新卒フレッシュマンが社会へ旅立つ光景は他人事ではない。
本日昼間NHKニュースを見聞していたところ、やはり2番目のニュースとして職場に於ける新入社員入社式典の様子が報道された。 (NHKニュースの場合、毎年大手企業や官公庁を取り上げるのが恒例のようだが今年もその例外ではなかった。

この経済不況下に於いて、グローバル戦略により経営赤字から脱出し3年前より黒字転換を達成できた某民間電気メーカーでは、今年は700名を超過する新入社員を採用し入社させたようだ。 新入社員代表女子曰く「我々こそが企業の一員として世界を作り出せるよう精進したい。」(あくまでも原左都子の記憶のみに頼っているため、内容に誤りがある場合お詫びするが。)
東京都庁では千何百人(これまたあくまでも私の記憶に頼っている数値だが)もの新入職員が初登庁を迎えたようだ。 新入代表男子曰く、「都民のニーズを的確に捉え、迅速丁寧な対応に心がけたい」(同上、私の記憶による記述だが…。)
さらには防衛大学新卒者の防衛庁初任官式現場の様子も取り上げられていた。 例年、この式典には内閣総理大臣が出席していると私は記憶しているが、憲法を改定して自衛隊の任務を増強すると意気込んでいる安倍さんは本日ご多忙だったのだろうか? 何故か小野寺防衛大臣が出席し、若き初任者相手に北朝鮮との緊迫した状況や日中韓が置かれている立場につき言及していたような記憶が私にはある。
それにしても……。
何故か新入職員式典のテレビ影像が、原左都子に言わせてもらうと民間・官公庁にかかわらず何処も「暗い」のだ……


その理由は私自身が既に分析済みである。
皆が制服を強制されている職場ばかりを、NHKがニュース報道として取り上げている事が一番の理由であろう。 あるいは普段の職場ではそうでないにしろ、入社式典会場で管理者側が皆に制服着用を強制しているという事なのであろう。
先進国にしてはこの風景、ちょっと怖いよなあ。

ここで原左都子の私事に移らせてもらおう。
私自身も数十年前に医学国家資格を取得しての専門職新入社員として、某民間企業に入社している。
当然ながら入社式はあった。
ところが私の場合、時代背景によるのだろうか、あるいは企業自体が専門分野であったためか、入社式会場では新入社員皆が私服で出席していた。
就職活動の経験すらなく就職試験一発合格の私は、リクルートスーツなる服を購入した経験もない。 入社式当日には一体何を着用したらよいのか多いに困惑したものだ。
結果として色彩のみは抑えたものの、当時自分が気に入っていたひらひらのワンピース姿で入社式に臨んだものだ。


それに比し何故現代の新入社員群像とはこうも没個性なのかと、NHKニュース影像を見聞して嘆かわしい思いである。
入社式に制服着用を強制されたのならやむを得ないのであろうが、都庁などまさか制服はないであろうに?? それでも若き新人達の皆が皆、制服もどきの黒スーツを着用している風景に私は背筋が寒くなる思いである。

皆と同じ恰好をして「我々が世界を創造する」だの、「ニーズを的確に捉え迅速に対応する」だのと宣言されても、到底信じられないよなあ~~。

その決意の程を、若者には口先のみではなく全身全霊をもって表現して欲しいものだ。
ところが、それを叩き潰しているのは大人側であることは認める。
この世は、政治経済、人間関係すべての分野に於いてとことん貧しくなってしまった。 そんな世の中に生かされている若者達が自己実現を目指し身を立てる場合、その出発点においては、せめてもの礼儀として大人の世界に迎合し無難な対応をすることを余儀なくされるのであろう。 その結果として、晴れの入社式に皆が黒スーツに身をまとう事態となるとも推測できる。

朝日新聞3月27日「社説」に、「解雇規制緩和」に関する興味深い記事が取り上げられていた。
その内容の一部を要約して紹介しよう。
欧米では特定の仕事を前提に人を雇う事が多い。 その仕事がなくなれば整理解雇はやむを得ないと認識されている。 だが日本では大企業を中心に、どんな仕事をさせるのか決めずに新卒を一括採用する。 その後は会社の都合で仕事を与え転勤させる。社員側も仕事がなくなったら別の仕事に回ることを期待する。 この現象とは、正社員は「何でも屋」として長時間労働もいとわないのが当たり前との風土を培った。 一方、会社側は非正規社員の採用等、雇用が二極化した。
95年に日経連がまとめた報告書は、高度な能力を活用する専門職を位置づけた。 ところが、能力を生かした働き方は増えず、雇用の不安定化ばかりが進んだ。 会社側の「いいとこどり」だけの改革なら、日本再生は望めない。
(以上、朝日新聞3月27日「社説」より一部を要約引用。)
繰り返すが、原左都子など元々国家資格を取得する事を条件の専門職員として企業に新卒採用されたが故に、上記朝日新聞社説に記されているごとく「どんな仕事をさせるのか決めずに採用」されるべくはずもなかった。
そんな私にとっては理解し難い部分でもあるのだが、大卒者とは“一応”専門分野の学業を修めて卒業しているはずではないのだろうか? そうであるはずなのに、何故企業から「何でも屋」を期待されるのであろう???
その辺が理解不能なものの、たとえ「何でも屋」として採用された新卒者であろうが、ここは本日NHKニュースに於いても所信(初心?)表明していたごとく、「世界を創造する」べく、あるいは「市民のニーズに迅速に応える」べく、新入職員は若き世代の一員として未来に向け邁進しようではないか!!
