原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

世にテレビがなかったら人はもっと進化できたか?

2013年04月29日 | 時事論評
 今年のゴールデンウィークの前半が早くも過ぎ去ろうとしている。
 いえいえ、5月6日までの10連休を堪能されている最中の方々にとっては、まだまだ連休も序の口なのであろうか?
 
 原左都子にもそういう時代はあったなあ。  年末年始や夏季、そしてゴールデンウィークには比較的長期間の連休を取得しやすい職場に所属していた関係もあって、私もそれに準じていた。
 一体その長期連休に何をして過ごしたかについては、今となってはさほど憶えていない。 年に1度は連休を利用して郷里帰省等の旅行をしたのは確かだが、基本的に混雑を嫌う私である。 何も好き好んで交通網が大混雑のその時期に行楽地に出かけるということは、出来得る限り避けて通ってきた部類だ。

 今年のゴールデンウィークに限って言えば、アベノミクスによる急激な円安や中国に端を発した鳥インフルエンザ騒動を回避するために、国内で過ごす予定の国民が多いとの報道である。
 その中でも“日帰りレジャー”を好天の下に家族連れ等が楽しむ風景は、ニュース報道により日々見聞している。

 一方で連休とは言え、「おこもり系」を堪能する国民が多いとの昨今の情報でもある。 「おこもり系」とは何かと原左都子が説明するでもないが、要するに自宅でのんびりと過ごす派も増えている現実だ。


 原左都子自身がこの連休に一体何をして過ごしているのかと言うと、大きく分類すれば「おこもり系」と言えるだろう。
 と言うよりも私の場合は上に記した通り、元々連休にはさほど関心がない人生を歩んでいるため、連休に入って後に“世は連休なんだなあ~”と感じる程度である。
 しかも我が娘の大学の講義スケジュールが大いに変則的で、本日4月29日も大学の授業が通常通りに実施されるため娘は朝から大学へ行っている。 この要因も大きく、我が家の風景は普段と何らの変わりがないのだ。 

 と言う訳で我が連休中の「おこもり系」の場合、普段の日常とは一切逸脱していないのだが、同じく連休を「おこもり系」で過ごしておられる方々が何を嗜好して自宅で楽しんでおられるのかが多少気にかかる。
 例えば、自宅でテレビを見て過ごされる方々も多いのだろうか?

 などと言いつつ、話題を無理やり今回のエッセイ表題の「テレビ」に振ろうとしている我が魂胆なのだが…。


 「テレビ」と言えば2013年の今年、テレビ放送が60周年を迎えた。 1953年(昭和28年)2月1日にNHKが東京でテレビ放送を始めたのを皮切りに、その後60年もの年月をかけてテレビ放送は発展(??)を遂げ続けている。

 少し古くなるが、テレビ放送60周年に関して朝日新聞4月15日夕刊一面トップに興味深い記事を発見した。
 1953年生まれの朝日新聞編集委員氏が綴った「見たい!叱られたって」と題するコラムの内容の一部を、以下にその前半部分を要約して紹介しよう。
 テレビがない時代に生まれていたら、全く違う人生になっていただろうな。 還暦の年を迎えてつくづくそう思う。 1953年秋に生まれた私は、テレビに育てられたという実感があり、それが長じて新聞記者になった。  何を隠そう私は鹿児島生まれの田舎者であり、山を駆け野ウサギを追うそんな少年時代だった。 テレビとの出会いも東京よりも遅く58年だった。 自宅にテレビが来たのは63年春。その前からテレビがある酒屋などに入り浸り、相撲やプロレスに熱をあげた。 その他、いくら親から叱られても見たい番組が溢れていた。「チロリン村とくるみの木」「名犬ラッシー」…… 
 (以上、朝日新聞記事より要約引用)

 原左都子の私事に移ろう。
 
 上記朝日新聞編集委員氏よりちょうど2歳年下、1955年秋にこの世に生まれ出た私だ。 それにしても同じ“田舎者”として、テレビを初めて体験した感動が我が心に蘇るコラムである。
 我が過疎地の田舎でもテレビの到来及び放送は東京よりも遅かった。 ただ我が家の場合、上記編集委員氏宅よりもテレビを購入するのが早期だったようだ。 原左都子の自宅にテレビが到来したのは1961年だったと記憶している。 周囲に酒屋など一軒もない自宅の周辺住居から、毎晩十数人の近隣住民が我が家のテレビを見るために押し寄せた事も実に思い出深い。
 その(混雑した)環境下では子どもの立場でゆっくりテレビ観賞できないため、私が好んだのは夕方の番組あるいは日曜日午前中に放映されている子供向け番組だった。 上記編集委員氏同様、「チロリン村とくるみの木」や「名犬ラッシー」も懐かしい。 加えて、日曜朝から習字練習に通っていた私が帰宅後見た「狼少年ケン」や「少年忍者藤丸」等々も、そのテーマ音楽とともに今尚忘れ難きノスタルジーである。 

 朝日新聞編集委員氏のコラムの続きを紹介すると、氏はそれでもテレビ業界に就職したいとは思わなかったとのことだ。 テレビが切り取る四角い画面がすべてではないと思ったことが自分を新聞志向にした理由として大きかった、との記述である。


 再び原左都子の私事に移るが、私の場合“マスメディア志向”などとは程遠い人生を送り続けている。
 元々新卒で上京し医学関連企業に就職した後にも、もちろん「テレビ」は見た。 そうとは言え、決してテレビを主体的に愛好していた訳ではない。 天気予報やニュースを最低限度の情報源とした以外、我が趣味の音楽番組等に限定して時間が許す限りで鑑賞したに他ならない。
 特に超多忙で充実した日々を送っていた我が“栄光”の独身時代には、そもそも自宅で過ごす時間自体がなかったものだ。 その頃の私は「テレビ」を堪能できる時間すらなかったと言える。

 そんな私が晩婚当初、身内が帰宅後習慣的にテレビのスイッチを入れる事に付き合ったのが「テレビ」との久々の再会だったとも表現できる。  ところがこれがとんでもなく「やかましいし、鬱陶し!」く、我が脳幹が破裂しそうな感覚なのだ!!
 もうテレビは金輪際勘弁してくれ!!! と身内に訴えつつ、私なりの「テレビ」番組選択権利を徐々に確保しながら、娘と共に現在の「テレビ最小限生活」を我が“人権”の一部として確立して来たとの経緯である。


 「テレビ放送60周年」に関しては、官民放送局共に今後提供する情報の如何によっては評価したい気もする。

 反面あの“いかにも狭い四角平面画像”が、人間の成長を大いに阻害している事実もわきまえるべきだ。 
 放送局各社は、野放図な影像放映ばら撒き行為が自社の膨大な営利に繋がろうと、60年の長き年月に渡り明らかに人類の脳ミソを破壊・破裂し続けた事実をも振り返り、もうそろそろ放送自粛も念頭において行動するべきではなかろうか。