原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「回転寿司」とは、回ってこその役割存在!

2013年04月08日 | その他オピニオン
 原左都子が一番最近「寿司屋」を訪れたのは先月のことである。

 娘が来年1月に成人式を迎えるにあたり今冬既に振袖一式を仕立て、それが届いて早々写真館を予約し、3月初旬に早くも成人式の前撮り写真を撮影した。

 撮影が終了し、さてお昼を何処で食べようか?との段となり私が提案したのが「寿司屋」である。
 「せっかく振袖を着たのだからやっぱり和食だよね。 それにしても来年の成人式までに振袖を汚されては大変!  汁物やソース物を振袖に飛ばしてシミでもつけられたら目も当てられないし…  一口ずつ上品に食べられるお寿司がいいよ。」 「回転寿司の場合、カウンターからお皿を取る時に長い袖を汚す心配があるから、今日は普通の寿司屋のテーブルに座っておしとやかに食べようね。
 
 そんなこんなで「回転」ではないお寿司屋さんを訪れたところ、娘の振袖姿を一見した受付担当の方が、「今日は何かのお祝いですか? よい席を準備しますので少々お待ち下さい。」との歓待を受け、店内の特等席に案内された我々である。
 結果として、慣れない振袖を着た娘は胃袋を帯に締め付けられいつものようには食が進まなかったようだ。 せっかく歓待いただいたのに、美味しいお寿司を残してしまい実に恐縮だった… 


 原左都子の私事を続けるが、飲兵衛人生を貫いている私としては“独身貴族時代”に「寿司屋」(もちろん「回転」ではない)で飲むのが至極の幸福だった感がある。
 その時々の連れ合いと共に二人で“カウンター席”に座るのが外せぬ条件だ。 まずは好きな酒を注文し、カウンターの前のガラス陳列ケースに置かれている魚介類を指差して「これ、つまみで頂けますか?」などと注文する。 それを海藻類等と共に美しく盛り付けたお皿がカウンター越しに寿司職人より差し出される。 その注文を何度か繰り返しつつ最後に握り寿司とお椀物をラストオーダーして、まずは“一次会”をお開きとしたものだ。 (その後も、居酒屋、カラオケ、云々と酒のはしごは続くのだが…) 

 婚姻後娘を産んで以降、世の中は「回転寿司」が主流の世界と相成る。

 これも存分に利用した(している)私だ。
 我が娘は元々食べ物の好き嫌いが多く寿司ネタの好みが激しいものの、「回転寿司」を大いに好む子どもだった。 幼き頃は席の前でカウンターが「回転」している事自体が興味深いのか一生懸命カウンターテーブルを観察しながら、「これ、取って!」と私に訴えたものだ。

 「回転寿司」とは“おひとり様”の身でも通い易い事を利用して、私も昼食時に一人身で幾度か訪ねている。
 私の場合、混雑している場をそもそも好まない。 かと言えども、確かに空いている「回転寿司」店現場では客が手にしない寿司皿が何周もする光景にも遭遇するが、それも見るに耐えない。
 そんな折、私にとっては寿司職人が握っている現場が見えない席に案内され、そこのインターフォンで自分が欲する寿司を注文して回してもらえる「回転寿司」に感激したものである。


 そんな我が回転寿司屋への思いと一致するのか、現在に至っては「回転寿司」が大いに進化(?)を遂げているとのネット情報である。

 以下に、今現在の「回転寿司」の現状を報道しているネット情報を少し紹介しよう。
 
 「これ握って」、回転寿司で注文派が急増 回転レーン全廃、「回らない」店も出現… 回転寿司をめぐる、興味深いデータが出た。最近はレーンで「回っている」寿司を取らず、店員に「注文して」好きな寿司を食べる人が多数派になっているという。 こうした流れを受けて回転寿司店側も、注文システムの充実を進める。最近増えているのが、客席にタッチパネル式の端末を備え付け、画面上から好きなネタを頼めるタイプの店だ。 ここまで来ると、もはや「別に回っている必要がないんじゃ……」という気さえしてくる。 実際、「回らない回転寿司」はすでに存在する。12年にオープンした渋谷の店舗は回転レーンを全廃し、代わりに3列の高速運搬レーンを設置、端末から注文を受け付け次第即座に客の眼前に寿司を届ける。 「好みの寿司が新鮮な状態で早く届くのが、好評のポイントです」と担当者は話す。
 外食不況の中で数少ない成長ジャンルの一つが、105円均一の回転寿司チェーンだ。 これに対し数百円の高級ネタも出すグルメ系回転寿司や、中堅チェーンは生き残りを賭けて新業態を展開。回転寿司業界は今、かつてない激変期に突入している。
 とある寿司チェーン店の常務は、「105円均一という切り口では満足できない層に対して、より優雅な空間で少し贅沢な寿司を食べてもらう提案。105円均一はヤングファミリーやカップルが客層の中心だが、ここでは熟年層や主婦のママ会などをターゲットにしていく」と話す。 店内では職人が目の前で握るカウンター席も用意され、一般の寿司店のように個別注文ができるなど、これまでの回転寿司とは明らかに異なる雰囲気だ。
 (以上、「回転寿司」店の現在の動向に関するネット情報を要約引用。)


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 私もお寿司が大好きである。
 だからこそ、我が栄光の独身時代から現在に至るまで「お寿司屋さん」を外食の一場面としてずっと利用して来ている。

 そんな私にとって「回転寿司」とは、産業(飲食)界における一大革命だった記憶がある。
 和食を好む日本人には「寿司」とは時代を超越して外せない食材であろう。 にもかかわらず、ひと昔前には「お寿司屋さん」とは概して高額で、庶民がそこを訪れ外食として堪能するには気軽に手が届かない分野だった。
 それを“庶民レベル”にまで引き下げた一外食産業である「回転寿司」が、我が国の食文化界で果した役割は大きいと評価するべきであろう。

 それにしても、「回らないお寿司」は従来のお寿司屋さんに任せてはどうなのか?
 
 「回転寿司」屋は現在いつ訪れても混雑している。 それだけでも顧客にとっては実に鬱陶しいが故に、いつまでも“安値多売販売”を余儀なくされる一要因と私は解釈している。
 そうであるとは言え、かつては外食分野に於ける新鋭産業だったであろう「回転寿司」業界が、顧客側の要求に翻弄され中途半端な改革を志す事は危険性が高いのではあるまいか? 
 それよりも、「回転寿司」屋がこの世に生まれ出た使命を今一度鑑みて、やはり寿司を“回し続け”る事により、安価で美味しいお寿司を食したい庶民の要望に応え続けるべきではなかろうか。

 「アベノミクス」とは、庶民を支えている末端事業者を支援するべく機能し得ないと私は展望しているのだが、それでも「回転寿司」は今後共に回ってこそ役割存在を果せると信じたい。