原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

庶民ママ達は “ママ友序列化” がお好き?

2013年04月11日 | 時事論評
 表題に於いて「庶民ママ」なる表現を用いたが、原左都子自身も当然ながら庶民である事を自覚している。

 前政権の某首相経験者のごとく、年老いた母親から兄弟共に何百億円の生前贈与を受ける事が叶うリッチ層とは、この世において1%未満の一握りの存在であろう。
 その他99%以上の人民は皆「庶民」、と私は捉えている。

 私の場合、特に数十年前に上京し職業人として独り立ちして以降、庶民である事を楽しむ人生を歩み続けているとも言える。 
 自分自身の努力と能力(要するに“腕一本”)で“カネ”を稼ぎ、あくまでも細々とではあるが財産を蓄積し、それを元手に不動産物件を購入したり、自分の夢を次々と実行していく事が我が自己実現の一環として何とも面白かった。
 (当エッセイ集バックナンバーにおいて、私には若き頃より「貯蓄」の趣味があること、及びそれを投資資本として諸活動を実施してきた事実に関して再三再四公開している。

 独身時代はそんな自己実現意欲に駆られるままに突き進み、「結婚」や「子育て」にはさほどの興味を抱かずに過ごした後に、晩婚・高齢出産に至った私である。


 さて最近のネット情報によると、近年「ママ友カースト制度」なる新語が庶民ママ友達の間での流行り言葉となっている様子だ。

 ネット上で見つけた「ママカースト」に関する情報の一部を、以下に紹介してみよう。
 4月は子供達の新しい友達関係ができるのと同時に、ママ友が増えるシーズンでもある。 そのママ友のコミュニティには「ママカースト」と呼ばれる格付けがあるという。なぜ母親たちは“格付け”を意識し、“格差社会”を作り上げてしまうのか?
 ママ友間の会話で競争心を刺激して「ママカースト」のテーマになりがちなキーワードとは、“夫の職業や収入”、“実家の資産”、“子供のルックス、学力、運動神経”、“どこのブランドの靴を履いているか、服を購入する場所はどこか、何の化粧品を使っているか”、などなど。 大きくは生活レベルと子供の能力だが、ありとあらゆる基準でママ友同士が比較し合うようになる…  こうした会話の中、ママ友間では上層、中層、下層とグループが分かれ、さらにそのグループ間でも細かく序列が定まっていくようになる。
 各ママ友グループをまとめるのは、いわゆる“ボスママ”といわれる存在だ。「スーパーのレジでベテランがすぐにわかるのと同じで、ママ友のなかでも自信満々にしている人が大抵そのグループのボス。上層グループにいる人は、おおむね自己主張が強く、回りより抜きんでているものがある。 例えば、外車に乗っているとか、夫がいい会社に勤めているとか。 行動や言動に自信があふれている。 逆に中層、下層グループのママ達には自信が見られない。
 例えば、子供が地域の野球チームに入っていれば、「エースで4番」の子供のママが自ずとボスに君臨する。 エースで4番のお母さんには誰も逆らえない。 試合の応援に行く時も、『ピッチャーの○○くんのママはいちばん前の見やすい席で』のように自ずと応援場所が決まる。
 (以上、「ママカースト」に関するネット情報よりその一部を要約して引用。)


 原左都子自身も、現在大学生の娘を持つ“現役ママ”である事には間違いない。
 ただし子どもが既に大学生にまで成長すると、もはや“ママ友”との付き合いは皆無となるのが自然の成り行きではなかろうか。
 私自身に関して述べるならば、過去に於いて娘の“母親”としてお付き合いがあった女性達との友好の機会は今現在皆無状態だ。 (いや、こちらがお会いしたい女性はいるものの、どうもあちらが私に会いたいとの意思がないようだ…。 母としての私は、何らかの理由でよほど嫌われていたのかなあ??

 私の場合、高齢出産したその直後より“ママ友”なる女性達との付き合いをなるべく回避するべく行動してきた母親である。 (当エッセイ集バックナンバー 2009年5月「ママ友付き合いの過酷な試練」、2011年5月「ママ友達は新時代をどう渡る?」等々を参照下されば幸いです。)

 それでも、「ママ友付き合い」を回避できない場面が子を持つ私にも多々あったものだ。
 上記ネット情報の「ママカースト」のキーワードとして上げられている項目を反復しつつ、我が“苦難の”ママ友付き合いを振り返ろう。

 我が子が幼稚園児の頃、母である私が元教員である事を何処からか“ママ”連中が察知していて、私自身の意向を無視し不本意に「謝恩会」の司会を任された経験がある。
 多少の事情を持ってこの世に生まれ出た娘自身が、幼稚園で日々楽しく過ごせるはずもない事にやきもきさせられていた母である私が、当時決して「謝恩会」の司会など引き受けたくもなかった。
 要するに、(母は元教員との事だけど、娘は単なる馬鹿じゃないの?)とでも言いたげな(娘が持って生まれた事情を知るすべもない)「ママ友」達と距離を置き続けた私に対する、一種のイジメ行動とも受け取れる措置だったのだ。  それでも表向きは快く謝恩会の司会を引き受けた私の司会ぶりを、我が娘こそが一番喜んでくれたのが何よりの収穫だった。
 少しテーマがずれたようだが、要するにママ友達にとっては、「母親の“職業”」に関してもプラスマイナスの意味合いで「カースト制」の基準としたい様子であるとの事であろう。
 
 私にとって思い出深い「ママ友」どもとの確執の場は、我が娘を「クラシックバレエ教室」に入れた時の事である。
 (バックナンバーでも記述しているが)、どうやら「クラシックバレエ教室」へ娘を通わせる事とは、「ママカースト」の頂点にありたい庶民ママ達がそれを実践する場であったようだ。 それはそれは、物凄いものがあった。 “夫の職業や収入”“実家の資産”…… 世間知らずのママ達が身の程知らずに恥ずかしげもなくこれらを平気で暴露し合う姿に、私はただただ驚かされるばかりだった。 
 これに辟易としつつ、我が娘が私立中学校へ合格を決めた後は、プロのバレエ団が併設する“母親出入無用”の教室へすぐさまレッスンの場を移したものだ。 


 最後に私論でまとめよう。

 「ママ友カースト制度」にこだわるママ達とは、私に言わせてもらうと(原左都子も含め)社会の底辺に位置する「庶民」でしかあり得ない。
 要するに「ママカースト」とはそんな庶民間で“どんぐりの背比べ”をしたいとの、せせこましいばかりの連中達の悪あがきに過ぎないのだ。

 冒頭で掲げた元首相の鳩山氏がどれ程の資産を先祖から受け継いでいるのかに関しては、庶民の想像の域をはるかに超えていよう。
 そんな桁外れの資産を手中に出来る人物が、庶民として生きる自分の身近に存在するはずもない事にまずは気付こう。

 その辺に着眼して、今後は狭い意識でせせこましくも「ママ友カースト制度」などにこだわる事無くもっと自由に子育てをしつつ、亭主や実家の力ではなくママ自身の努力と能力で(“腕一本の実力”を育みつつ)、子どもと共に大きな心でいろんな人との付き合いを育もうではありませんか!!