原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「週休2日制」 私はその恩恵で成長しました!

2013年04月20日 | 時事論評
 日本企業に於いて最初に「週休2日制」が導入されたのは、今から遡る事50年前の事だったようだ。

 少し古くなるが、4月6日付朝日新聞一面にこの話題が取り上げられていた。
 以下にその一部を要約して紹介しよう。

 日本の大手企業が「週休2日制」を導入したのは、1963年4月に三菱電機が土曜を休みに切り替えたのが初めてだった。 それから半世紀。  根付いたようでいて、それを導入した企業は半分にも満たない。 子ども達の土曜授業復活を支持する親も多い。
 当時高度成長を突き進んでいた日本経済。 「働き方も海外の先進国並みに」との機運が電機業界に広がり、三菱電機がその先駆けとなった。 会社人間を家庭に戻す「ワーク・ライフ・バランス」のはしりだったが、隔週とは言え代表格の企業の土日休みには当時かなりの驚きがあったようだ。
 日本企業は長く、働き過ぎだと批判されてきた。 労働基準法が定める労働時間の上限はその後徐々に下がり、97年に原則として週40時間になった。 栄養ドリンクのCMが「24時間戦えますか」と歌ったバブル期を経て週2日制は広がっていく。
 ところが厚労省の調べでは「完全週休2日制」を導入済みの企業は2012年で約45%。 最近は一進一退だ。
 厳しい競争は大人だけではない。 「ゆとり教育」のもと、02年度から完全5日制になった高校までの公立学校で、土曜休みの見直しが始まった。 保護者の8割が隔週も含めた「週6日制」に賛成している。
 (以上、朝日新聞4月6日一面記事より一部を引用。)


 現在文科省が導入を検討中の「学校週6日制」に関する原左都子の私論に関しては、2013年2月のバックナンバー 「土曜授業より個性に応じた学ぶ場の多様化を」 に於いて既に公開している。
 
 以下に私論の一部を反復させていただこう。

 文科省が導入しようとしている「学校週6日制導入」の趣旨とは、授業時数を増やした新学習指導要領が既に小中学校で完全実施されているのを受けて、土曜日も使い授業時数を確保して子ども達の学力向上を目指す事にあると言う。
 原左都子の私論の結論を記させていただくと、我が家の場合“特異的事例”であるかもしれない点をお詫びした上で、表題に掲げた通り私は基本的に「反対」派である。 
 我が子が生まれながらに若干の事情を抱えていたこともあり、医学及び教育学分野のバックグラウンドがある母の私が「お抱え家庭教師」として我が子就学以前より教育指導を担当してきている。 娘が持って生まれた個性に対する私なりの専門力に基づく「指導計画・展望」があり、かつ娘が抱えている事情を一番理解していると自負する母の私自身が、我が子の教育を小学校入学後も可能な限り“私主体”に執り行いたい希望が強かった。  とは言えども、小中校は義務教育課程であるため、保護者とは子どもを公教育現場の学校へ通わせる義務を法制度上負っている。 それをもどかしく思いつつも、とりあえずは2002年時点で土曜が完全に休みになることを待ちわびていたとも言える。
 数多くの保護者が“公立校の勉強だけでは足りない”との不安を持ったとの経験は、原左都子に関してはただの一度もない。  我が子は私の指導の下、十二分に学習に励んでくれた。 むしろ、その他分野の我が子の個性や能力に応じた活動をする時間が十分取れないことにやきもきさせられたものだ。  “学習指導”は私が全面的にフォローするものの、娘の趣味や能力に応じた他分野活動の時間がもっと欲しかった。  もしも学校で費やす時間が短く済めば、その分野の専門家氏に娘の成長を委ねるべく多くの時間を確保できるのにと、どれ程残念に思ったことか…
 結局は小中高学校現場が土曜日も授業に当てるとの方策を採用するならば、立場が弱い保護者はそれに従わざるを得ない現状だ。
 下村文科相は、「学校週6日制導入」こそが我が国の児童生徒の学力上昇に繋がるとお考えのようだが、真にこの国を支えている人材達が過去に歩んだ道程を、今一度捉え直すことも重要であろう。 現在安倍政権はその経済政策である「アベノミクス」を政治理念の中心に掲げている。 そうであるとして、この国の経済発展を民間レベルで支えてきた人物の過去の経歴にまで遡った場合、必ずしも小中高の学力が秀でていた訳でもなかろう。 本人の真の実力が試される実社会の中では学校での成績などさほどの影響を及ぼさないのが世の常でもある。  最優先するべきは、子どもの個性に応じた“学ぶ場の多様化”に他ならないと私は考える。
 あくまでも社会的弱者保護観点から土曜日も学校を運営するべきと自民党政権が捉えているとするならば、原左都子とてそれを少しは応援したいものだが…。  少なくとも土曜日登校は各家庭の判断により自由選択とする等、融通性を持たせて欲しいものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用。)


 私が社会人として民間企業へ就職して後の私事に移ろう。

 私の場合、医学専門分野の国家試験合格を条件に新卒で民間企業へ就職した事に関しては、バックナンバーで再三記述している。
 当時その国家資格を取得した新卒者のほとんどが「病院」へ就職する中、何故私が民間企業を志望したのかと言うと、その企業が時代に先駆け早々と「週休2日制」を導入していたのも大きな理由の一つだった。

 私が当該民間企業へ就職したのは今から数十年前、1970年代後半の頃である。 まだまだ企業の「週休2日制」は珍しい時代背景だった。
 元々勤勉な私であり(?)学業や仕事自体はさほど苦にならないのだが、多種多様の人間が集まる「集団」がとにかく嫌いだ。 
 そんな私にとって、せめても「週休2日制」は心のオアシスとも言えた。  その2日間だけでも「集団」から解放され、自分の意思で自らが欲する主体的な行動を執り行ったり、自分自身が選りすぐった人物との接触が可能となるその現実とは、何物にも替え難い“至福の時間”であり自分へのご褒美だったものだ。
 実は私が所属していた民間企業の「週休2日制」とは“土日休み”あるいは“日月休み”いずれかの選択制だったのだが、私は迷わず“日月休み”を貫き通した。 と言うのもほとんどの社員が前者を希望するため、土曜日に出勤すると社内人口密度が至って低いのである。 この仕事環境下でこそ私は自分の業務に集中できたものだ。 加えて月曜休みとは都会に生きる人間にとって行楽地等の人出が少なく実にありがたかった。


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 「週6日制」を導入するべきか否か?
 この懸案が行き着く処とは、人が如何に「組織・集団」から解放されて自分自身の力で活性化されて生き延びられるか? との議論に到達するのではなかろうかと私は捉える。

 執拗に繰り返すが、私は「集団・組織」嫌いである。
 その我が志向を貫くべく人生をある程度全うできているからこそ、持って生まれた能力を周囲よりの悪影響で“枯らされる”事なく、現在まで自らの力量で紡いで来れたと自己診断している。
 
 悲しいかな、この国はいつまで経っても“集団志向気質”に変化なしと捉えている私にとって、安倍政権下の文科省がこの期に及んで「週6日制」を言い出す事など想定内でもあった。
 それでも、国民一人ひとりが自ら考え行動する時間こそが国民を真に育成するとの発想の下に、学校・企業を問わず今後はもっと個々人が自由に過ごせる時間を保障してみてはどうなのかと訴えたい私なのだが…