近頃、メディアを通して聞き慣れない疾患名に接する機会が多い。
それが命にかかわる病であったり、周囲よりの介助を要する程の重篤な症状が出現する病である場合、その疾患名を公にして世に広く知らしめる必然性もあろう。
あるいは、「何となくだるい」「疲労がたまっている」「多少の不安感がある」「気分がすぐれない」 等々…… これら、疾患と言うよりも、一過性の心身体調不良症状を訴える患者をすぐさま検査漬けにした後に「疾患名」を宣告し、大量投薬を施し続けるのが、現在の医療界が安直に実施している“医療”の現状でもあろう。
患者の問診及び指導、そして投薬のみに医療行為を頼らざるを得ない“精神神経科”に於ける「鬱病」診断など、その典型例と私は把握しているのだが…。
もちろん、上記のごとくの“何となく”の症状から始まる重篤な疾患もある。
それ故に何らかの不調を感じたらとりあえず病院へ出向き、医師の診断及び指導を仰ぐ事は、一般人にとってとりあえず「正しい行動」と言うべきなのであろう。
その後が肝要だ。
もしも自らが最初に経験した体調不良症状が軽減したならば、それで一旦医療依存を休止するとの選択肢もあるのではなかろうか。
ところが一般人が取る行動とはそうではない。 医療機関の指示こそが我が命を救う最大の拠り所と捉え、いつまでも病院通いを続けてしまう。
もちろん、来所してくる一人ひとりの患者と真に向き合っている医療機関もこの世に存在する事であろう。(元医学関係者である私自身は、残念ながらこの種真意ある医療機関受診は未だに一度も経験がないのだが…)
ただ、現在医療機関がどれ程混み合っているかの実態を直視しただけでも、悲しいかな患者に対する対応の現実・実態が推し量れるものと私は判断しているのだが…
私事に移るが、今朝郷里の実母より電話があった。
何でも体調が悪いのだと言う。
80歳過ぎて田舎で気丈に一人暮らしている母であるが、十年程前に症状が出た三叉神経痛(これとて医師の診断に過ぎず、私は今尚この診断に疑義を抱いているのだが)の放射線治療及び日々飲用している薬の副作用が出ると私に訴える。 「だから前から医療に頼るなと言ってるでしょ!」と私はいつも応えるしかない。 少なくとも母は私からの度重なる「医療指導」により、治療行為や投薬の副作用が出ることは理解できているようだが。 「それでもあなた(母のこと)は、副作用が出現することを覚悟の上で医療行為に頼る選択を自分で下しているのだから、今更私に弱音を吐かれても困るよ!」
とは返しつつ、母の元々の「三叉神経痛(?)」発症原因も私にはお見通しである。 要するに年老いて後の一人暮らしが辛いのだ。 そんなことは重々承知の上である。
この種の電話を受けた私は、母を喜ばせる手段も心得ている。 (母にとっては孫である)我が娘の成長の程を電話で伝えることにしている私の談話を聞いた後に、母は必ずや「痛みが軽減したよ!」と声をはずませて電話を切ってくれるのだ。
医療の基本とは患者の真の苦悩と向き合う事であるのを実感させられると共に、まだまだ痴呆症状が出現していない実母に感謝でもある…。
話題を変えよう。
朝日新聞4月9日“どうしました”との医療相談コーナーに於いて、「『全般性不安障害』の治療法は?」なる相談を発見した。
早速、68歳女性よりの相談内容を以下に要約して紹介しよう。
3年前に精神科で「全般性不安障害」と診断された。 最近は不安で全身が震えたり、不眠や体のふらつきがあるなど一人で日常生活を送ることができない。 現在睡眠導入剤などを処方されているが、今後どうすればよいのか困っている。
上記の相談を受けて、再び原左都子の私事に移らせていただこう。
実は私も、“プレ更年期”時代(40代後半頃)に上記女性と同様の症状に日々困惑させられた経験がある。 その我が症状に病名をつけるならば、まさに「全般性不安障害」だったのであろう。
ところが、高齢出産で産んだ娘は事情を抱えていた。 周囲の皆が母である私の日々の支援こそを期待している。 私自身が「具合が悪い」などと訴えられる立場には一切ない。
幸いな事に私は元医学関係者だった。 自分が今抱えている症状に関してある程度分析可能だ。 そんな私は自分がプレ更年期症状の一端として「不安障害」に陥っていることはすぐさま自己診断できた。 そうとは言え…。 やはり我が身に突然襲ってくる不安感や心臓バクバクの「パニック障害」等々に日々耐え切る精神力とは尋常ではないものがあったのも事実だ…
それでも、病院嫌いの私が決して「医者へ行く」とは言い出さなかった事が、今思えば幸運だったと振り返る。 もしも私が自己の心身状態に弱気になって当時精神神経科を受診していたならば、我が子の育児力に関して周囲より大いに信頼を失っていたことであろう。
それに一人で耐え抜けた私であるからこそ、上記朝日新聞68歳相談者女性の「全般性不安障害」の苦悩が重々理解できる思いでもある。
一般市民の場合、受診した病院より一例として上記のごとく「全般性不安障害」なる病名を叩きつけられる事自体で、ご自身の症状が重くなるのではあるまいか?
上記朝日新聞相談コーナーの場合、相談医師氏が親切な方のご様子で「認知行動療法」、すなわち日常において体を動かしたり趣味を見つける等々で不安を少なくする事を示唆されておられるのが幸いではあるのだが… (まさに私の場合もその「認知行動療法」もどきの行動を日々自分に課すことにより、徐々に自分らしさを取り戻せたとも言える。)
医療の役割とは、決して一般市民に「病名」を突きつける事ではあるまい。
「病名」に依存する医療組織・体制ではなく、患者一人ひとりが抱える「苦悩」にこそ、医療に従事する人々が真に寄り添える医療現場であって欲しいものだ。
それが命にかかわる病であったり、周囲よりの介助を要する程の重篤な症状が出現する病である場合、その疾患名を公にして世に広く知らしめる必然性もあろう。
あるいは、「何となくだるい」「疲労がたまっている」「多少の不安感がある」「気分がすぐれない」 等々…… これら、疾患と言うよりも、一過性の心身体調不良症状を訴える患者をすぐさま検査漬けにした後に「疾患名」を宣告し、大量投薬を施し続けるのが、現在の医療界が安直に実施している“医療”の現状でもあろう。
患者の問診及び指導、そして投薬のみに医療行為を頼らざるを得ない“精神神経科”に於ける「鬱病」診断など、その典型例と私は把握しているのだが…。
もちろん、上記のごとくの“何となく”の症状から始まる重篤な疾患もある。
それ故に何らかの不調を感じたらとりあえず病院へ出向き、医師の診断及び指導を仰ぐ事は、一般人にとってとりあえず「正しい行動」と言うべきなのであろう。
その後が肝要だ。
もしも自らが最初に経験した体調不良症状が軽減したならば、それで一旦医療依存を休止するとの選択肢もあるのではなかろうか。
ところが一般人が取る行動とはそうではない。 医療機関の指示こそが我が命を救う最大の拠り所と捉え、いつまでも病院通いを続けてしまう。
もちろん、来所してくる一人ひとりの患者と真に向き合っている医療機関もこの世に存在する事であろう。(元医学関係者である私自身は、残念ながらこの種真意ある医療機関受診は未だに一度も経験がないのだが…)
ただ、現在医療機関がどれ程混み合っているかの実態を直視しただけでも、悲しいかな患者に対する対応の現実・実態が推し量れるものと私は判断しているのだが…
私事に移るが、今朝郷里の実母より電話があった。
何でも体調が悪いのだと言う。
80歳過ぎて田舎で気丈に一人暮らしている母であるが、十年程前に症状が出た三叉神経痛(これとて医師の診断に過ぎず、私は今尚この診断に疑義を抱いているのだが)の放射線治療及び日々飲用している薬の副作用が出ると私に訴える。 「だから前から医療に頼るなと言ってるでしょ!」と私はいつも応えるしかない。 少なくとも母は私からの度重なる「医療指導」により、治療行為や投薬の副作用が出ることは理解できているようだが。 「それでもあなた(母のこと)は、副作用が出現することを覚悟の上で医療行為に頼る選択を自分で下しているのだから、今更私に弱音を吐かれても困るよ!」
とは返しつつ、母の元々の「三叉神経痛(?)」発症原因も私にはお見通しである。 要するに年老いて後の一人暮らしが辛いのだ。 そんなことは重々承知の上である。
この種の電話を受けた私は、母を喜ばせる手段も心得ている。 (母にとっては孫である)我が娘の成長の程を電話で伝えることにしている私の談話を聞いた後に、母は必ずや「痛みが軽減したよ!」と声をはずませて電話を切ってくれるのだ。
医療の基本とは患者の真の苦悩と向き合う事であるのを実感させられると共に、まだまだ痴呆症状が出現していない実母に感謝でもある…。
話題を変えよう。
朝日新聞4月9日“どうしました”との医療相談コーナーに於いて、「『全般性不安障害』の治療法は?」なる相談を発見した。
早速、68歳女性よりの相談内容を以下に要約して紹介しよう。
3年前に精神科で「全般性不安障害」と診断された。 最近は不安で全身が震えたり、不眠や体のふらつきがあるなど一人で日常生活を送ることができない。 現在睡眠導入剤などを処方されているが、今後どうすればよいのか困っている。
上記の相談を受けて、再び原左都子の私事に移らせていただこう。
実は私も、“プレ更年期”時代(40代後半頃)に上記女性と同様の症状に日々困惑させられた経験がある。 その我が症状に病名をつけるならば、まさに「全般性不安障害」だったのであろう。
ところが、高齢出産で産んだ娘は事情を抱えていた。 周囲の皆が母である私の日々の支援こそを期待している。 私自身が「具合が悪い」などと訴えられる立場には一切ない。
幸いな事に私は元医学関係者だった。 自分が今抱えている症状に関してある程度分析可能だ。 そんな私は自分がプレ更年期症状の一端として「不安障害」に陥っていることはすぐさま自己診断できた。 そうとは言え…。 やはり我が身に突然襲ってくる不安感や心臓バクバクの「パニック障害」等々に日々耐え切る精神力とは尋常ではないものがあったのも事実だ…
それでも、病院嫌いの私が決して「医者へ行く」とは言い出さなかった事が、今思えば幸運だったと振り返る。 もしも私が自己の心身状態に弱気になって当時精神神経科を受診していたならば、我が子の育児力に関して周囲より大いに信頼を失っていたことであろう。
それに一人で耐え抜けた私であるからこそ、上記朝日新聞68歳相談者女性の「全般性不安障害」の苦悩が重々理解できる思いでもある。
一般市民の場合、受診した病院より一例として上記のごとく「全般性不安障害」なる病名を叩きつけられる事自体で、ご自身の症状が重くなるのではあるまいか?
上記朝日新聞相談コーナーの場合、相談医師氏が親切な方のご様子で「認知行動療法」、すなわち日常において体を動かしたり趣味を見つける等々で不安を少なくする事を示唆されておられるのが幸いではあるのだが… (まさに私の場合もその「認知行動療法」もどきの行動を日々自分に課すことにより、徐々に自分らしさを取り戻せたとも言える。)
医療の役割とは、決して一般市民に「病名」を突きつける事ではあるまい。
「病名」に依存する医療組織・体制ではなく、患者一人ひとりが抱える「苦悩」にこそ、医療に従事する人々が真に寄り添える医療現場であって欲しいものだ。