(写真は、我が郷里の高齢母が制作した「重ね箱」。 上段が20箱重ね、下段が10箱重ね。 ほぼ実物大。)
今回のエッセイは前回に引き続き、今夏郷里帰省に際し経験した事象に関して綴り公開する内容である。
まずは、上記写真に関して補足説明をしよう。
「重ね箱」とは私が勝手に付けた名称なのだが、その名の通り、手作りにて制作した「箱」を幾重にも重ねた芸術作品(??)である。
郷里の母がこれを最初に制作したのは、遠い昔の若き時代の事だったそうだ。
元々手先が器用で手芸が趣味の一つでもある母は、地方公務員の定年退職が間近に差し掛かった現役終盤頃より、自分が選んだ師匠の下で本格的に手芸に取り組み始めた。 セーターやカーディガン等の編み物等から室内装飾品や小物に至るまで、ありとあらゆる手作り作品制作に取り組んでは我が家にも作品の一部を宅配してくれたりもした。
ただ時の流れと共に後期高齢域に達した頃から“目の疲れ”“腰の痛み”等々の体内不調により、手芸に没頭する事が苦痛になり始めた様子だ。 その後は師匠の下を去り、自分自身で無理なく作れる小物制作に励んでいるらしい。
そんな折、若き時代に作った「重ね箱」を思い出したそうだ。
本人曰く“ボケ防止”に打ってつけ!と考え自主的にその制作に励んだところ、上記のような完成品が仕上がったとの事だ。
「重ね箱」作成手順を、母の説明により以下に記そう。
まずは新聞広告等不要な紙を、大きさ1㎜(2㎜だったかもしれない?)違いに正方形に計測して、自分が作りたい箱数の紙をはさみで切る。 その後、切った紙を箱型に折る。(申し訳ないのが、その折り方を母から聞いていない。) ただ私の感覚としては昔「籠」を折り紙で作ったように制作すれば同様かと考察するのだが。
母曰く、切る作業、箱型に折る作業、いずれも緻密に正確に取り組まねば、決して「重ね箱」完成に至らないとの事だ。 母宅に訪れる親戚の子供達の中に「どうしてもこれを作りたい!」なる訴えをする子がいるらしいのだが、未だかつて制作に成功した子供はいないとのことだ。
冒頭より、我が実母が高齢者にして“しっかりしている”部分を「重ね箱」制作を一例として取り上げた。
今回のエッセイ本題である、高齢者の“老いぼれ方”とは多種多様である事を実感させられる事実を以下に記そう。
私は実母と同年代の義母の保証人としても、現在活躍せざるを得ない立場にある。
義母の保証人代行一番の実質的責任を負っている私に対し、義母も「自分こそがしっかりしている」事実の訴えと実行に躍起である。
確かに現在民間有料介護施設に入居中の義母が、昔から実業家として実に“しっかり”しているのは私も婚姻直後より認めている。
義母の“しっかり度合い”は以前より素晴らしいのだが、 さすが元実業者としての営業力のなごりなのか、ケアマンション内の職員は元より入居者を含めた周囲の人々に“配慮心”を欠かすことなく施設を渡っておられる様子だ。
ところがこの海千山千実業家だった義母とて、施設内で疎まれている立場のようだ。
ケアマネジャー氏曰く、「配慮され過ぎてもケアがしにくいし、施設内の皆との整合性が取れない。自然体で過ごしてくれるのか一番なのだが…」 その指摘が十分理解出来る私だ。
義母の出過ぎた配慮心とは、もしかしたら“自分こそが施設内皆の上位に位置している”との意識の裏返しであり、周囲からもその感覚を抱かれる危険性があると、(同じく周囲への客観力があり過ぎる)私も理解可能である。
我が郷里の実母に話を戻そう。
実母の話によれば、「私は自分の能力を客観視して頑張っているのだから、どれだけ自治体から老人福祉施設への訪問を願われたとて一切そんな施設で過ごすつもりはない。 あんな所へ通っても、年寄りを馬鹿にしたようなプログラムを強制されるだけでつまらない。」 「私は車の運転も出来るし、今後も命ある限りこの家で一人で生きていきたい!」
そんな実母の“かたくな”さに娘である私自身の生き様がダブりつつ、 一応それを尊重する事にして郷里を去った私だ。
その後東京の我が家に帰りついたとたん、有料高齢者介護施設に住む義母より電話があった。
「〇子さん(私の事)の留守中に、とんでもない事態が発生しているのよ!」 「今日は〇子さんも郷里から帰ったばかりで疲れているでしょうから、明日以降に対応をお願いします。」
ご両人共々プライドの高さを失わず年齢を重ねている事は承知の上だし結構なことだが、そんなこんなで我が身近に抱える“老いぼれ”高齢者対応は今後に至って続く課題である…
今回のエッセイは前回に引き続き、今夏郷里帰省に際し経験した事象に関して綴り公開する内容である。
まずは、上記写真に関して補足説明をしよう。
「重ね箱」とは私が勝手に付けた名称なのだが、その名の通り、手作りにて制作した「箱」を幾重にも重ねた芸術作品(??)である。
郷里の母がこれを最初に制作したのは、遠い昔の若き時代の事だったそうだ。
元々手先が器用で手芸が趣味の一つでもある母は、地方公務員の定年退職が間近に差し掛かった現役終盤頃より、自分が選んだ師匠の下で本格的に手芸に取り組み始めた。 セーターやカーディガン等の編み物等から室内装飾品や小物に至るまで、ありとあらゆる手作り作品制作に取り組んでは我が家にも作品の一部を宅配してくれたりもした。
ただ時の流れと共に後期高齢域に達した頃から“目の疲れ”“腰の痛み”等々の体内不調により、手芸に没頭する事が苦痛になり始めた様子だ。 その後は師匠の下を去り、自分自身で無理なく作れる小物制作に励んでいるらしい。
そんな折、若き時代に作った「重ね箱」を思い出したそうだ。
本人曰く“ボケ防止”に打ってつけ!と考え自主的にその制作に励んだところ、上記のような完成品が仕上がったとの事だ。
「重ね箱」作成手順を、母の説明により以下に記そう。
まずは新聞広告等不要な紙を、大きさ1㎜(2㎜だったかもしれない?)違いに正方形に計測して、自分が作りたい箱数の紙をはさみで切る。 その後、切った紙を箱型に折る。(申し訳ないのが、その折り方を母から聞いていない。) ただ私の感覚としては昔「籠」を折り紙で作ったように制作すれば同様かと考察するのだが。
母曰く、切る作業、箱型に折る作業、いずれも緻密に正確に取り組まねば、決して「重ね箱」完成に至らないとの事だ。 母宅に訪れる親戚の子供達の中に「どうしてもこれを作りたい!」なる訴えをする子がいるらしいのだが、未だかつて制作に成功した子供はいないとのことだ。
冒頭より、我が実母が高齢者にして“しっかりしている”部分を「重ね箱」制作を一例として取り上げた。
今回のエッセイ本題である、高齢者の“老いぼれ方”とは多種多様である事を実感させられる事実を以下に記そう。
私は実母と同年代の義母の保証人としても、現在活躍せざるを得ない立場にある。
義母の保証人代行一番の実質的責任を負っている私に対し、義母も「自分こそがしっかりしている」事実の訴えと実行に躍起である。
確かに現在民間有料介護施設に入居中の義母が、昔から実業家として実に“しっかり”しているのは私も婚姻直後より認めている。
義母の“しっかり度合い”は以前より素晴らしいのだが、 さすが元実業者としての営業力のなごりなのか、ケアマンション内の職員は元より入居者を含めた周囲の人々に“配慮心”を欠かすことなく施設を渡っておられる様子だ。
ところがこの海千山千実業家だった義母とて、施設内で疎まれている立場のようだ。
ケアマネジャー氏曰く、「配慮され過ぎてもケアがしにくいし、施設内の皆との整合性が取れない。自然体で過ごしてくれるのか一番なのだが…」 その指摘が十分理解出来る私だ。
義母の出過ぎた配慮心とは、もしかしたら“自分こそが施設内皆の上位に位置している”との意識の裏返しであり、周囲からもその感覚を抱かれる危険性があると、(同じく周囲への客観力があり過ぎる)私も理解可能である。
我が郷里の実母に話を戻そう。
実母の話によれば、「私は自分の能力を客観視して頑張っているのだから、どれだけ自治体から老人福祉施設への訪問を願われたとて一切そんな施設で過ごすつもりはない。 あんな所へ通っても、年寄りを馬鹿にしたようなプログラムを強制されるだけでつまらない。」 「私は車の運転も出来るし、今後も命ある限りこの家で一人で生きていきたい!」
そんな実母の“かたくな”さに娘である私自身の生き様がダブりつつ、 一応それを尊重する事にして郷里を去った私だ。
その後東京の我が家に帰りついたとたん、有料高齢者介護施設に住む義母より電話があった。
「〇子さん(私の事)の留守中に、とんでもない事態が発生しているのよ!」 「今日は〇子さんも郷里から帰ったばかりで疲れているでしょうから、明日以降に対応をお願いします。」
ご両人共々プライドの高さを失わず年齢を重ねている事は承知の上だし結構なことだが、そんなこんなで我が身近に抱える“老いぼれ”高齢者対応は今後に至って続く課題である…