原左都子が所有していた賃貸借物件売却後、ほぼ2ヶ月の月日が過ぎ去った。
そろそろ我が心理面で“時効”かと思える節があるため、今回思い切って、当該物件売買契約締結に際し売主顧客である私が売買契約仲介会社担当者を 「叱り飛ばした」 事実に関して、我がエッセイ集で公開しよう。
元々売買仲介を大手不動産企業に一任しようかと目論んでいた矢先、今の時代ネット上で仲介企業を競合させ、その中から顧客に有利な条件で売却してくれる仲介会社を選択可能なシステムが存在する事実を偶然知った。 早速そのシステムに登録するなり大手を中心に数社が競って電話をかけてきて、その日の午前中はその電話対応に追われた。
何処の企業も「我が社こそ売ります!」なる売り込みに必死の中、「リストグループ」とやらの中小企業担当者が真っ先に我が家までやって来た。 そして訴えるには「○様(私のこと)の言い値で売りますから、率直に売りたい価格をおっしゃって下さい。」 その後その会社との売買仲介専属契約を締結した2日後に、まさに「○様ご希望の売値で買い手が付きました!」との返答が来た時には実に感激ものだった。
ところが話はそれ程甘くはなく、その後売買物件最終引き渡し日直前まで私は実に難儀させられる事態と相成った。
と言うのが(これぞ中小企業の弱みか??)20代の若き担当者氏は元より、その上司とやらの人物も僅か30代の若輩者らしいのだが、両人共に売買契約に関する「専門力」に大いに欠けていたのだ!
ここは嫌味ったらしい事は承知の上で、私が「経営法学修士」取得者であり、ある程度の法的知識がある事を表明せねばならなくなった。 私としては不本意ながらそこまで個人情報を公開したにも関わらず、その担当者は自分の企業や上司の方針を信じる方策を取り続け、その後事態が難航してしまったのだ…。
そこで私は、意を決して仲介担当者を何度も「叱り飛ばす!」との手段に出た。
「物件仲介に於いては法的バックグラウンド等専門力こそが最重要であろうに、それを満たしていない貴社はそもそも仲介企業たり得ない! 今後の経営努力の程を期待するが、専門力が無い現状に於いては下手な仲介を避けるべきだ!」
結局その後、この仲介会社は「物件引渡し日延長」とのとんでもない不祥事をしでかす結果と相成った。 売り手である私は仲介会社に正規の仲介料を支払っているにもかかわらず、その後自分の力量で動くしか方策が採れなくなり、買い手企業へ直接仲介実施を願い出る等により最終的に売却に漕ぎつけたとの実態だ。
これ程までに顧客である私自身が時間面でも心労面でも経済面でも大変な思いをさせられ、損失を計上させられたにもかかわらず、その後仲介会社よりの正式な謝罪が一切無い事実に、これぞ中小企業たる所以か?と寂しい気もしている。 (当該企業、一体いつまで持ちこたえられるのか…。たとえ中小企業とて企業の立場から一言謝罪が欲しかったものだが。 他人事ながら当該企業の行く末が気になる…)
話題を変えよう。
朝日新聞9月中旬頃の「声」欄に、「褒め過ぎる」現代の風潮に違和感があるとの男性よりの投稿があった。
いつものことながら原左都子の記憶のみに頼って、その投稿内容を以下に紹介しよう。
地方の大学教官をしているが、学生達からの意味不明の「褒めて欲しい」なる嘆願に困惑し続けている。 私(大学教官氏)とてもちろん褒めるべき時には褒めようと思っているが、そうでない場面でも学生から「褒め」を求められることに限界感を抱かざるを得ない。 加えて「褒める」事こそが“上から目線”ではないかとの疑問点もある。
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
辛口論評で名高い原左都子にして、実は現実世界では他者を「褒める」事には長けていると自己分析する。
ただしこの場合の「他者」とは、私の視点から判断して“守ってあげるべく対象”との思いを描ける相手に限定される事を最初に伝えておこう。 (要するに上記「声」欄と同様、あくまでも“上から目線”で弱者を褒めようとしていると言い換えられよう。)
例えば私は過去に於いて、高校教員を経験している。
私が高校教員なる職種に就いていた頃とは、まさに国内がバブル経済崩壊期に差し掛かっていた真っ最中である。 それでも現在同様に貧富の格差は元より、生徒間での上下差が明らかに存在していた時代背景だった事実を私は承知していた。
私の根底から漲ってくる思いとは歪んだ「弱者保護」でしかありえなく、私の勝手な感覚で弱者生徒を「褒める」との行動に出ていたものだ。
ところがある時、私が教室内「強者」と捉えていた一生徒より、「先生が(弱者の)生徒を叱った事を今すぐその生徒に詫びなさい!」なるバッシングを受けるとの事件があった。 その「強者」生徒が教員である私の影響を受けて、その種の感覚(強者弱者の差別感覚)を育成していた事実に驚くと同時に、我が教育姿勢の過ちを反省させられたものだ。
つい最近のメディア情報によれば、現在の若者世代とは、「叱って欲しい」感覚があるとの事だ。
そう言われてみれば、冒頭で紹介した不動産仲介企業の担当者氏も、物件引渡し全てが完了した暁に、私に対し「今回は担当者である私が至らないばかりに多大なるご迷惑をおかけしました。それでも○様(私のこと)に叱っていただけた事に感謝申し上げます。」なる挨拶をしてくれたものだ。
一末端社員がその言葉を“社交辞令”として顧客相手に発しねば事が終焉しない程に、中小企業の現実とは厳しい現状であろうと私も心得ている。
そんな現実をぶち破るべく、とりあえずの課題として下っ端組織員達こそが率先して「専門力」を確実に身につけようではないか! それが叶ったならば上司から叱咤されようが「専門力」との底力にて打破可能であろうし、若者の将来性が繋げる事を原左都子自身の経験から伝授しておこう。
若者達よ、他者から無責任に褒められて、うだうだいい気分になっている場合ではないぞ!
そろそろ我が心理面で“時効”かと思える節があるため、今回思い切って、当該物件売買契約締結に際し売主顧客である私が売買契約仲介会社担当者を 「叱り飛ばした」 事実に関して、我がエッセイ集で公開しよう。
元々売買仲介を大手不動産企業に一任しようかと目論んでいた矢先、今の時代ネット上で仲介企業を競合させ、その中から顧客に有利な条件で売却してくれる仲介会社を選択可能なシステムが存在する事実を偶然知った。 早速そのシステムに登録するなり大手を中心に数社が競って電話をかけてきて、その日の午前中はその電話対応に追われた。
何処の企業も「我が社こそ売ります!」なる売り込みに必死の中、「リストグループ」とやらの中小企業担当者が真っ先に我が家までやって来た。 そして訴えるには「○様(私のこと)の言い値で売りますから、率直に売りたい価格をおっしゃって下さい。」 その後その会社との売買仲介専属契約を締結した2日後に、まさに「○様ご希望の売値で買い手が付きました!」との返答が来た時には実に感激ものだった。
ところが話はそれ程甘くはなく、その後売買物件最終引き渡し日直前まで私は実に難儀させられる事態と相成った。
と言うのが(これぞ中小企業の弱みか??)20代の若き担当者氏は元より、その上司とやらの人物も僅か30代の若輩者らしいのだが、両人共に売買契約に関する「専門力」に大いに欠けていたのだ!
ここは嫌味ったらしい事は承知の上で、私が「経営法学修士」取得者であり、ある程度の法的知識がある事を表明せねばならなくなった。 私としては不本意ながらそこまで個人情報を公開したにも関わらず、その担当者は自分の企業や上司の方針を信じる方策を取り続け、その後事態が難航してしまったのだ…。
そこで私は、意を決して仲介担当者を何度も「叱り飛ばす!」との手段に出た。
「物件仲介に於いては法的バックグラウンド等専門力こそが最重要であろうに、それを満たしていない貴社はそもそも仲介企業たり得ない! 今後の経営努力の程を期待するが、専門力が無い現状に於いては下手な仲介を避けるべきだ!」
結局その後、この仲介会社は「物件引渡し日延長」とのとんでもない不祥事をしでかす結果と相成った。 売り手である私は仲介会社に正規の仲介料を支払っているにもかかわらず、その後自分の力量で動くしか方策が採れなくなり、買い手企業へ直接仲介実施を願い出る等により最終的に売却に漕ぎつけたとの実態だ。
これ程までに顧客である私自身が時間面でも心労面でも経済面でも大変な思いをさせられ、損失を計上させられたにもかかわらず、その後仲介会社よりの正式な謝罪が一切無い事実に、これぞ中小企業たる所以か?と寂しい気もしている。 (当該企業、一体いつまで持ちこたえられるのか…。たとえ中小企業とて企業の立場から一言謝罪が欲しかったものだが。 他人事ながら当該企業の行く末が気になる…)
話題を変えよう。
朝日新聞9月中旬頃の「声」欄に、「褒め過ぎる」現代の風潮に違和感があるとの男性よりの投稿があった。
いつものことながら原左都子の記憶のみに頼って、その投稿内容を以下に紹介しよう。
地方の大学教官をしているが、学生達からの意味不明の「褒めて欲しい」なる嘆願に困惑し続けている。 私(大学教官氏)とてもちろん褒めるべき時には褒めようと思っているが、そうでない場面でも学生から「褒め」を求められることに限界感を抱かざるを得ない。 加えて「褒める」事こそが“上から目線”ではないかとの疑問点もある。
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
辛口論評で名高い原左都子にして、実は現実世界では他者を「褒める」事には長けていると自己分析する。
ただしこの場合の「他者」とは、私の視点から判断して“守ってあげるべく対象”との思いを描ける相手に限定される事を最初に伝えておこう。 (要するに上記「声」欄と同様、あくまでも“上から目線”で弱者を褒めようとしていると言い換えられよう。)
例えば私は過去に於いて、高校教員を経験している。
私が高校教員なる職種に就いていた頃とは、まさに国内がバブル経済崩壊期に差し掛かっていた真っ最中である。 それでも現在同様に貧富の格差は元より、生徒間での上下差が明らかに存在していた時代背景だった事実を私は承知していた。
私の根底から漲ってくる思いとは歪んだ「弱者保護」でしかありえなく、私の勝手な感覚で弱者生徒を「褒める」との行動に出ていたものだ。
ところがある時、私が教室内「強者」と捉えていた一生徒より、「先生が(弱者の)生徒を叱った事を今すぐその生徒に詫びなさい!」なるバッシングを受けるとの事件があった。 その「強者」生徒が教員である私の影響を受けて、その種の感覚(強者弱者の差別感覚)を育成していた事実に驚くと同時に、我が教育姿勢の過ちを反省させられたものだ。
つい最近のメディア情報によれば、現在の若者世代とは、「叱って欲しい」感覚があるとの事だ。
そう言われてみれば、冒頭で紹介した不動産仲介企業の担当者氏も、物件引渡し全てが完了した暁に、私に対し「今回は担当者である私が至らないばかりに多大なるご迷惑をおかけしました。それでも○様(私のこと)に叱っていただけた事に感謝申し上げます。」なる挨拶をしてくれたものだ。
一末端社員がその言葉を“社交辞令”として顧客相手に発しねば事が終焉しない程に、中小企業の現実とは厳しい現状であろうと私も心得ている。
そんな現実をぶち破るべく、とりあえずの課題として下っ端組織員達こそが率先して「専門力」を確実に身につけようではないか! それが叶ったならば上司から叱咤されようが「専門力」との底力にて打破可能であろうし、若者の将来性が繋げる事を原左都子自身の経験から伝授しておこう。
若者達よ、他者から無責任に褒められて、うだうだいい気分になっている場合ではないぞ!