原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何歳が「高齢者」なのかは自分自身が決める事

2014年09月15日 | 時事論評
 本日は「敬老の日」である。

 9月は連休が多い事は認識していたが、それに気付かされたのは我が集合住宅玄関口の掲示板に、町内会よりの 「敬老の日集会へのお誘い」 なる掲示を見た事による。
 その記述によれば、「9月15日は敬老の日です。今年60歳を迎えた人も加えてそれより高齢の方々は誰でも参加できる集会を実施しますので、ふるってご参加下さい。」

 ゲゲ!! この文書に従うならば、来年還暦を迎える原左都子も来年の「敬老の日集会」出席対象者なのか??

 そんなはずはないことは皆さん既にご承知であろう。 それにしても、今時還暦にして自分は高齢者だと自覚している人物など皆無と信じたいが…


 ただ一昔前(我が親の世代以前の時代)には、まだまだ「還暦」こそが高齢者の仲間入りとの感覚を皆が抱かされるノスタルジーの時代だった事であろう。

 例えば我が郷里に一人暮らしの実母がその典型例である。
 我が母が地方公務員の身にして定年退職した1990年代当初とは、高齢者皆がホクホクと多額の年金を享受できた時代だ。  それでも、どういう訳か娘の私に対し「老後はよろしくお願いしたい」なる決まり文句を発し続ける母には辟易とさせられたものだ。 
 未だ60代にしてそんな気弱な母に対し、当時より我が国の政治経済が厳しい方向に向かっている事を認識していた私は、(子育て中の若い世代にそんな余裕などある訳ないだろ!)なる大いなる抵抗感を持ち続けている。

 当時の時代背景とはバブル経済終焉期に差し掛かり、バブル熱から覚めた一般市民の暮らしが打撃を受け始めた頃である。 戦後長く続いた自民党政権が過渡期に差し掛かった頃でもあり、やっとこさ「高齢者年金制度」に関して見直しが行われ始めた頃と認識している。
 過去に於いてとてつもない過ちを犯し続けた「国家の年金制度」が見直されると同時に、その後高齢域に至る国民の年金とは減額、減額の一途だ…


 話題を変えよう。

 本日昼間たまたま民放テレビを見ていると、40代男性タレントが78歳テレビ視聴者女性に電話にて相談をする場面に出くわした。
 タレント男性曰く、「肩が痛くて背中で両腕が繋がらなくなってしまったが、どうすればいいのか?」
 それに応えて78歳視聴者女性曰く、「現在40代ならば後40~50年はこの世に生きるであろう。 私自身の40台を振り返ると仕事をしていた事もあり、体が痛いなる感覚すらなかった。 今現在も特に身体に痛い箇所は無く元気に生きている。 酒を楽しむとか適当な運動でもすれば改善するのではなかろうか。」
 その後、タレント男性が如何に返答したのかの記憶がないのだが、恐らく78歳女性の回答の程が素晴らしいとして終結したと思う。

 ここで原左都子の私事に入るが、上記タレント40代男性(中学生を筆頭に子供を5名抱えているとの事だが)の体内不具合の程が理解できるのだ。
 私とて40代の頃は我が子のサリバン先生としての使命に燃えている時期であり、それはそれは過酷な日々だった。 我が体内のあちこちが痛むにも関わらず、そんな弱音を吐いている時間さえなかったものだ。
 それに比し旧世代に於いて一般的だった「年功序列制度」の恩恵を受け、定年退職後順調に老後を迎えている高齢者達とは、おそらく現在“世のしがらみ”から解放され、恵まれた年金制度の下に比較的豊かな老後を渡っておられる事であろう。


 「高齢者を敬おう」なる過去の美辞麗句が、必然的に消え去ろうとしている我が国の実態だ。
 
 高齢者達こそが、今後世の中に生きて行かねばならない若者世代にカネを回せ!との指導すら国政が実行している事も私はわきまえている。
 その一端が「孫への教育費 1,500万円 までは非課税制度」 だ。
 それを幾度となく我が郷里の母相手に“暗にそれとなく”伝えている私であるが、実母から返って来る回答とは、「自分が病気になった時に入院費用等医療費が掛かるから、私の年金全てを自分のために温存しておきたい。」そればかりだ。 (母が年齢を重ねる毎にその思いが募っている現実に直面させられ続けている…)
 
 母からのこの回答によりいつも再び我が目を覚まさせられるのが、高齢者医療の歪んだ現実である。 
 「検査漬け・薬漬け」、その誤りを元医学関係者である私から幾度唱えたとて、母の回答とは「主治医先生に任せたい(言いなりになる)」こればかりの現状だ…
 正直なところ、古い時代を生き抜いて来て旧態依然とした価値観で凝り固まっている我が母の実態が、手に負えないといったところであろうか。


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 私も後20数年経過してバリバリ高齢者域に入った時点で、我が母のごとく自分の娘に対して「高齢者は医療費が掛かるから、貴方には一切の遺産を残せない」とのたまっているのであろうか??

 何だかそうではない気がするのが我が今後に於ける明るい未来でもある。  一理由として私の場合、そもそも予防医学の観点から医療には極力依存しない人生を貫いているのに並行して、今後いつ自分自身を高齢者と自覚するかの展望が全くない事が挙げられる。

 加えて、私には我が娘に微々たる金額であれ遺産を残してやりたい思いがあるのだ。 そのためにも、政治経済共に厳しいこの時代に於いて尚、今後共に自分自身が現役の立場で切磋琢磨し続ける所存だ!