原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“愛称”であってこその「あだ名」の価値

2014年09月25日 | 人間関係
 我がペンネーム 「原左都子(はら さとこ)」 のファーストネームである“さとこ”とは、過去に一時期周囲より呼ばれていた「あだ名」(愛称)より名付けたものである。

 「原左都子エッセイ集」を開設するに当たり、如何なるペンネームを用いるかを熟考した。
 そんな折、(名字の“原”は片隅に置いておいて) 名前部分を何にするかに関し、私は直ぐに“さとこ”を思いついたのだ。

 と言うのも、“さとこ”とは私が郷里の親元から一本立ちして上京後、初めて正式に就業した勤務先民間企業内で名付けられた愛称であったからに他ならない。
 その名付けの根源由来とは我が旧姓による事は歴然なのだが、当時私はこの「あだ名」を大いに気に入っていた。  それというのも、郷里ではこの愛称で呼ばれる事が皆無だったためだ。
 上京する以前には、皆私の事を旧姓のファーストネームである一文字を取って「○ちゃん」と呼んでくれていた。

 その旧姓ファーストネームから取った愛称である「○ちゃん」も私は大いに気に入っていた事は確かだ。
 物心ついた頃より周囲の皆から「○ちゃん」と私が呼ばれる事に、我が実姉など嫉妬心すら抱いていた様子だ。 「あなたはいいね。 周囲から呼び易い愛称を付けてもらって。 一言で「ちゃん」付けで呼びにくい名前のためいつも呼び捨てにされる私が傍でそれを聞いていると、何だか姉の私は可愛がられていない感覚だよ…」 (参考だが、我が姉は18歳を過ぎた時点で裁判所に改名を訴え出て、自らの意思で戸籍上のファーストネームを変えた。)

 ここで参考のため、私の名前と類似した“愛称”を紹介するならば、「あっちゃん」「えっちゃん」「さっちゃん」「てっちゃん」「りっちゃん」のごとくだ。  確かに実姉が言う通り、私の名前とは日本人が発音しやすい「っ」なる吃音を伴う代表的な名前だったことは認める。 

 そんな過去に於ける誰にも呼び易い愛称に比し、上京後公的場面との企業内で、姓の一文字を活かし私の事を「さとこ」あるいは「さとちゃん」と呼んでくれた企業内仲間達の粋な命名に感激したものだ。
 ファーストネーム愛称を脱皮した後、何だか私が真に大人になれ、独り立ち出来た気がする我があだ名「さとこ」だったのだ。


  さて、ここで話題を変えよう。

 朝日新聞9月20日別刷「be」between のテーマは「あだ名でふだん呼ばれていますか?」だった。
 この記事の結果によれば、「はい」が29%、「いいえ」が71%と、大きく「いいえ」が上回っているではないか!

 意外や意外「あだ名」で呼ばれている人は少数派なんだ、とその結果に驚かされると同時に、記事を読み進めていくと、な・な・なんと現在の公教育現場では児童生徒間での「あだ名」を禁止するとの指導まで実施されている事態のようだ。
 教育者側のその根拠とは、例えばその「あだ名」が児童生徒の身体的要因による場合、「いじめ」を増強してしまうとの事情によるらしい…。
 (それって要するに、公教育現場こそが「あだ名」に基づく児童生徒個々の特質をマイナスイメージとして捉えている事実を証明するようなものだよね?!)

 ここで原左都子自身の、小学6年生時の「あだ名」を振り返ろう。
 元々長身だった私だが、ちょうどその頃第二次成長期にさしかかり、更に1年間で10cm以上身長が伸びた。 元々スリム体型だったのだが、身長の伸びに伴い全身的に「痩せ細った」ような外見を呈していた事を記憶している。 その時にクラスメートの一女児から付けられたのが「骸骨骨子(がいこつほねこ」なる異名である。
 ところが、私自身はこの“あだ名”がまったく気にならなかったものだ。 と言うのも、その頃既にテレビが子供の間でも流行していて、そのテレビに出演する女性歌手やタレント達が皆スリム体型でカッコよかったからだ。  むしろ、小6の頃学校で付けられた「骸骨骨子」とのあだ名とは、私にとってはその後の我が人生に於ける長身スリム体型維持志向に繋がったとも言えそうだ。


 学校現場に於いて「あだ名」を禁止する風潮が増殖している事態に関して追記しよう。

 「変なあだ名を付けてからかうのは“いじめ”の常套手段だ。」
 そんな訴えの下に、現在では「あだ名」が“いじめ”に繋がるとの理由で禁止する学校が増えているという。
 これに対し賛否両論あるようだが、「一律に禁止するのは個別に対応するのが面倒との役所的な考えだ」なる意見があれば、「あだ名」禁止は言葉狩りではなくいじめの根本的解決には繋がらない」なる世論もある。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私自身が小学6年生の頃に「骸骨骨子(がいこつほねこ)」のあだ名を教室内一女児童より賜った時点で、私は既に身長が伸び悩んでいた当該女児の劣等感を鑑み、その女児を「超越」した感覚こそを抱いたものだ。
 「そうだったんだ。 元々長身の私がもっとスリム体型になっていく事実が、この女児童は羨ましかったのかな?」  まさにその感覚で小学校を卒業した後、更に身長を伸ばした私である… 

 そんな私自身の経験に比し、確かに「デブ」「ブタ」なるあだ名は誰しも厳しいであろうし、いじめに繋がる可能性がある行為なのかもしれない。
 ただ、それとて将来に向かい自分自身の利益にせんと(例えば「大相撲界」や「柔道重量級」等)、その体型を有効活用すれば済む話でもあろう。
 要するに如何なる「あだ名」とて、それを活かして将来の糧に繋げればよい事だし、身体的あだ名がとことん嫌なのならば、早期にそんな体型的特徴を自助努力で打破すれば済む話と私は結論付けるのだが…

 片や、苗字や名前から名付けた「愛称」とは何らの弊害もなく生涯に渡り長く息づく「あだ名」であろう。

   
 今尚、郷里に帰省した暁にはファーストネームの「○ちゃん」の愛称で呼ばれる私だ。
 
 郷里の親が高齢化の一途を辿る現在に至っては、その名で呼ばれる機会が徐々に減っていく事実を再確認すると同時に、自分が名付けた「原左都子」なるペンネームを、今後一生かけて大事にしていきたい思いの私でもある!