原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

遊び心と春の風 -2017年春編-

2017年02月17日 | 自己実現
 「春一番」が全国を吹き荒れる本日2月17日の日本列島だ。


 私が住む東京でも早朝は未だ寒さが勝っていたものの、午前10時過ぎ頃から南南西の風が吹き荒れ始めた。
 集合住宅高層階に位置する我が家の南面ベランダでも、朝干した洗濯物が大風に煽られ始め、飛ばされそうになった。 急いでベランダに出て、洗濯ものを部屋にしまい込まねばならない有様だった。


 「春一番」と聞いて思い出すのは、当該「原左都子エッセイ集」にて開設まもない時期の早春に綴った春一番に関するバックナンバーである。

 早速以下に、約9年前の2008.2.28 に公開したバックナンバー 「遊び心と春の風」 と題するエッセイの一部を反復させて頂こう。

 春風が花粉を運んでくる季節が訪れてしまった。 この時期がつらい人は多いことと察するが、私もそのひとりである。 病院へは家族の付添い以外は行かない、薬は飲まない主義の私は、5月の連休が終わる頃までくしゃみと鼻水と目の痒さとそれによる睡眠不足との闘いの日々だ。 ティッシュの箱が下手をすると一日一箱なくなる。 化粧は剥げるし、鼻の皮は剥けてヒリヒリするし散々な目にあう。
 前書きはさておき、実はこのエッセイは花粉症とは何ら関係のない“遊び心”がテーマである。
 本エッセイ集の本文やコメント返答の中で何箇所か“遊び心”について触れているのだが、私は一見真面目そうに見えて(??)その実“遊び心”旺盛な人間だ。 わかりやすく表現すると“ちょい悪”であるかもしれない。 若かりし頃からこの“遊び心”をとても大切に生きてきている。 春風が吹かずとも、年中遊び心満載である。
 中学生の頃、既にこの“遊び心”があった。 小さい頃から真面目人間のレッテルを貼られていた私であるが、第二次反抗期を過ぎた頃からこの“遊び心”が表出し始めていた。
 例えば、授業中にちょっといたずらをしたくなる。 今なら机の下で携帯でメール交換でもするのであろうが、当時は携帯はない替わりにこっそり手紙を回すという手段があった。 これが大好きで率先して仲間に加わっていた。 先生は私がそんなことに積極的に加担しているとは露も知らず、申し訳ないことに周りの友人ばかりが叱られていた。(ごめんなさい…)
  ある時には、授業に故意に遅れることを私から積極的に仲間にそそのかした事もある。 この時には当然ながら遅れた全員が廊下に立たされたのだが、先生は真面目で通っている私が仲間にそそのかされたと勘違いし、私に同情してくれた。(そうじゃなかったのよ、先生。 私が主犯だったの。仲間のみんな、ほんとにごめん。)
 だが子どもが“遊び心”を発揮するのは心が開放されている証拠であると私は思うのだ。 大学受験を目指して心が閉鎖的であった高校時代には“遊び心”が表出する機会は一切なく、ほとほとつまらない高校時代を送った。
 さて大人になってから、しかも上京後一人暮らしを始めて何ら“足かせ”がなくなった後は“遊び心”のオンパレードである。(誤解のないように言っておくが、仕事、学業、大事な人間関係との享楽等々、自分の主たる生活要素をすべて完璧にこなした上での話ですよ。)
 私はこの“遊び心”のお陰で長~い独身時代を心底堪能した。 実に充実した独身時代だった。(よろしければ当エッセイ集の“恋愛”“酒”“雑記”カテゴリー等々のバックナンバーをとくとご欄下さい。)
  “遊び心”にも自己責任が伴うべきである。  自立した大人であるならば、自己管理力と周囲からの信頼との後ろ盾の下“遊び心”を発揮するべきである。 それら自己管理力や他者からの信頼のバックグラウンドもなく“遊び心”を実行に移す輩がいるならば、それは単なる“遊び人”あるいは“単純馬鹿”に過ぎない。
   (  中略  )
 花粉症で鼻水タラタラ状態で色気も何もあったものではないが、暖かい春風の中、少し“遊び心”を楽しんでみましょうか。 ハックショ~ン!!
 (以上、バックナンバー「遊び心と春の風」より一部を引用したもの。)


 上記エッセイ公開より9年の年月が過ぎ去った。

 改めて当該バッククナンバーを9年ぶりに読み返してみると、当時はまだまだ私の心身に “本気の遊び心の勢い” が内在していたと自分の若さに驚かされると共に、その我が勢いに羨望すら抱く。
 私としては、ずっとそんな“遊び心”を温存して来たつもりだったのに、年月の流れとは無情にも人から“自由度”や“楽しさ”を奪っていくものなのかと、ちょっぴり悲しい感情すら抱かされる。
 所詮人間とは、年月の経過と共に “つまらない人生” を歩まされ死に至るべくDNA統制されているのか? との被害妄想感にすら陥りそうだ。

 「花粉症」に関しても、あれから9年の月日が過ぎ去り、我が花粉症は激化の一途を辿っている。
 と言うより、生まれながらのDNA要因として「アレルギー性鼻炎」を抱えている私の場合、その後の鼻炎の悪化度合いの程が甚だしいのだ。 今や、年中鼻水タラタラ状態で、一日2箱のティシュボックスを要する身だ。 その結果として化粧が剥がれるどころか、年中人前で鼻水を垂らさざるを得ない悲惨な状況下にある。


 そのように人前で鼻水を垂らしつつも、私には今後の人生に於ける私なりの夢が燦然と存在している。

 その夢とは、やはり「遊び心」 を持続したい! との希望だ。
 人間が長生き出来る秘訣とは、これ、すなわち「遊び心」を内面で育み続ける事と私は信じ疑っていない。
 その「遊び心」課題とは、当然ながら人それぞれでもあろう。

 そんな「遊び心」を我が意で実行しつつ、今後もアレルギー性鼻炎など吹っ飛ばし人生を楽しみ続けたいものだ。 
 
 などと本日今年の「春一番」大風に煽られながら、今日のエッセイを綴った次第である。