原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

Wednesday Night Disco Fever !! ♪♪

2017年02月02日 | 音楽
 昨日、私は都心のクラブ(ディスコ)でディスコナイトをfever して来た。  


 何がどうしてこういういきさつになったのかを説明しよう。

 前回公開のエッセイで、「孤独死」を取り上げた。
 私自身は既に「孤独死」を受け入れる覚悟が出来ている旨の私見を述べた内容だ。

 それはよしとして、それに先立ち死に至るまでのまだまだ長き人生を、今まで通りにポリシーを持って生き抜かねばならない。
 私の場合元々自我が強い人間であり、自分なりの生き様を描き行動に移す事はおそらく得意な方であろう。
 ただ年齢を重ねる毎に、それを実際実行するのを躊躇せねばならない課題を外的要因や内的意思で背負ったりもするのが、高齢域に到達せんとする者の宿命でもあるように感じている。

 年明け頃から、そんな漠然とした課題を如何に処理しつつ周囲と軋轢無く暮らすか、などと心の奥の部分で考えたりもしていた。


 2月と言えば、税務確定申告が始まる季節だ。
 数年前より義母の不動産貸付業を含めた税務青色申告を代行している私にとって、この時期はその集大成の時期でもある。 1月に入った頃から、1年間収集した各種領収証の仕訳をし雑費等々の集計計算に入る。 不動産物件の減価償却費を計算し直したり年間の貸付収支をまとめると同時に、義母の年金額や医療費等々各種控除額の確認もせねばならない。 

 今年はラッキーな事に、その青色申告の指定日が2月1日(昨日だったが)と早かった。 (私は、やるべき事を早く片付けたい気質なのだが。)
 義母の青色申告代行は正直言って鬱陶しくもあるが、反面、それが終了すると大いなる開放感が得られるとのプラス面もある。
 そうだ! 今年は早い時期に義母の青色申告が終了するし、これをやり遂げたら私なりの“ブレイク”をさせてもらおうか!、と虎視眈々と狙っていた。


 それは同時に今後孤独死に至るまでの長き期間、私が如何に自己実現しつつ生きるのかの“トライアル”の意味合いもあった。
 と言うのも、私の場合義務を果たす責任観念は人一倍強いものの、反面、自分が真に楽しめる事を実行出来ているのか??  なる問いかけが我が内心にあるのを認めざるを得ない故だ。

 私自身が真に楽しめる事。  あれこれと考えを巡らせた結果、一番に思い浮かんだのが音楽分野である。 そのうち私が心底精根傾けられるのはおそらく「歌」と「ダンス」だ。(何分基本的に “自分がやりたい人種” だ。)   歌に関しては既に1ヶ月に一度くらいは一人、あるいは娘を引き連れてカラオケ通いをしている。 ダンスに関してもジムや自宅にて単独で踊ることはままあるが、その実行手段にどうも欲求不満が募っていた。


 そうだ、ディスコへ行こう!  との結論を導くには時間がかからない私だった。 
 早速ネットにて、都心のディスコ(現在ではクラブと名を変えているが)を検索したところ、自宅からメトロ直行で行ける場所に、週1度 “70年代ディスコを含めたクラシックデイ” を設けているクラブを発見した。
 ただそうだとしても、何せ昔ディスコへ通い詰めた私も既にそれを卒業して後30数年の年月が流れている。 しかも、上記クラブのネット映像が、まるで80年代のジュリアナ時代の映像だった。

 これだけは勘弁して欲しいものだ。 私が何故ディスコ通いを卒業出来たのかと言えば、あの80年代のジュリアナ時代は我が目標とするダンスとは程遠かった故だ。 ただただゲロ混み芋洗い状態で女子が集結し身体露出を極限まで施し、ただただ集団で流された他力本願ディスコ事態と総括出来るのではあるまいか?

 そんな私は冷静に考えた。
 あのジュリアナ時代から既に30数年。 いくらクラブ経営者側がジュリアナ時代を真似て“ボロ儲け”を志そうが、時代の流れがそれを塞き止めているであろう事くらいは重々想像が付く。


 そして昨日(2月1日)私は義母の税務青色申告を終えた直後に、単身で当該クラブへと足を運んだ。

 おそらく、特に開店後早い時間帯は店舗内は空いているだろうと予想した。 開店直後にクラブへ出向き、とにかく空いている内に踊りまくって帰宅しよう! と計画した。 そのため、踊り易い衣装(いつもジムで利用しているウェアを少しおシャレにした感じ)にヒールが高めの運動靴スタイルで、颯爽とクラブへ出かけた。

 案の上(まさに“案の上”過ぎて少し落胆した程だが)、開店時間少し過ぎた時間帯に入店したところ、私が一番客だった。  その後ロッカーに荷物を預けるのを手間取った私だが、やっとダンスステージフロアへと移動した。
 2ドリンクフリーシステムとの事で、とりあえずバーにて「モスコーミュール」を注文する。 これも案の定(飲兵衛の私の味覚には)酒とは言えず “まずいジュース”感覚なのだが、有り難くいただこう。

 ダンスフロアーでは、生ぬるい音楽しか流れていないのも客がいないせいであろう。
 元々1時間程で帰りたい希望だった私は、その生ぬるい音楽でフロアーに出で踊り始めた。
 20分程テキトーに踊っていると、やっと客が来店し始めた。 私が踊っているのを見た顧客が、フロアーに出て踊り始める。 そうしたところやっとDJが70年代ディスコサウンドの一つ “クール&ギャング” を流し始めた。 そこで私なりに本気で踊っているとダンスフロアーには客が増え始めて来た。
 このクラブは、これからが本番なのだろう。 と思いつつ、もう一杯「シンガポールスリング」を注文した後、次なる70年代サウンドに期待したのだが、どうやらDJ自身がさほど70年代サウンドを心得ていない事と推し量った。
 時間はちょうど、19時。  私は帰宅の途についた。

 
 最後に、昨夜のディスコ(クラブ)訪問印象を私なりに総括しよう。

 いやいや、私にとっては最高の Disco Fever 懐古だったとも言えよう。
 今回の我が目的は果たせた印象すらあり、今後も機会があれば当該クラブへ訪れたく思っている。
 
 それと同時に、時代の変遷も痛感させられた気もする。
 今時、まさか80年代ジュリアナ時代を再現せんと志す経営者など存在し得ないであろう事実と並行して、顧客層のクラブに対する要望も私の想像を超えて多様化している事実を思い知った。

 それでいいんじゃないの?  と結論付けつつも……
 娯楽業を支える文化事業体ほど、容易にこの世を渡れないのであろう事実も痛感した気もする。

 それでも、私が踊りたい思いも永遠なのだろう。
 おそらく昨日行ったクラブを近日再び訪れるであろう私が想像できる事実が、嬉しくもある。