原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

いつの間にやら “頼られる” 人間を強要されていた…

2017年02月27日 | 人間関係
 朝日新聞一昨日2月25日 別刷「be」 between のテーマは 「甘えられる人はいますか?」 だった。

 これ、今の私にとって人から聞かれて一番辛い質問だ。
 何故かと言えば、それが周囲に一人もいない事実こそが現在の私にとって一番の悩みであるためだ。
 いえいえ、決して「孤独」という訳ではない。
 私に甘えたい(頼りたい、と表現するのが適切だが。)人間は家族を中心に複数存在する。


 たとえば、今朝も郷里の実母より電話が入った。
 3月2日から実母の高齢者施設を訪問する予定となっているが、その時に「何を持参して欲しい。到着したら何をして欲しい。……」云々の依頼内容だ。 「うん。前にも聞いているし、既に準備出来ているよ。」と私が応えると母は安心した様子だ。 
 その留守中一人で自宅で暮らさざるを得ない亭主からも、「〇子(私の事)は2日の何時に出発だっけ? 帰りは何時頃になる?」とこれまた繰り返しの質問。 それに応えて、「2日は午前中の出発だし、帰りの日の帰宅時間は夜11時を過ぎるよ。 その分の食費を渡しておくから、一人でちゃんと食事するのよ。」とまるで子供に言い聞かせるように指導せねばならない。
 今回は、娘が職場の有給休暇を取れるとの事で同行するため、娘の心配は不要だ。 「郷里の施設のお婆ちゃんの世話は私がするから、貴方はせっかくの旅行なんだから自分が好きな場所を観光して楽しみなさい。」と促しても、どうやら私と一緒に行動したい様子だ…
 まったくもって軟弱家族を抱えると、短期間旅行に出るのも大変であることを、いつもの事ながら実感させられる。


 私自身はそもそも「人に甘える」人格だったと振り返る。

 特に幼少時代より子供の頃は、とにかくスキンシップを愛好する子どもだった。 家族等々周囲の誰にも自然ともたれかかったり手を繋いだりしていた記憶がある。
 それを家族に注意されたりした。 「〇子が直ぐにもたれかかって来て、重い」などと。 
 あるいは友達の女の子達と手を繋ぐのも好きで、それを小学校高学年までしていた記憶がある。 ある時友人から「女同士で手を繋ぐと変な関係と思われるからやめた方がいいよ」と指摘された時には、(確かにそうだなあ)と悟ったものだ。

 時は流れ大人になり、上京して仕事や学問に励み職場の長に任命されても、私は「人に甘える」との手段により自身の心の平穏を保ちつつ、自己実現を繰り返して来た感覚がある。
 周囲に“甘えさせてくれる”人材を集める事が得意技だった気もする。 そういう人物(そのほとんどが男性)と仲良くなる事に長けていたと言うのか… 
 まさにそのお陰をもって、我が“長き華の独身栄光の時代”を謳歌出来たのであろう。


 時代そのものが変遷して、私も年齢を重ねた。
 我が栄光の時代は当の昔に過ぎ去った事は自覚しているものの、何故生来的に「甘え上手」な私が「人に頼られる」身とならねばならぬのか、不可思議に思ったりもする今日この頃だ。

 そんな折に、冒頭の朝日新聞記事を見た。
 ここで、「甘えられる人がいるか?」の回答結果を発表するならば。  「はい」が56%、「いいえ」が44% との結果だ。
 おおー、意外と「いいえ」も多いじゃないか!と身勝手に安堵しつつ、その詳細を記載しよう。

 「はい」と回答した人物のほとんどが誰に甘えているのかと言えば、「夫・妻」との結論だ! (おそらく回答者に高齢者が多いのだろう。)
 私など「本気かよ!?」と言いたいところだし、これ、高齢者ご夫婦にとってはその後に「孤独」の危険性が燦然と待ち構えているのではなかろうかと、危惧感すら抱く。

 片や、「いいえ」と回答した人達の回答内容は多彩だ。
 「(甘える相手に)迷惑を掛けると思い、引いてしまう。」
 「気安い関係になれない。」
 「自立していたい。」 
 「借りはつくりたくない。」 
 「甘え方がわからない。」
 
 そんな「いいえ」の人々に尋ねた「本当は、誰かに甘えたいか?」なる質問の回答とは。
 「はい」が45%。  「いいえ」が55%。


 最後に、原左都子の私事及び私論でまとめよう。

 今回の朝日新聞の質問回答に関しては、一貫して「いいえ」と応えたい。
 特に今現在の私は、上記「いいえ」回答内の、「(甘える相手に)迷惑を掛けると思い引いてしまう。」「自立していたい。」 「借りはつくりたくない。」 に同意する。

 「(人と)気安い関係になれない」に関しても、その思いも重々伝わる。 ただ私の場合は今置かれている自身の立場上、むしろ「(この人とは)気安い関係になってはならない」なる否定的感情が優先する場合が多いのかもしれない。 
 「甘え方がわからない」に関しては、むしろ「甘え方自体は分かっちゃいるが(この相手には)遠慮するべき」なる冷静さを優先するのは当然の事だろう。 

 それにしても、人と人との関係が何とも希薄化してしまった我が国の現状だ。 いや、それは国際レベルで同様だろう。
 これ程までに国際規模でテロが勃発する時代と化し、国内に於いてもストーカー殺害事件等々人と人が傷つけ合う事件が多発している現状下に置いて、他者に安易に甘えている場合ではない事も明らかだ。

 そんな逆境下に於いて、一番の身内である「夫・妻」こそが最高に甘えられる相手!?、と結論付けた朝日新聞記事の信憑性もあろうかと考えたいが、その生活範囲や思考の狭さに寂しさや“歪み”すら感じるのは私だけだろうか…。

 ただ、これぞ朝日新聞読者が高齢化している事実を証明したようなものとも言えるよなあ。