私は、2011.11.18付の「お知らせ」カテゴリーに於いて、「コメント受付一時休止のお知らせ」と題するバックナンバーを公開している。
これを改めて見て、私はコメント欄を「閉鎖」したのではなく「休止」中だという事実を自分自身で発見した。
へえ~~、そうだったんだ。
などと無責任にも納得しつつ、「という事は、またコメント欄をオープンにする事もあるのか??」と自問自答する始末だ。
とにもかくにも、当該バックナンバー全文を以下に今一度紹介しよう。
日頃より 「原左都子エッセイ集」 をご愛読いただきまして誠にありがとうございます。
この度、都合によりコメント欄を閉鎖し、コメント受付を一時休止する措置を取らせていただく事と相成りました。
その間、原左都子宛にメッセージをお送り下さる場合は、左欄の 「メッセージを送る」 をご活用いただけましたら幸いです。
ご自身のメールアドレスあるいはURLをご記載いただいた場合、個別に返答を申し上げる場合もございます。
「原左都子エッセイ集」本体は、今後も変わりなくエッセイを綴り公開して参る所存です。
今後共、皆様のご訪問を心よりお待ち申し上げております!
(以上、本エッセイ集「お知らせ」カテゴリーバックナンバーを反復したもの。)
自身のブログのコメント欄は「閉鎖(休止?)」しておきながら、私は身勝手にも人様のブログへは土足で上がり込んで、コメントを記載させて頂く機会がここのところ増えている。
その行為には、私なりの「理由」(と言うか「魂胆」と言うべきか?)があるのだ。
一番の魂胆とは……
自己紹介を兼ねて、「いつも貴ブログを拝見しております」とのメッセージをお伝えする手段として、コメントを記載させて頂く機会が最近多い。
もちろん、記載されている内容に同感したり感動させて頂いて、その思いをコメント記載との実行に移す事と相成るのだが。
我がエッセイ集も、開設直後よりコメント欄を閉鎖(休止)した2011年11月まで、有意義で心打たれるコメントを読者の皆様より沢山頂いてきた。
当時のバックナンバーを自分で読み返す都度、コメント欄に頂戴した数々のコメント群も同時に読み直しては、(そう言えばこんな方もいらっしゃったし、またこの方も長期に渡りずっとコメント欄で我がエッセイ集を支えて下さったなあ)などと、名残惜しい思いも抱くし、コメント欄閉鎖措置により惜しい人材を私は沢山失っている感覚にも苛まれる。
コメント欄を開いてさえおけば、これらの方々との有意義な人間関係が未だ継続しているのだろう、と自分が取り返しがつかない過ちを犯した事実を思い知ったりもする。
時には、我がエッセイより長文(3000字を超えそうな)コメントを寄せて下さる人物も複数存在した。
それを熟読させて頂き、これまた私もその長文数を超える文字数の返答をお返ししたこともあった。
我がエッセイ集は時事社会問題等々に対するオピニオン公開を主眼として開設しているため、その性質故に誹謗中傷等々ご遠慮申し上げたいコメント被害にも遭った。 ただ、それとて「原左都子エッセイ集」にご興味をお持ちいただいた証拠であり、ある意味では歓迎すべき行動かとも判断したりもした。
(今現在も、ネット上で「ミニスカおばさんが綴る5流オピニオンエッセイ集」ナンタラの記述が消去されずに存在する様子だが、 私など、中途半端に2、3流ではなく“5流”との表現が嬉しい程だ。 あるいは“ミニスカおばさん”など、褒め言葉と解釈している。)
他人様のブログ コメント欄を現在覗かせて頂いて、私が感じる事がある。
私がブログを開設した10年程前に比して、エロコメ等々の迷惑コメントが完全排除可能なコメント欄のシステムとなっている時代の流れと並行し、皆様のコメント欄が “綺麗にまとまり過ぎている” 印象を受けるのだ。
それは時代の良き変化として受け止めるべきであろう。
ただ正直言って、すこし物足りなさを感じる私でもある。
「はい、貴方と私は仲良しです。 素晴らしいですね、良かったですね。 これからもよろしく。」 それですべてが収まるのならば、それに越した事はないのだろう。
私など、それってコメントではなく“単なる挨拶言葉”の域を超えていないと寂しく思うのだけど……
私が数年前までコメント欄を開いていた時期と、ネット上の「交流」の仕方が全く違ってしまっている。
ブログのコメント欄がそのような時代背景に移り変わり、危険回避に偏っている事実こそに、人間関係の希薄化を感じたりもさせられるのだ。
そうとは言っても既に還暦過ぎた身の我がエッセイ集に、もしも3000字を超過する長文反論ご意見を頂いたとして、それに更に反論し議論する時間が私側こそが取れるのか否かの不安感もあるのだ。
何分、亭主が定年退職後いつも家にいる立場であり、義母・実母の介護責任も一手に担い、日々その世話に活躍せねばならない身だ。
(私が思うに、定年退職したご亭主って24時間フリータイムでしょ? それに引き換え、その世話をせねばならない妻の立場は実に大変! 昼がくれば昼飯の準備、夜になると夕飯の準備に入らねばならず、自身が集中している事柄をいちいち中断させられる始末。 世の定年退職男どもよ、夕飯はともかく昼飯くらい一人で食べろよ!と言いたくもなる。 エッセイ本体を書くのもその合間にこなさねばならい立場で、コメント欄の対応が自ずと後回しにならざるを得ないのは火を見るよりも明らかだ… 私だって24時間フリータイムの身になりたいものだよ!)
それと並行して、そもそも私は“挨拶程度で済ます”綺麗ごとの人間関係は、近隣の人達との付き合いのみで済ませたい思いもある。
どうせ付き合うならば、たとえネット上であれ、原左都子相手に“3000字の長文ご意見”を寄越してくれるがごとくの勢いが感じられる関係を築きたい思いが強いのだ! (いえいえ、もちろんの事、短文にも命が込められている事実も経験済みですよ。)
その返答がこちらから叶わぬ今、やはりコメント欄休止(閉鎖)状態を続行するのが我が現在の実生活上のポリシーに合致するのかと考えたりもする。
これを改めて見て、私はコメント欄を「閉鎖」したのではなく「休止」中だという事実を自分自身で発見した。
へえ~~、そうだったんだ。
などと無責任にも納得しつつ、「という事は、またコメント欄をオープンにする事もあるのか??」と自問自答する始末だ。
とにもかくにも、当該バックナンバー全文を以下に今一度紹介しよう。
日頃より 「原左都子エッセイ集」 をご愛読いただきまして誠にありがとうございます。
この度、都合によりコメント欄を閉鎖し、コメント受付を一時休止する措置を取らせていただく事と相成りました。
その間、原左都子宛にメッセージをお送り下さる場合は、左欄の 「メッセージを送る」 をご活用いただけましたら幸いです。
ご自身のメールアドレスあるいはURLをご記載いただいた場合、個別に返答を申し上げる場合もございます。
「原左都子エッセイ集」本体は、今後も変わりなくエッセイを綴り公開して参る所存です。
今後共、皆様のご訪問を心よりお待ち申し上げております!
(以上、本エッセイ集「お知らせ」カテゴリーバックナンバーを反復したもの。)
自身のブログのコメント欄は「閉鎖(休止?)」しておきながら、私は身勝手にも人様のブログへは土足で上がり込んで、コメントを記載させて頂く機会がここのところ増えている。
その行為には、私なりの「理由」(と言うか「魂胆」と言うべきか?)があるのだ。
一番の魂胆とは……
自己紹介を兼ねて、「いつも貴ブログを拝見しております」とのメッセージをお伝えする手段として、コメントを記載させて頂く機会が最近多い。
もちろん、記載されている内容に同感したり感動させて頂いて、その思いをコメント記載との実行に移す事と相成るのだが。
我がエッセイ集も、開設直後よりコメント欄を閉鎖(休止)した2011年11月まで、有意義で心打たれるコメントを読者の皆様より沢山頂いてきた。
当時のバックナンバーを自分で読み返す都度、コメント欄に頂戴した数々のコメント群も同時に読み直しては、(そう言えばこんな方もいらっしゃったし、またこの方も長期に渡りずっとコメント欄で我がエッセイ集を支えて下さったなあ)などと、名残惜しい思いも抱くし、コメント欄閉鎖措置により惜しい人材を私は沢山失っている感覚にも苛まれる。
コメント欄を開いてさえおけば、これらの方々との有意義な人間関係が未だ継続しているのだろう、と自分が取り返しがつかない過ちを犯した事実を思い知ったりもする。
時には、我がエッセイより長文(3000字を超えそうな)コメントを寄せて下さる人物も複数存在した。
それを熟読させて頂き、これまた私もその長文数を超える文字数の返答をお返ししたこともあった。
我がエッセイ集は時事社会問題等々に対するオピニオン公開を主眼として開設しているため、その性質故に誹謗中傷等々ご遠慮申し上げたいコメント被害にも遭った。 ただ、それとて「原左都子エッセイ集」にご興味をお持ちいただいた証拠であり、ある意味では歓迎すべき行動かとも判断したりもした。
(今現在も、ネット上で「ミニスカおばさんが綴る5流オピニオンエッセイ集」ナンタラの記述が消去されずに存在する様子だが、 私など、中途半端に2、3流ではなく“5流”との表現が嬉しい程だ。 あるいは“ミニスカおばさん”など、褒め言葉と解釈している。)
他人様のブログ コメント欄を現在覗かせて頂いて、私が感じる事がある。
私がブログを開設した10年程前に比して、エロコメ等々の迷惑コメントが完全排除可能なコメント欄のシステムとなっている時代の流れと並行し、皆様のコメント欄が “綺麗にまとまり過ぎている” 印象を受けるのだ。
それは時代の良き変化として受け止めるべきであろう。
ただ正直言って、すこし物足りなさを感じる私でもある。
「はい、貴方と私は仲良しです。 素晴らしいですね、良かったですね。 これからもよろしく。」 それですべてが収まるのならば、それに越した事はないのだろう。
私など、それってコメントではなく“単なる挨拶言葉”の域を超えていないと寂しく思うのだけど……
私が数年前までコメント欄を開いていた時期と、ネット上の「交流」の仕方が全く違ってしまっている。
ブログのコメント欄がそのような時代背景に移り変わり、危険回避に偏っている事実こそに、人間関係の希薄化を感じたりもさせられるのだ。
そうとは言っても既に還暦過ぎた身の我がエッセイ集に、もしも3000字を超過する長文反論ご意見を頂いたとして、それに更に反論し議論する時間が私側こそが取れるのか否かの不安感もあるのだ。
何分、亭主が定年退職後いつも家にいる立場であり、義母・実母の介護責任も一手に担い、日々その世話に活躍せねばならない身だ。
(私が思うに、定年退職したご亭主って24時間フリータイムでしょ? それに引き換え、その世話をせねばならない妻の立場は実に大変! 昼がくれば昼飯の準備、夜になると夕飯の準備に入らねばならず、自身が集中している事柄をいちいち中断させられる始末。 世の定年退職男どもよ、夕飯はともかく昼飯くらい一人で食べろよ!と言いたくもなる。 エッセイ本体を書くのもその合間にこなさねばならい立場で、コメント欄の対応が自ずと後回しにならざるを得ないのは火を見るよりも明らかだ… 私だって24時間フリータイムの身になりたいものだよ!)
それと並行して、そもそも私は“挨拶程度で済ます”綺麗ごとの人間関係は、近隣の人達との付き合いのみで済ませたい思いもある。
どうせ付き合うならば、たとえネット上であれ、原左都子相手に“3000字の長文ご意見”を寄越してくれるがごとくの勢いが感じられる関係を築きたい思いが強いのだ! (いえいえ、もちろんの事、短文にも命が込められている事実も経験済みですよ。)
その返答がこちらから叶わぬ今、やはりコメント欄休止(閉鎖)状態を続行するのが我が現在の実生活上のポリシーに合致するのかと考えたりもする。