原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私が藤井四段の母だったら

2017年06月27日 | 自己実現
 いや、それは100%あり得ない。

 私の周囲には将棋環境が全くない故だ。 
 (亭主は“マージャンオタク”だし、 我が娘も一時私の影響を受けて「絵むすび」等々のパズルにはまった時期があったものの、現在社会人2年目の娘は未だ本業の仕事能力をバージョンアップするのに精一杯状態で、そんな余裕が一切ない。

 我が家にも、運が良ければ天才の子が生まれた可能性は0ではなかったかもしれない。 
 一応、子供の頃IQ168を誇っていた原左都子であるが故に、そのDNAを受け継いだ子供が我が家に生まれる確率は高かったかも?? と、自分勝手に言っていよう。


 それにしても、子どもとは天性の資質よりも、育つ環境にこそ大なる影響を受ける事実を実感させられる。

 藤井聡太四段とてそうだ。
 藤井四段の場合、将棋との出会いが祖父母だったらしい。 以下に、藤井聡太四段情報をウィキペディア情報より一部引用してみよう。
 藤井 聡太(ふじい そうた、2002年7月19日 - )は、21世紀生まれで初の将棋棋士。 杉本昌隆門下。棋士番号は307。 愛知県瀬戸市出身。 名古屋大学教育学部附属中学校在学。 プロ公式戦での連勝最多記録(29連勝)及びデビュー以来無敗での連勝最多記録(29連勝)の歴代1位記録保持者。
 5歳のときに「NEWスタディ将棋」を使って、祖父母から将棋を教わる。
 2010年3月に「アマ初段」で東海研修会に入会。 2011年に第10回全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝。 同年10月にJT将棋日本シリーズ東海大会の低学年の部で優勝。
 2012年6月に研修会B1に昇級し、新進棋士奨励会入会試験の一次試験免除の資格を得て、同年9月に奨励会に6級で入会。 初段から三段までを最年少記録のスピード昇段で通過。 年齢14歳2か月でプロ棋士(四段)となる資格を得た。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 ところで藤井四段の御母上は、私が見聞する限りさほどメディアに登場されない人物の様子だ。 
 上記ウィキペディア情報内に藤井四段お母上の談話が少しあるが、それによれば「生活能力が低い子供」との記述がある。(新幹線で一人で大阪まで対局に行った際に、鞄や上着等すべて忘れて帰って来た、等々。)
 ただその内容とは藤井四段の年齢を考慮すると、よくある失敗範疇と判断でき、決して「生活能力が低い」訳では無さそうだ。 要するにこの発言は御母上のご謙遜であろう。 
 
 それよりも注目するべきは、藤井四段の歴史的対局の現場にお母上は同行せず本人一人で対局に向かっている点ではなかろうか。
 そう言えば、連勝会場にても御母上が報道のインタビューに応じる事もなければ、自宅前に報道陣が押し寄せている映像も見た事がない。

 藤井四段の歴史上稀な輝かしき記録樹立の陰には、必ずやご家族の支援が存在するはずだ。
 ところが、その背景を一切感じさせないご家族の皆様、特に御母上の振るまいこそが、藤井四段をここまで強く育てたものと私は信じて疑っていない。


 ここで話題を変えるが、幼き頃より天才性を発揮していた他の人物として私が思い出すのは、盲目ピアニストの辻井伸行氏だ。

 辻井氏の場合生来的に盲目との障害を抱えていた訳だが、御母上の辻井氏が持って生まれた“天才性を見抜き育てる能力”の程が素晴らしかったと私は実感している。
 御母上は、息子である辻井氏の天才性をバックアップする事にご自身の半生を献身的に注がれた、と表現してよいのではなかろうか。 
 私が覚えている逸話として、御母上が幼き盲目の辻井氏を再三美術展へ誘い、絵画等の作品の描写を口頭で辻井氏に伝える作業を欠かさなかった、との報道を見聞した事がある。
 これは一例であろうが、このような御母上のご献身により、辻井氏が「絵画」が“目に見えるように理解出来る”と語られるのを報道で見聞し感動した事もある。


 立場が全く異なる若き天才ご両人だが、それでも私はお二人の御母上に「共通項」が見出せる気がする。
 それは子ども自身の成長を信じ、その方向性を指南しつつ見守り続けていらっしゃるとの事実ではなかろうか。
 更には、ある程度独り立ちしたと結論付けた暁には子供本人の主体性を尊重する方針に切り替え、少し距離を置くとの方策が大きく功を奏しているのかもしれない。
 これぞご両人が生まれ持っての天才性を発揮出来る、素晴らしき陰からの“母の愛”とも理解出来よう。


 どうやら私は “天才の子供を育て世に出す” なる大業とは縁の無かった母親のようだ。

 それでも身近に我が最愛の娘がいてくれて、日々その娘がこの愚母に喜怒哀楽をもたらしてくれる事に感謝感激の日々であることに間違いない。