原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

実親を憎み続ける熟年者が少なくない事実に何故か安堵する私

2017年06月08日 | 人間関係
 先だって、郷里の高齢者介護施設で暮らす実母より電話が掛かって来た。


 昨年11月に介護施設へ入居後早くも7ヶ月以上が経過した現在、実母はすっかりと施設の生活に慣れ、元気に快適に暮らしているとのいつも変わらぬ電話での談話だ。

 「それは何より!」と応えつつ、既に“母親”ではなくなっている事実にいつも気付く私だ。
 何と言おうか、子どもが母親に自分の事を聞いて欲しくて電話口で甘えて一人芝居で喋くり倒している、と表現するのが適切だろう。 要するに、娘である私は常に実母の“母親役”を強制されているのだ。

 これは施設入居後に限った事ではなく、実父が60代に突然死を遂げた後に既にその“現象”は出現していた。 (まさに、私が娘を超難産で産みサリバンとして日々過酷な日々を送っていた頃からだ。)
 我が実母の場合、現在米国在住の姉には一切甘えられない様子だ。 我がままで手が付けられない姉に対しては、施設に入居後の今尚電話にて“聞き役”に徹している。 その電話の内容が気に入らない時には必ずや次女の私に電話を寄越して「米国の姉に手こずる。どうにかして欲しい。」と泣き付く。 いつも私の応えは決まっていて、「そんなに嫌ならもう介護施設入居の身だし、姉に『私も年老いたし、少しは私が置かれている立場も考え我まま電話を控えて欲しい』と直言すれば済む事でしょ。」と何度言っても、それが実行出来ないでいる。
 結局母として姉が可愛いからそういう結果となっているのだろうが、言いたい事が言い易い私にばかり甘える母の “甘えられ役”をずっと担当させられている現状だ。

 実母に限った事ではなく、義母の場合は認知症状が進んでいることもあり、もはや義母にとって私の存在とは「お姉さん」であるらしい。 いつも電話を寄越しては「お姉さん、聞いて。」と話しかけて来る。
 「あれ、間違えたかしら。何だかね、〇子さんが私の姉とダブるのよ。」と少し前までは弁解していたが、今に至っては私は間違いなく義母の「お姉さん」以外の何者でもないようだ。
 ただ義母の事例の場合、私側は何らの不都合が無いどころか“可愛らしさ”すら感じる。 それは、元々義母とは私を育てる義務など無かった人物だし、晩婚後高齢に至るまで実に厚遇して貰った故だ。(特に経済面で。

 それに比し実母に対しては、私に対する養育義務があったはずなのに、それをろくろく果たさずして私が上京し自立するに至っている。
 何で今更、“ろくろく育てていない”娘に頼りたいのか!?? との憎しみ感情が脳内で優先してしまうのだ。 しかも、“手がかかった”長女にいつも母は翻弄されていたにもかかわらず、その姉には頼ろうとしないどころか、年老いた今尚電話にて姉の話は聞いてやっているのだ。
 いやまあ私の場合は、実母になど今更何も相談することすらないのだが。 米国に渡り何十年か経過した現在尚、実母に電話を寄越し自身の辛さや愚痴を訴えねばならぬ実姉の心情を思えば、確かにその子を産んだ親としては何らかの役に立ちたいとの事なのだろう。


 さて、話題を変えよう。

 朝日新聞6月3日付 “悩みのるつぼ” 相談は、50代女性による 「両親への怒りが消えない」 だった。
 以下に、要約して紹介しよう。
 私は小中学生の頃、父から性的虐待を受けた。 その後自分が産んだ子供が中学生になった頃に当時の自分とだぶり、周囲の人に打ち明ける事で少しは楽になった。
 しかしその後父が自殺した。 今80代になった母は当時「私だって苦しかった」と言う。 昨年私が胃癌手術を受けた際「なんで胃癌になったの? お酒の飲み過ぎでは?」と言われ、蓄積してきた怒りが爆発し、「母親である貴方にそんな事を言われた事こそが人生最大のストレスで、病気もそれが原因だ。お見舞にも来ないで!」と言った。
 毒づいたことは反省していないし、私を守ってくれずそれを反省もしていない母に対し怒りが激しくなるばかりだ。 
 現在の夫は私を守ってくれる人で、とても幸せだ。 彼は「もういいだろう」とも言うが、私には両親に対する怒りが消えない。 どうすれば解放されるのだろうか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 ここで一旦、私論に入ろう。

 上記相談内容とダブる部分がある。

 私が郷里に帰省して酒を飲むと、決まって実母が「あんたは何でそんなに酒を飲むのか。そんな事では人生ダメになるよ」といつも意味不明にたしなめるのだ。
 そう言う割には、亭主が酒を飲む事に関しては何も言わない。 これぞ「男女差別意識」に基づいた発言だったのだろうし、あの過疎地では女性が酒を飲む事に慣れていない故の発言だったのかもしれない。 好意に解釈するならば「酒とは害ばかりある」と信じて疑がっていなかった実母が、娘である我が身体に及ぼす害を回避せんとしたのだろうか??
 そうだとはしてもこの実母の見識浅く否定的で歪んだ配慮がとことん嫌で、私はその後郷里帰省時には必ずやホテルを予約し、昼間のみ実家を訪ねて決して実家に宿泊する事は無かった。 

 
 歌手・俳優であられる三輪明宏氏の“悩みのるつぼ”ご解答内容のごく一部を以下に紹介しよう。

 回答者である貴方は現在、夫も子供もいて幸せなのですね?  その幸せである現状を、きちんと認識して欲しいと思う。
 貴女のお母様に関してだが、耐えて耐えての人生だったと思いますよ。 お母様は苦労人だったことでしょう。 
 不幸の経験がある人は、だからこそ、ささやかな幸せを感じる事ができます。 貴女なら、「あの不幸な出来事も、今の幸せを10倍も20倍にも感じられるような土台」と思って、これからは前を向いて欲しいです。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 何事も短く美しく過ぎ去れば、すべてが素晴らしい記憶として残りそうに私も思う。

 ところがどうしたことか、現在私が保証人として抱えている義母・実母の介護保証人責任が長引きそうなのだ……
 両人共々、本人からの体調不良訴え及び「病院・医者好き」に反し、現在のところ何らの致命的症状が無いのだ。
 どうかそれを自身の長所として長生きするに越した事はないのだろうが、両人共々医学専門知識が皆無のまま他力本願に長生きしそうな現状だ。

 これが大変!
 義母よりの「お姉さん、話聞いて」はよしとして…、
 実母よりのいつまでも「私が産んだ姉妹の妹のあんたが私の戯言を聞け!」と言わんばかりの電話に、今後何年付き合えば私は自由解放されるのやら…