原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

留学前鬱症候群、私も経験あるなあ

2017年07月10日 | 旅行・グルメ
 (写真は、今から42年前の1975年夏に米国UCバークレー本校へ短期留学した際、留学仲間達と一緒にUCバークレーキャンパス内で撮影した写真。 中央が当時19歳だった私。)


7月に入り、学生達の夏季休暇が近づいている頃だ。

 折しも、朝日新聞7月8日“悩みのるつぼ”相談内容は、女子高校生による「留学するのにやる気出ません」だった。
 この相談者の場合、1年間との長期留学を予定しているようだが、留学が迫るにつれ何もかもが面倒臭くなり、生活がダレてお菓子を食べまくり体重が5㎏も増える有様、との相談内容だ。

 早速原左都子の私見だが、これ、明らかに「留学前鬱症候群」と結論付けた。

 と言うのも、私の場合たかが1ヶ月間の短期留学だったが、出発が迫るにつれ同様の「留学前鬱症候群」に苛まれ始めた。 体重こそは増えなかったものの、「何もかもが心配になって来て、行きたくなくなった。」「もう、いっそキャンセルしようか。」等々と母に告げたものだ。 私以上に心配していた母が即答して曰く、「今すぐ、キャンセルしなさい。」

 何分、19歳と未成年者。 海外へ行くのが初めてならば、飛行機に乗ることすら初体験。
 東京羽田空港にて留学生達が集合し、そこからは団体行動となるのだが… 

 春頃計画して郷里の友を誘ったものの、皆が皆「親が反対するからやめとく。」との返答だった。
 そりゃそうだろう。 何分、42年前頃とは未だ海外旅行自体が珍しい時代背景だったのに加えて、妙齢の娘を1ヶ月間も外国で暮らさせるなど、特に過疎地の田舎に於いてはあり得ない話だったのではなかろうか??

 この時の短期留学は、当時外大に通っていた姉の提案だった。 既に米国とイギリス2カ所の短期留学をこなしていた姉が、「学生のうちに必ずや海外へ短期留学をしなさい。 外国語専攻学生でなくとも、何にも増して良き体験となる事間違いなし!」と背中を押してくれていた。 

 そして、私は最終決断を自分で下した。 「やっぱり行く!」

 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者の上野千鶴子氏なのだが、やはり私と同じ回答をしておられる。
 留学って、そりゃストレスがかかります。 まったく見知らぬ土地に飛び込んで、言葉は出来ないし、上手くやっていけるかどうかも分からない。 留学を決めた時は大決断だったでしょう。 その高揚感で「キラキラ」過ごしていたのでしょうが、予定が近づくにつれ気が重くなる… そんなものです。 (途中大幅略) オトナが海外の異文化から大して学ばない事に比べれば、何者でもない貴女が異文化にさらされて学ぶことは無尽蔵です。 後になって、あの時外国へ行っておいてよかった、と心から納得するでしょう。 さあ、行ってらっしゃい。
 (以上、上野千鶴子氏の回答のごく一部を紹介したもの。)


 話題を、我が42年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻させて頂こう。

 そうこうして、19歳の私は重いトランクを引きずって単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。
 上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
 ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
 そのノースウェスト機内で横に座った同じく留学生の慶応ボーイと、まずは会話をする事になった。 何でも、彼は幼稚舎からストレートで慶応一直線とのことだ。 学年もあちらが一つ下との事で、ド田舎にて国公立一直線の私とは、どうも会話がちぐはぐな感を抱いた記憶がある。
 その後シアトルにての数時間の待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー!  私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)

 ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。
 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。

 この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。
 食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!!  元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能したものだ。 ホール内でバリバリにダンスを楽しむ私がモテない訳もない!?? (ただし、ダンスパーティ参加者は留学生に限定されていたが。) 
 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。

 それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。  何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。 
 授業は予想以上に厳しかった。 午前中3コマ、午後1コマすべての授業にネイティブの担当教員が付いていて留学生全員の記録を付けていた。  午後の授業はヘッドホンにてのリスニング・スピーキング授業だったが、夜遊びがたたってついつい眠ってしまう私は、担当教員に幾度もお叱りを受けたものだ。

 まだまだ、短期留学逸話は盛沢山だ。
 
 留学生と言えども、土日は休日自由行動と相成った。
 その日は寮の食事提供もお休みならば、毎晩施される“ディスコダンスパーティ”も無い。
 それが一番の楽しみの私にとって、土日こそが自分の力量を試される時と相成った。
 最初の土日は、そうであることを予想して日本出発前より「ヨセミテオプショナルツアー」を申し込んでいた。 それに参加して初めて気づいたのだが、参加者が見知らぬ米国人ばかりだったのだ!
 いやはや、参ったなあ…  と困り果てていた私に親切に声を掛けてくれた日本人女性がいるではないか! この女性のお陰で、私はヨセミテでの2日間を堪能出来た。 ラッキーとは続くものだ…

 などと言っていても、土日は無情にもまたやって来る。
 19歳にしての単独行動とは、本音を言えば実に心細いものだ……
 それでも、なるべく私は果敢にも自分で計画を立てて単身で行動した。 一度は地下鉄に乗ってサンフランシスコまで出向いた。 その時に知り合いお世話になった日本人男性とは、後にも日本で再開する機会があった。
 あるいは、当時流行っていたロックバンド Tower of Power のコンサートが大学の近くであると聞き、そのチケットを購入し寮の仲間と一緒に比較的前席で観賞した。(と言うよりも、座席を立って踊りまくった記憶があるが…)

 
 我が19歳時の短期留学の思い出を辿っていると、“芋づる式”にいくらでも脳内から記憶が呼び起こされそうだ。
 と言う訳で、上野千鶴子先生もおっしゃる通り、若き時代に実行される留学なる経験とは、その未熟さ故に学ぶことが無尽蔵だ。

 出発前の不安感とはそれはまるで鬱病にでも罹患したがごとくの苦悩だが、それを乗り越えていざ出発してみると、そこにはミラクル世界が広がっているのではなかろうか。
 ただし、それには条件もあろう。 何かの得意分野(あるいは嗜好分野)が若き頃よりある事が身を助けるとの事のような気もする。 (私が低レベルで下手なりにもダンス好きで、ミュージックが流れればいつでも踊り出せるがごとくの。)
 
 とにもかくにも、これから1年間留学するとの“悩みのるつぼ”相談者の女子高校生さん。
 貴女は恵まれていますよ。  どうか、その1年間を楽しみつつ堪能されますように。