原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

安倍首相の「こんな人達」発言にみる個々の人権蔑視の姿勢

2017年07月23日 | 時事論評
 私は、昔から「皆さん」「みんな」なる言葉に嫌悪感を抱いている。

 天邪鬼の私がこの言葉を聞かされても、咄嗟に「『皆さん』って一体誰だ?!?!  あんたは誰にものが言いたいんだ?、 明確にしてから発言せよ!」 との反発心しか湧かない。
 そんな私にとっての「皆さん」なる言語とは、発言者側の独裁者としての一種特権意識が背後に潜んでいるかのような恐怖すら煽られる感がある。


 この言葉を好んで発するのは、主に学校の教員達だ。

 確かに便利な言葉なのであろう。
 クラス全体を対象に話しかけるに当たり、とりあえず「皆さん」と発しておけば、クラスの皆が聞くだろうと自己陶酔に陥ることが可能だ。

 いやいや、(何度も書くが)子供の頃から客観力があり生徒の役割を果たすべきと悟っていた私は、自分の天邪鬼気質を押し殺してでも必ずや教員達の「皆さん、…」発言は聞いたものだ。
 むしろ理解力に長けていた私は、クラスの誰よりも教員の「皆さん話」の要点を把握したことだろう。 そんな私は、(一時の反抗期を除き)ずっと「いい子」で通って来た。

 年月が経過して、自らの教員時代はどうだっただろうか?
 おそらく既に「皆さん」発言に嫌悪感を抱いていた私は、生徒達の前で決してこの言葉を使用しなかった気がする。 いや、この言葉を発せずして用が足りた気もする。 「皆さん」と言わずして簡単な挨拶の後、要件を生徒達に伝えたように記憶している。 
 「皆さん」と冒頭に付けようが付けまいが、聞く子は聞く、聞かない子は聞かない、学校現場とはそういうものであり、それぞ集団現場に於ける性(さが)でもあった事だろう。


 話題を大幅に変えよう。

 去る2017.7.2に開催された都議会議員選挙の選挙戦最終日に、自民党候補者応援のため秋葉原駅前にて演説した安倍首相の口から出たのが、「こんな人達」 との驚愕するべき発言だった。 
 その時の事の詳細を新聞情報より少し説明するなら、この秋葉原の安倍氏の演説に集まった多くの市民より「安倍辞めろ!」「帰れ!」が連呼されたのに対し、安倍氏が発したのが「“こんな人達”に負けるわけにはいかない」との雄たけび発言だったそうだ。 

 これに関するニュースをその日の夜テレビにて見聞した私は、実に驚かされた。
 安倍氏にして決して不思議・不注意とは言えない発言であろうが、これで完全に「国民を更に敵に回した」と私は実感させてもらうと共に、これで安倍政権は更に支持率を下げるものと安堵したものだ。


 ここから安倍氏の「こんな人達」発言に関する私見を述べよう。

 このニュースを見聞して私が感じたのは、恐らく安倍氏は国民(特に安倍政権)を支持してくれるあくまでも “不特定多数の得体の知れない” 国民を「皆さん」と捉えているのであろう事実だ。
 実際安倍氏の演説等々で「皆さん」発言を多発している実態とも把握している。
 これぞ、安倍氏が“安倍独裁政権”を牛耳る独裁者たらんと希望するべく発言であろうと、私はずっとマイナスの意味合いで理解して来た。

 もしかしたら安倍氏は、その対極発言として「こんな人達」なる信じ難い発言を公衆の面前で深い思慮もなく発してしまったのではあるまいか??!
 安倍氏にとっては、自分を今までずっと支持してくれた(あくまでも得体の知れない不特定多数の“なんとなく”の支持派も含めた)国民達こそが自身の味方であることには間違いない。
 それらの人々との“差別化”の意味合いで、「こんな人達」なる発言を安易に発してしまったのだろう。

 原左都子の私論だが。

 冒頭に記した通り、そもそも「皆さん」なる発言の意味合いを安倍氏自身が今一度深く考察してみるべきだ。
 安倍氏が言うところの「皆さん」とは、その実態が実に不透明な存在である。 (それは、縮図であろう学校現場において教員が生徒に発する場合も同様だが。) 
 その対極にある 「こんな人達」 発言は、明らかに安倍政権の支持率を急降下させる元凶だったものと私は理解している。


 さてここで、朝日新聞2017.7.20 記事に、大学教授 蟻川恒正氏による 「『こんな人たち』首相発言 国民を『個人』と見ぬ不明」と題する記事より、最後の結論部分のみを紹介させて頂こう。

 政権批判をすることは、市民にとっては危険をおかすことである。 それでも声を上げた小さな個人の葛藤を決断を組織による動員と見誤る政権は、国民と向き合う自己の姿勢を反省することもできないだろう。
 政権が未だ事態をわきまえぬ中で、自らの発意にもとづく政治的判断を積み重ねた個人が力を示すのは都議選だけではあるまい。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私論が上記蟻川氏の結論と異なるのは、最後の部分 「都議会選」にて小池氏の勝利を蟻川氏が肯定している箇所だ。
 これに関する私論は、とりあえずは「自民党都議連」に小池氏が勝利した結果は肯定するものの、「都民ファーストの会」の存在を完全肯定するに至っていない点だ。 これは原左都子として是非ともここで明記しておきたい。
 その上で、蟻川氏が政権批判に声を上げた市民に対する安倍政権の姿勢をバッシングしている部分に同感する。

 「皆さん」って一体誰だ? 
 これを権力者を自称する者達が明確に定義した上で、その呼称を底辺に存在する庶民に発信して欲しいとの我が思いに変わりはない。

 それと並行して、「こんな人達」と大失言してしまった時の人物 安倍さんにも提言したい。
 今後、公の場で発言する機会があるならば、「皆さん」も「こんな人達」も取りやめて、単に挨拶だけして自分が言いたい事を発言したらどうなのか?!?
 皆に自分の偏った思想を聞いてもらえると信じるその“奢り感覚”こそが安倍氏の思い上がりであり、それこそが貴方の独裁資質に他ならないだろう!?