原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

DNA検査の劇的進展は人類の未来に何をもたらすか?

2018年07月01日 | 学問・研究
 私は、HDLコレステロール値が特異的に高い。

 とは言えども健診が義務化されている職場を去って後は、基本的に“健康診断を受けない主義”を貫いているため、過去の検査データに基づきものをいっているに過ぎないのだが。
 ただ、おそらく現在もHDL高値を我が身体が貫いているであろうことは、自身の体調等を総合的に検証・考察するに想像可能だ。
 (参考だが、HDLコレステロールとは、血管内壁にへばりついて動脈硬化を引き起こすLDLコレステロール「悪玉コレステロール」を引き抜き肝臓まで運ぶ働きをしているため、「善玉コレステロール」とも呼ばれている体内物質だ。)


 遺伝とは実に面白いもので、我が実母も実姉も今現在尚HDLが高値である。
 実姉の場合、高校生時点より家族と別に暮らしているし、私も20代前半期に単身上京している。 その後の3名の生活習慣・スタイルは大きく異なるにもかかわらず、HDLコレステロール値が高いとの点でピタリと一致するとは、まさにDNAの成せる業である。
 望む望まないにかかわらず“血は争えない”ものであることを、こんなところで実感させられる。


 大幅に話題を変えよう。

 本日2018.07.01付朝日新聞別刷 “GLOBE”のテーマは 「DNA検査」 だった。
 過去(40代半ば頃~50代手前頃)に於いて国立研究開発法人研究所にて実験動物マウスのDNA基礎研究実験に励んだ経験のある私にとって、興味深い内容だった。
 あれから未だ十数年の年月しか流れていないにも関わらず、世の「DNA検査」技術が猛スピードで革新を遂げている事実に驚かされる。

 それと同時に、特にヒト(人間のことを医学ではこう表記するが)に関する「DNA検査」が今後何を目指しどんな未来をもたらすのかに関して、プラスマイナス両面での印象を抱かされた。

 それでは、上記“GLOBE”より、「自分探しのその先 遺伝子差別を禁じる法律は10年前にできたが、問題は解決していない。」と題する記事部分を以下に要約して紹介しよう。
 米国に住む某男性氏(48歳)は、この春、遺伝子検査業界大手社の検査「23アンドミー」を利用してみた。 検査費用はわずか1万円程度。 自分のルーツに関する人種構成が国籍ごとにパーセント表示された結果が戻ってきた。
 このように、米国においてはここ数年、遺伝子によるルーツ探しが流行している。 
 この男性の場合、それを実行する事により、自分のルーツにまつわる歴史や文化への関心が高まった、と言う。
 遺伝子検査には将来の遺伝子疾患のリスクを示すサービスもある。 米国では、アルツハイマー病やパーキンソン病など10種類の疾患リスク情報を、医師を介さず利用者に直接提供することも許可されている。
 ただ、こうした遺伝子検査の流行を懸念する声もある。 某大学生命倫理学専門教授氏は、「遺伝子情報は最も重要なプライバシー。 検査会社は利用者情報を研究機関等へ売って利益を得ている。 個人はそのプライバシー情報が如何に利用されるのかにもっと敏感になるべき。」と指摘する。
 日本でも同様に、医療機関を通さずして太り易さなどの体質や、生活習慣病や癌のリスクなどを調べる遺伝子検査が市場として拡大しつつある。
 (以上、朝日新聞別刷“GLOBE"より、一部を要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 我が国“日本人”のルーツなど、混血国家である米国と比較するならば、たかがその差異とはしれているのではなかろうか?
 いえいえ、実に失礼な発言をお詫びするべきだろう。 過去に於いて近隣国侵略の歴史がある我が国内で、ご自身の正確なルーツを辿りたい同じ黄色人種である国民の皆様が存在することであろう。

 「DNA検査」外に話題を変えると。
 この私も日本国内で医療機関を通過せずして、簡易検査可能な組織の存在を利用せんと志した事がある。
 それは「大腸癌検査」なのだが、何故この検査を安易に受けようと志したかというならば。 とにかく、病院受診をとことん敬遠している身にして、どうしてもこの検査のみ受けたくなったのだ。 
 ただ、その組織情報を熟読するに「大腸癌検診」と言えども単に“ヘモグロビン定量検査”のみ実施であることが判明した。 これじゃあ、決して「大腸癌検診」とは言えないねえ。 「痔」症状もすべて“陽性”扱いとなり、結局、「病院を受診せよ」との回答が返ってくることが歴然なのだ。
 即刻却下対象としたのだが、幸いなことに我が出血症状は、直ぐ後に自ら「痔」と判定できた。


 そんな我が戯言よりも何よりも…。

 世の劇的進化であるはずの“DNA検査”が、医療の発展を阻止せんとするべく人の遺伝子差別は元より、人類の困惑をもたらしているとしたならばこんな悲劇は無いであろう。

 そもそも、医学が果たす役割を医学組織自体及びそれに関与する研究者達が冒瀆しようとしている印象もある。
 ここに来て、“DNA検査”がそれ程までに歪んだ方向の発展を本気で目指しているのならば、ここは医学界自体が初心に戻るべきではなかろうか?