原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

言葉だけの感謝を望む前に介護者はやるべき事がある

2018年07月04日 | 人間関係
 確かに「ありがとう」との言葉には、それを言われた人に新たなエネルギーを与える力があるようにも思う。
 ただ口先だけでこれを繰り返されると、有難味が激減するどころか鬱陶しさすら漂うものではなかろうか?


 私が現在保証人を務めている高齢者介護施設入居中の我が義母は、昔からよくお礼をいう人だ。
 それは、そうした方が自分に新たなプラスの見返りがあることを人生経験として熟知しているために他ならない。

 最近は認知症状及び耳の聞こえの急激な悪化現象により、義母からの電話および直接対面する機会が激減しているのだが。  以前は私が施設へ行くだけで、「〇子さん、また来てくれてありがとう。〇子さんが来てくれると私は本当に嬉しい。これからもよろしくね。」との“決まり文句を何度も何度も繰り返すのだ。

 ただ義母の場合は、この言葉を“口先だけで”発しているのではない事は私も実感している。
 実際高齢域に達し、心底“心細い”のであろう。
 そんな身にして、これを繰り返す事により「貴方だけが頼りだから絶対に私を見捨てないで欲しい」なる切羽詰まった嘆願を、私相手に訴えている事実が歴然だ。
 それ故私の方も、必ずやそんな義母の心細さ故の嘆願に応え“決まり文句”を返すことにしている。 「大丈夫ですよ。 私がお義母さんの後見責任を果たしますから、安心して下さい。 困った事があったらいつでも電話下さい。直ぐに対応しますよ!」
 それに義母が応えて、はたまた「ありがとう。〇子さんだけが頼りなの」を繰り返す…

 と言う訳で私と義母との関係に於いては、義母からの「ありがとう」の言葉は2人を繋ぐ有効な言語として成立している。


 さて、少し古くなるが、朝日新聞2018.06.16 「悩みのるつぼ」の相談は、50代男性による「義母から感謝の言葉がない」だった。

 早速以下に、相談内容を要約して紹介しよう。
 賃貸アパートを経営している50代男性だが、先日義母のテレビが壊れ、直ぐに買って欲しいとの依頼に応えネットにて購入した。 ところが、以前ベッドや洗濯機などを買ってあげた時同様に、義母は自分が買ったような口ぶりだ。 その後私がテレビの様子を尋ねると、「よく映っているよ」と言うものの、お礼の一言も無い。 
 妻の話では、義母に対する金銭的援助は私からだけらしい。 妻の姉夫婦は義母に何らの援助もしていないようだ。 それならば義姉から「母がお世話になっています」等の言葉が欲しいものだが…。
 義母には、毎日洗濯物を畳んでもらったり、子どもの世話や留守番などもしてもらっている。 故に義母には感謝している。 だが、我が感覚としてはしっくりと来ない。
 今後、義母や義姉とも平和に付き合いたいが、この割り切れない気持ちをどのようにおさめたらよいか?
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談より要約引用したもの。)


 ここから私見に入るが。

 おっとっと。
 この相談をよく読まずしてこのテーマをエッセイの題材としたのだが。
 今、相談内容を熟読してみるに、50代男性相談者の苦悩の程が痛い程理解できる私だ。

 相談者の義母の場合、未だ若い年代でありそうだし、相談者の子供の世話や家事などを補助可能な身体能力も備えている様子だ。
 その身の義母を金銭的に援助せねばならない赤の他人である相談者氏の苦悩の程は、十分に理解可能だ。
 ただ、相談者とその妻との関係が分かりにくい。
 一体全体妻との間で、妻の母である義母の介護に関し如何なる“取り決め”の後に婚姻に至ったのであろうか? ご自身は“賃貸アパート経営業”であることは相談内容より把握可能だが、奥方は何をしているのだろう?? 
 相談者氏はその出発時点から失敗している、としか言いようが無い。 と言うよりも厳しい論述かもしれないが、たかが“賃貸アパート個人経営者”とはこの世に於いて不確実極まりない業種ではなかろうか?
 そんな身にして、何故妻の母(要するに義母)のゆくゆくの面倒までみる事を妻に確約してしまったのだろう??

 こんな場で私事を語っても何だが、我が家など特に老後は夫婦間公的年金独立採算制を貫いている。
 故に介護に関しても、特に経済面では、あちらはあちら、こちらはこちらだ。 ただし、幸運な事には義母も実母も自身の経済力に恵まれているため、自らの経済力で介護施設にて暮らしている。
 ただ上記記載の通り、特に義母に対する実際の介護補助や、義母の不動産業運営及び財産税務管理は嫁である私が全面的に代行している。 その代行報酬は義母の財産より受け取る取り決めが成されているため、私は何らの不服も無い。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 「介護問題」とは今現在及び今後に至っては、若い世代にこそ重くのしかかって来る課題であろう。

 私など自らの意思で“晩婚”を選択しそれを実行したが故に、晩婚に至るまでの短くない年月に様々な人生経験を積み重ねることが叶った。
 それが功を成し、結婚相手の選択肢に関しても(介護問題も含め)あらゆる条件を吟味する余裕があったのだ。

 現在私が保証人を務めている施設入居の義母だが、上記のごとく今現在いつ会っても私相手に「感謝」を述べてくれる“人材”である。 そういう人を介護する事とは、(もちろん不愉快な事も多発するのは事実だが)基本的に許容範囲というより、我が義母がこの人で良かったと思える瞬間でもあるのだ。

 “悩みのるつぼ” 相談者に話題を戻すならば。
 大変失礼ながら、貴方は婚姻時点で相手(妻)の選択に失敗している気もする。
 あるいは義母に金銭補助をする際、何故妻側と今一度話合いを持たずして、義母の金銭負担を貴方一人で成しているのか!??
 “義母から感謝の言葉がない” と朝日新聞に訴えるより、相談者である未だ50代との若き貴男がやるべき事とは、今後の妻との義母介護に関する経済援助等々を含めた詳細に及ぶ話し合いではなかろうか?!?