男子マラソンの大迫傑選手が2018.10.07に実施された米シカゴマラソンにて、 マラソン大会3度目の出場にして、日本男子では初の2時間5分台の日本新記録を樹立した。
本年2月にホンダ所属の設楽悠太選手が出した2時間6分台の日本記録を21秒更新した形となる。
片や世界に目を向けると、男子マラソンは既に2時間1分台の世界記録が出ている。
(私はあくまでも2020東京五輪開催反対派だが)、それとは別観点より、各競技に出場せんとしているアスリート達の新記録を巡る切磋琢磨ぶりは目を見張るものがあり、素晴らしい!の一言に尽きよう。
本日のエッセイは、そんな世界レベルの輝かしい選手達の活躍とはまったく180度別世界の底辺でランニングをショボショボと楽しんでいる、原左都子の自己記録に関して語らんとする趣旨である。
私の場合、あくまでもたかが「5kmの部」ランニング大会出場を目指し、年に2度のペースで市民大会にエントリーしているに過ぎない身だが…
春頃にも一度、同様のエッセイを公開した記憶があるが。
昨年の冬頃からこの我がマラソン趣味に関して大いなるスランプに陥っている。 と表現するよりももっと深刻な、加齢には逆らえないような(一体いつまでランニングを続けられるのだろう…)なる致命的“廃退感”にすら襲われていた。
体調不良が続いたせいもあろう。
今年の冬から春にかけて比較的高い熱が出る風邪症状に3度程苛まれている。 加えて夏の猛暑で体調不良が続いた挙句腰痛が激化して、その弱った身体で米国旅行を強行(旅行自体は帰国後“旅ロス”に陥る程に感動的だったものの)して帰国した後も、腰痛と若干の体調不良を引きずっていた。
来る11月に開催されるロードレース5kmの部出場を目指し、既に7月に大会エントリーを済ませていた。
米国帰国後、さすがにもうそろそろ本気で大会出場に向けて本格的なランニング練習に入らねばならない段階に入ったにもかかわらず、どうも体調が戻らない。
それでも“負けず嫌い”かつ“自分が決めた事は必ずや実行する!”意思が強靭な私は、ランニング練習に出かけた。 そしていつもの練習コースを走ってみるのだが、米国帰国当初はどうしても腰痛が我が精神力の邪魔をする。 このまま走り続けたのでは下手をすると救急搬送に至りそうな程の大打撃を我が身体が受けると判断した私は、無念の3kmリタイアをした。 こんな醜態は我がランニング練習遍歴に於いて初めての事態だ。 実際問題、自分が情けなくなりそうな程に落ち込んだ。
それでも次の週もランニング練習に出かけた。 やはり激しい腰痛が襲ってくる。 またもや3㎞でリタイヤだ。 ただその3㎞のタイムが前回練習時よりも上回っていた事実が、私を勇気付けてくれた。
その勇気を糧として、私はその後もランニング練習を出来る限り続行した。
9月から10月にかけて巨大台風到来が続いたり厳しい残暑が舞い戻ったりと、ランニング練習に出かけられる気象状態の選択等日程決定に難儀させられた。 その合間に当然ながらフルート練習や義母の病院付き添いもこなしつつ…
何と嬉しい事には、その後すぐに5kmを普通に完走出来る身体を持ち直し、走る程にタイムが伸びるではないか!
そのタイムの伸びようが凄まじい。(あくまでも我がタイム範囲内の話に過ぎないが。)
ここで参考だが、過去に於ける5kmランニング大会出場時の我が最高記録を発表しよう。
何分“50の手習い”(と言うよりも一人で勝手に走っているだけだが…)で始めたランニング趣味だ。 それ故、所詮立派な記録が打ち立てられる訳も無い事をご理解頂きたいのだが…
我が過去最高記録は一番最初にランニング大会「5kmの部」に出場した時に打ち立てた “30分45秒” である。 その後タイム正確測定が叶うチップ着装大会にて、これ以上の記録は出せていない。
それでも、当時アドバイスを頂いていた市民ランナーの方から「“50の手習い”で始めたランニングに於いて5kmでその記録は大したもんだよ」とお褒めいただけたものだ。
そのすぐ直後期の練習時に30分少しのタイムが出たのが、我がランニング遍歴最高記録であろう。 後少しで20分台の世界に入れる!と喜んだものの、その後ただの一度も30分を切れたことは無い…
ランニング練習経歴が長くなるのと並行して、私自身が高齢化を辿るはめと相成る。
ただその間も、体調不調等の波に合わせてランニングタイムも上下変動する。
2年前の秋のランニング大会時だっただろうか。
その練習期間に体調が比較的優れていて好記録が出ていたことに図に乗った私は、大会本番で実力以上に頑張り過ぎたのだ。 それに伴い自ずと記録は良かったのだが大会本番での頑張り様が尋常では無かったため、その後一週間程私は大幅に体調を崩す不運を背負った。 そんな我が恥を家族にも言えず、体調絶不良を我慢しつつ家庭内ルーチンワークを励む事態と相成った。
ランニング大会出場が長きに及ぶと、過去の失敗に関する反省事項が多々に及ぶのも必然だろう。
ただとにかく、ド素人の身分にして今秋もランニング大会に出場出来そうな体調を取り戻せている我が体力・精神力の程を自分で褒めたい思いでもある。
何と言っても自己の頑張り力が(偏差値のごとく信憑性無く役に立たない“相対評価”ではなく)、タイムとの個々人の“絶対評価”で自分自身の能力が判定可能なランニング趣味とは、実に素晴らしい!
そんな事実に、今現在再び感動を与えてもらえている私でもある。
本年2月にホンダ所属の設楽悠太選手が出した2時間6分台の日本記録を21秒更新した形となる。
片や世界に目を向けると、男子マラソンは既に2時間1分台の世界記録が出ている。
(私はあくまでも2020東京五輪開催反対派だが)、それとは別観点より、各競技に出場せんとしているアスリート達の新記録を巡る切磋琢磨ぶりは目を見張るものがあり、素晴らしい!の一言に尽きよう。
本日のエッセイは、そんな世界レベルの輝かしい選手達の活躍とはまったく180度別世界の底辺でランニングをショボショボと楽しんでいる、原左都子の自己記録に関して語らんとする趣旨である。
私の場合、あくまでもたかが「5kmの部」ランニング大会出場を目指し、年に2度のペースで市民大会にエントリーしているに過ぎない身だが…
春頃にも一度、同様のエッセイを公開した記憶があるが。
昨年の冬頃からこの我がマラソン趣味に関して大いなるスランプに陥っている。 と表現するよりももっと深刻な、加齢には逆らえないような(一体いつまでランニングを続けられるのだろう…)なる致命的“廃退感”にすら襲われていた。
体調不良が続いたせいもあろう。
今年の冬から春にかけて比較的高い熱が出る風邪症状に3度程苛まれている。 加えて夏の猛暑で体調不良が続いた挙句腰痛が激化して、その弱った身体で米国旅行を強行(旅行自体は帰国後“旅ロス”に陥る程に感動的だったものの)して帰国した後も、腰痛と若干の体調不良を引きずっていた。
来る11月に開催されるロードレース5kmの部出場を目指し、既に7月に大会エントリーを済ませていた。
米国帰国後、さすがにもうそろそろ本気で大会出場に向けて本格的なランニング練習に入らねばならない段階に入ったにもかかわらず、どうも体調が戻らない。
それでも“負けず嫌い”かつ“自分が決めた事は必ずや実行する!”意思が強靭な私は、ランニング練習に出かけた。 そしていつもの練習コースを走ってみるのだが、米国帰国当初はどうしても腰痛が我が精神力の邪魔をする。 このまま走り続けたのでは下手をすると救急搬送に至りそうな程の大打撃を我が身体が受けると判断した私は、無念の3kmリタイアをした。 こんな醜態は我がランニング練習遍歴に於いて初めての事態だ。 実際問題、自分が情けなくなりそうな程に落ち込んだ。
それでも次の週もランニング練習に出かけた。 やはり激しい腰痛が襲ってくる。 またもや3㎞でリタイヤだ。 ただその3㎞のタイムが前回練習時よりも上回っていた事実が、私を勇気付けてくれた。
その勇気を糧として、私はその後もランニング練習を出来る限り続行した。
9月から10月にかけて巨大台風到来が続いたり厳しい残暑が舞い戻ったりと、ランニング練習に出かけられる気象状態の選択等日程決定に難儀させられた。 その合間に当然ながらフルート練習や義母の病院付き添いもこなしつつ…
何と嬉しい事には、その後すぐに5kmを普通に完走出来る身体を持ち直し、走る程にタイムが伸びるではないか!
そのタイムの伸びようが凄まじい。(あくまでも我がタイム範囲内の話に過ぎないが。)
ここで参考だが、過去に於ける5kmランニング大会出場時の我が最高記録を発表しよう。
何分“50の手習い”(と言うよりも一人で勝手に走っているだけだが…)で始めたランニング趣味だ。 それ故、所詮立派な記録が打ち立てられる訳も無い事をご理解頂きたいのだが…
我が過去最高記録は一番最初にランニング大会「5kmの部」に出場した時に打ち立てた “30分45秒” である。 その後タイム正確測定が叶うチップ着装大会にて、これ以上の記録は出せていない。
それでも、当時アドバイスを頂いていた市民ランナーの方から「“50の手習い”で始めたランニングに於いて5kmでその記録は大したもんだよ」とお褒めいただけたものだ。
そのすぐ直後期の練習時に30分少しのタイムが出たのが、我がランニング遍歴最高記録であろう。 後少しで20分台の世界に入れる!と喜んだものの、その後ただの一度も30分を切れたことは無い…
ランニング練習経歴が長くなるのと並行して、私自身が高齢化を辿るはめと相成る。
ただその間も、体調不調等の波に合わせてランニングタイムも上下変動する。
2年前の秋のランニング大会時だっただろうか。
その練習期間に体調が比較的優れていて好記録が出ていたことに図に乗った私は、大会本番で実力以上に頑張り過ぎたのだ。 それに伴い自ずと記録は良かったのだが大会本番での頑張り様が尋常では無かったため、その後一週間程私は大幅に体調を崩す不運を背負った。 そんな我が恥を家族にも言えず、体調絶不良を我慢しつつ家庭内ルーチンワークを励む事態と相成った。
ランニング大会出場が長きに及ぶと、過去の失敗に関する反省事項が多々に及ぶのも必然だろう。
ただとにかく、ド素人の身分にして今秋もランニング大会に出場出来そうな体調を取り戻せている我が体力・精神力の程を自分で褒めたい思いでもある。
何と言っても自己の頑張り力が(偏差値のごとく信憑性無く役に立たない“相対評価”ではなく)、タイムとの個々人の“絶対評価”で自分自身の能力が判定可能なランニング趣味とは、実に素晴らしい!
そんな事実に、今現在再び感動を与えてもらえている私でもある。