2018.10 大宮鉄道博物館
(上記フォトチャンネルは、一昨日の2018.10.25に当博物館を訪れた際に撮影した写真をまとめたもの。)
前回のエッセイにて予告した通り、私は10月25日、現在受給中の個人年金契約元である「日本教育公務員弘済会」“友の会”のイベントに参加した。
そのイベントの目的地が、大宮鉄道博物館見学だったという訳だ。
現地集合のイベントだったのだが。 東京メトロ沿線に住む我が家からは何と!電車5本(東京メトロ線、東武東上線、JR武蔵野線、JR埼京線、埼玉新都市交通ニューシャトル線)の乗り換えを要し、隣県である埼玉県の距離的・感覚的遠さを改めて思い知らされたものだ。
さて、集合場所の埼玉新都市交通 鉄道博物館駅に到着してみると。
そこに集まっていたのは案の定、と言うより予想をはるかに上回ってじーさん・ばーさん(失礼!)ばかりだった。 一組だけお婆ちゃんが娘さんとお孫さんを連れていらっしゃったのを除くと、確実に私が飛びぬけて最年少だ!
しかも参加者が少なく、見学先の特質のせいか男性が圧倒的に多い。 これ、私の好むタイプだ。 何と言っても女性が多いと要らぬお喋りがかしましく、落ち着いて見学出来ない恐れもある故だ。
さて鉄道博物館に入場して直ぐに、説明係員氏(元国鉄職員とのこと)が1時間程かけて、主たる展示場である1階の車両展示場を一覧しつつ十分な解説をして下さった。
参加者が少人数であることも幸運で、特段「鉄道ファン」ではない鉄道素人の私にも十分に分かり易かった。
ここで一旦私事だが。
参加者中最年少(?)のこの私も、出身過疎地にてSLが煙を吐きつつ走っている姿を見た事がある。
高校時代は汽車(正確に言えばディーゼルカー)通学をした経験もあり、博物館に展示されている車両に郷愁を感じた程だ。 冒頭のフォトチャンネル内にそれらの複数の写真を掲示したが、まさにその車内など当時の通学風景を思い起こすものであった。
オレンジ色の中央線車両も展示されていたが、我が上京後に普通に利用していたものだ。 これなど郷愁どころか、つい最近まで乗っていた感覚だ。
特急「あずさ」も懐かしいというよりも、歌手デュオ狩人の「あずさ2号」を聞いてどうしても乗りたくなり、まさに展示車両にて旅をしたものでもある。
現在博物館では、この「あずさ」車両は“食事処”の役割を果たしている。 博物館内にある駅弁屋にて買い求めた駅弁を、この「あずさ」車両に乗って楽しむことが可能だ。
1964年東京五輪に合わせて開通した初代「新幹線」も私にとっては懐かしいというよりも、未だに我が新幹線のイメージは“この旧型”でしかない。
上京直後に私は、先端の鼻が丸いこの新幹線に乗って過疎地郷里まで帰省した記憶がある。
そして「あさかぜ」。
私はこれの「二段ベッド」版に乗りその「二段ベッド」を指定し、友人と旅をした経験がある。
さすがに「三段ベッド」版の経験は無いが、博物館でこれを見学して当時の様子をなまめかしく思い起こしたものだ。
当時”妙齢”年齢にして、派手な服装・派手ないでたちでよくぞ無事に旅を終えられたものと振り返る。 今現在あの寝台ベッド列車が存在するならば、確実に「セクハラ」を訴える女性が量産している事であろう。
最後に、大宮鉄道博物館見学の我が感想をまとめよう。
鉄道ファン、そして子ども達にとって、実に興味深い「鉄道博物館」であろうと想像する。
片や、長年生きて来ている(私も含めた)高齢者にとっても、「あー、これ乗ったなあ」なる郷愁を呼び起こしてくれるという意味で、実に興味深い博物館であることに間違いない。
鉄道が歩んだ道程とは、人間や貨物を運ぶとの産業・文化実績として賞賛され続けるべきはずだ。
今現在「鉄道ファン」に “異様な程に” もてはやされている鉄道だが。
もしもそのブームが去った暁にも、「鉄道」の存在を人類が忘れないような役割を「鉄道博物館」が果たし続けることに期待したい。
(上記フォトチャンネルは、一昨日の2018.10.25に当博物館を訪れた際に撮影した写真をまとめたもの。)
前回のエッセイにて予告した通り、私は10月25日、現在受給中の個人年金契約元である「日本教育公務員弘済会」“友の会”のイベントに参加した。
そのイベントの目的地が、大宮鉄道博物館見学だったという訳だ。
現地集合のイベントだったのだが。 東京メトロ沿線に住む我が家からは何と!電車5本(東京メトロ線、東武東上線、JR武蔵野線、JR埼京線、埼玉新都市交通ニューシャトル線)の乗り換えを要し、隣県である埼玉県の距離的・感覚的遠さを改めて思い知らされたものだ。
さて、集合場所の埼玉新都市交通 鉄道博物館駅に到着してみると。
そこに集まっていたのは案の定、と言うより予想をはるかに上回ってじーさん・ばーさん(失礼!)ばかりだった。 一組だけお婆ちゃんが娘さんとお孫さんを連れていらっしゃったのを除くと、確実に私が飛びぬけて最年少だ!
しかも参加者が少なく、見学先の特質のせいか男性が圧倒的に多い。 これ、私の好むタイプだ。 何と言っても女性が多いと要らぬお喋りがかしましく、落ち着いて見学出来ない恐れもある故だ。
さて鉄道博物館に入場して直ぐに、説明係員氏(元国鉄職員とのこと)が1時間程かけて、主たる展示場である1階の車両展示場を一覧しつつ十分な解説をして下さった。
参加者が少人数であることも幸運で、特段「鉄道ファン」ではない鉄道素人の私にも十分に分かり易かった。
ここで一旦私事だが。
参加者中最年少(?)のこの私も、出身過疎地にてSLが煙を吐きつつ走っている姿を見た事がある。
高校時代は汽車(正確に言えばディーゼルカー)通学をした経験もあり、博物館に展示されている車両に郷愁を感じた程だ。 冒頭のフォトチャンネル内にそれらの複数の写真を掲示したが、まさにその車内など当時の通学風景を思い起こすものであった。
オレンジ色の中央線車両も展示されていたが、我が上京後に普通に利用していたものだ。 これなど郷愁どころか、つい最近まで乗っていた感覚だ。
特急「あずさ」も懐かしいというよりも、歌手デュオ狩人の「あずさ2号」を聞いてどうしても乗りたくなり、まさに展示車両にて旅をしたものでもある。
現在博物館では、この「あずさ」車両は“食事処”の役割を果たしている。 博物館内にある駅弁屋にて買い求めた駅弁を、この「あずさ」車両に乗って楽しむことが可能だ。
1964年東京五輪に合わせて開通した初代「新幹線」も私にとっては懐かしいというよりも、未だに我が新幹線のイメージは“この旧型”でしかない。
上京直後に私は、先端の鼻が丸いこの新幹線に乗って過疎地郷里まで帰省した記憶がある。
そして「あさかぜ」。
私はこれの「二段ベッド」版に乗りその「二段ベッド」を指定し、友人と旅をした経験がある。
さすがに「三段ベッド」版の経験は無いが、博物館でこれを見学して当時の様子をなまめかしく思い起こしたものだ。
当時”妙齢”年齢にして、派手な服装・派手ないでたちでよくぞ無事に旅を終えられたものと振り返る。 今現在あの寝台ベッド列車が存在するならば、確実に「セクハラ」を訴える女性が量産している事であろう。
最後に、大宮鉄道博物館見学の我が感想をまとめよう。
鉄道ファン、そして子ども達にとって、実に興味深い「鉄道博物館」であろうと想像する。
片や、長年生きて来ている(私も含めた)高齢者にとっても、「あー、これ乗ったなあ」なる郷愁を呼び起こしてくれるという意味で、実に興味深い博物館であることに間違いない。
鉄道が歩んだ道程とは、人間や貨物を運ぶとの産業・文化実績として賞賛され続けるべきはずだ。
今現在「鉄道ファン」に “異様な程に” もてはやされている鉄道だが。
もしもそのブームが去った暁にも、「鉄道」の存在を人類が忘れないような役割を「鉄道博物館」が果たし続けることに期待したい。