私には世界中でたった一人、「ハグ」ができる友人女性がいる。
その方との出会いは、既に9年程前に遡るが。
日本人知人女性美術家氏のお誘いを受け、南半球アルゼンチン・ブエノスアイレスまで氏の国際美術賞授賞式のお供をした時のことだった。
知人美術家氏と、その式典に出席していたM氏とおっしゃる女性やその仲間の方々とが美術を通した知り会いであり、式典終了後一緒にコーヒータイムを過ごすこととなった。
このM氏だが、最初に紹介された時から我が直感で「友達になれそう」な気がした。 もちろん他の方々にも同様の思いはあったが、特にM氏の持つ雰囲気に何となく“懐かしさ”のような感覚を抱いたのだ。
当時の私は、未だ英会話力がそこそこあった時期だ。
参考だが、M氏はスペイン語が母国語である。 片や私は日本語が母国語。 お互いに英語が母国語でない関係で英語である程度まとまった話をするのは、実は大変厳しい世界だ。
ところが、当初よりM氏に“懐かしさ”のような感覚を抱けた私の口から、スラスラと英語が幾らでも出るのだ。 その頃のM氏は未だ子どもさんが小さかったことが理由で、世界規模での美術活動が可能な時間が限られていたようだ。 そのため英語がたどたどしくはあったのだが、それでも私からの問いかけに誠意をもって応えてくれたものだ。
その次にM氏と再会したのは、それから3,4年後の事だっただろうか。
M氏が日本にて美術個展を開催するために来日する際、私が案内役を買って出た。
当時に関して記憶しているのは、両者の“英語力”が逆転しかけていた事実である。 と言うのも、既にM氏の子どもさんが成長し母としての手が離れ、世界規模での美術活動をM氏が開始していた故だ。 片や私の方はたまに海外旅行へ出る程度であり、ビジネスとしてそれを実行しているプロに叶うはずもなくなっていた。
(この当時、私は不覚にも左鎖骨・右手首同時骨折後未だ2か月が経過した頃であり、残念ながらM氏とのハグは叶わなかった…)
そして更に時が経過し、昨年3月にM氏との再再会をまたもや日本にて果たせた。
ちょうどコロナ禍初期の頃で、M氏は辛うじて航空便にての来日が叶ったのだ。 (これが1か月遅かったらなら日本は“緊急事態宣言”下にあり、再再会はあり得なかったであろう。)
その時の様子は、写真付きで本エッセイ集バックナンバーにても紹介しているが。
M氏と今までで一番語り合えたのではなかろうか。 とは言えども、我が英語力の衰退ぶりが激しかったことが一番の原因で、実に残念ながら納得のいく会話はできず終いだった。
それでも二人で話し合った。 (日本語で語るなら)「次に会えるまでにお互いにもっと英会話力を強化しておこうね。 そしたらもっと楽しめるね!」
それで同意したものの… 私側は海外旅行にも行けないし、なかなかその機会が取れずにいるのだが…
それでもその別れ際に、初めてM氏とのハグが叶った。
これ、やったことがある人は分かるだろうが、(男女を問わず)何にも勝る「あなたが好きよ、これからも仲よくしよう!」との表現手段ではなかろうか?!
特に同性同士のハグとは、我が感覚から言えば “最高の信頼関係の証” のようにも思えるのだが。
さて、昨日2021.07.14付朝日新聞「論の芽」のテーマは“コロナでマナーが変わる?” だった。
その中から、英オックスフォード大学院生による「ハグする? 生まれた配慮」と題する記事より、ごく一部を引用しよう。
コロナ前に若い人たちはよくハグをしたが、政府のロックダウンによりその形式が変わった。 ハグする前に「ハグしますか?」と問うのが普通。
ただ、コロナ禍を経験したことで、人付き合いでの思いやりが生まれた。
今後はコロナに限らず、イギリス人は感染症をもっと心配するようになると思う。
(以下略すが、以上朝日新聞“論の芽”よりごく一部を引用したもの。)
私が次回、女性美術家M氏との再々再々会が可能となり、再びのハグが叶うのは一体いつの日のことだろう。
それを思うと途方に暮れそうだが。
それでもその夢を抱きつつ、少しでも何らかの手段で英会話力のブラッシュアップを本気でしておくべきか…