朝日新聞2021.07.07付「声」欄の主題が「どう思いますか 子どもへの財産」だった。
その主題を一見しての我が解答が、上記表題なのだが。
そうしたところ、朝日新聞読者の皆さんも我が思いとほぼ一致している様子だ。
その冒頭部分のみを、以下に引用しよう。
相続は多くの人がいずれ直面する話でありながら、誰にも打ち明けられず悩みを一人で抱えている人も少なくないようだ。 そんなご時世、皆さんから「本音」を聞きたいと投稿を呼びかけたところ、全国から様々な意見が寄せられた。
貯金や不動産を残すという投稿は意外と少なく、むしろ、「子どもに分相応の教育を与えた」「食事に気を付け、健康に育てた」「子育ての最終目標は自立」など、形の無い財産」こそ残したいとの意見が目についた。
一方、高齢化の影響からか、遺言や生前贈与など死への準備を着々と進めている方の多さに時代の移り変わりを感じた。 「子や孫に相続で迷惑を掛けたくない」という最後の親心なのだろう。
早速、私事に入ろう。
原左都子自身の我が娘に対する“金銭教育”は早期に開始した。
我が子の場合、生来発達障害を抱えていたためその教育指導も大変だったのだが、それと並行して金銭教育もサリバンの私が同時進行で執り行った。
小学校低学年期に、我が子の金銭問題に関して困惑させられる事件が発生した。
我が子が(発達障害との)弱者であることは、それを語らずとて級友にはバレる。(子どもの感性は鋭い。) それを都合よく利用せんと我が子の元に“ワル”が集まってくるのはやむなしとして。
小3時に娘に近づいてきた女子児童が、下校後に娘に対してした仕打ちとは。
娘に「小遣いを持って来い」と指導し外に連れ出し、それを何度もカツアゲしたとの事実だ。 そして「それを絶対に親に言うな!」と寡黙な娘に言い含めたらしい。
(参考だが、その女子は夏場の下校後外で遊ぶに際し、必ず我が娘に「水筒も持って来い」といつも指示していたようだ。 それを親の私が持たせたのをいつも完飲してくるのが不可思議だったが、女子とその幼き弟が二人で奪い合って飲んだのだと娘が言う。 何だかその姉弟が不憫にすら思えた出来事だったため、今尚よく覚えているのだが。)
水筒の件はともかく。 “小遣いカツアゲ事件”に関しては、学校の担任とその少女の親に告げるべきと判断しそれを実行したところ、親がすぐさま謝罪に我が家を訪れた。
こんな事件が続いたこともあり、我が家は娘小3の冬に転居を決断(娘の中学受験に関しても考慮して)し、現在の住居地に物件を買い替え引っ越した。
まあ、我が娘に関しては幼き頃に金銭問題の被害者にこそなれ、加害者になる資質が全くなかったのは幸いだった。
時が経過し、その後中高・大学を無事卒業して民間企業の正社員となった我が娘の金銭感覚が。
母親の私そっくりなのだ!😲
いえ決して私側からそれを真似よ! と口酸っぱく教育した訳ではない。
娘の場合は、郷里の大学卒業後単身上京を狙っていた私とは経済生活面に於いて大幅にその環境が異なる。 親元から職場に通勤する娘にとって、さほどのまとまった金銭資産は必要ないはずなのに。
これ、一体どうしたのか!? と母親の私が驚く程の資産蓄積力が娘に備わっている。 ここでは娘が蓄積している資産の程を公表できないが、既に都心に(娘が一人で住める程度の)マンション一件を“現金一括払い”で購入可能な金額に達している。
やはり血は争えないと言うのか、子供とは親の背中を見て育つものなのだろう。
私自身が30歳独身時に単独で横浜の地にマンションを購入した事実、及び晩婚後はそれを賃貸物件として運用していた事実を、何時もサリバン母を傍らで見つつ育った娘は十分に知っている。
それを真似るつもりなのかどうかは不明だが。
親の希望としては、目の中に入れても痛くない我が最愛の娘にはいつまでも自宅に同居して、共に暮らして欲しいものだが…
と言う具合に、我が家の場合は既に娘に「財産形成能力」が十分に備わっていると結論付けられるのだが。
親とは身勝手もので、これはこれでとっとと親を捨てて家から出て行かれるのだろうか??、と一抹の寂しさもあるものだ…