本日のエッセイテーマは、2023.12.17付朝日新聞「天声人語」より転載させていただこう。
その前に。
私めのペンネーム「原左都子」に関しては、本エッセイ集初期頃に幾度か説明しているが。
ここで改めて、その由来を記載させて頂こう。
「原」に関しては、現在の本名です。 晩婚後 自動的にこの名字になりました。
知る人ぞ知る話題ですが、我が婚姻後の本名は決して“捨ておけられない”価値のあるものです。 ただし 現在に至っては某著名人だった今は亡きその人物を知る人が激減している状況であり、特段のサプライズは無いようになってきています。
それでも時折我が本名を初めて見た方の中には、「へえ、凄い氏名ですね!」と感嘆される場面も未だにあり、同姓同名の私としてはまんざらではありません。
さて、我がペンネーム「原左都子」ですが。
これに関しては、特に「左都子」の「左」の漢字に重きを置いて自分で名付けました。 未だに「佐都子」と勘違いされている方もいらっしゃるようですが、正しくは「左都子」ですのでご承知おき下されば幸いです。
その「左」に関して命名の趣旨を改めて説明しましょう。
生まれ持っての“天邪鬼気質”の私は 特に義務教育課程に入学した頃より、「右向け右」だの「回れ右」だのと指導されることに大いなる抵抗感を抱いていました。
そのように指導されると「左」に向きたくなる我が“反骨精神”を“さとこ”の“さ”の字に用いたという訳です。
その前に説明しておくべきは「さとこ」ですが、これは私が20代前半期に上京して以降の医学職場にての我が愛称です。 由来は我が旧姓名字からとられたものですが、これは気に入りましたね! 「さとこ」とか「さとちゃん」と呼ばれることに、近親間や信頼感を得たものです。
何だか、この「さとちゃん」「さとこ」との愛称を持って、私は東京にて再スタートを切れた感激がありました。
そんなこんなで、我がブログペンネームは迷いもなく「さとこ」を用い、その当て字を「左都子」とするに至ったとの成り行きでした。
やっと朝日新聞「天声人語」からの引用を、以下にしよう。
歴史の受け止め方は個人の自由であるが、まずは史実に基づきべきであるし、専門家の治験の積み重ねを知らなければ、全体像を見失う。 (中略)
広島市長が、戦前戦中の教育勅語を研修資料に引用していた。 「評価してよい部分もあった」などとし、今後も引用を続けるという。
教育勅語とは、明治天皇が語った言葉だ。 核心は、いざとなれば天皇のために命を捧げよと求めていることである。 部分的に共感できる表現があったとしても、わざわざ勅語を引用する必要はあるまい。 本質を無視するの何か別の意図があってのことか。
そもそも、あの戦争で私達は何を学んだのか。 どんな思想にせよ、右向け右と、国民が同じ方向を向かされることの怖さだったのではなかったのか。 その象徴の一つが教育勅語であった歴史を、忘れるわけにはいかない。
(以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)
最後にもう一度繰り返させていただくが。
我がペンネームは「原左都子」です。
この「左」の漢字に大いなるポリシーを込めて自ら名付けたペンネームです。
そんな私は、世の指導者から「右向け右」「回れ右」と指導されようと。
今後共一貫して肝心要の事態には「左」方角を向く意思の強い人間ですので、悪しからず。