昨日、私の手元に毎年届く2度目の大学・大学院時代の「会報」が届いた。
卒業(修了)後、既に30年以上の年月が流れているが。 毎年必ずこの「会報」が手元に届けられる。
30年もの年月が流れると何処の大学(院)も同様だろうが、すっかり「学部・学科」の名称が目新しく変貌しているものだ。
私が所属していた「商学部・経営学科」あるいは「経営学研究科」なる名称の科は既に当の昔に名称を変え、今時の学部・学科の名称に移り変わっているものだ。
この会報の一番裏のページに「訃報」があるのだが。
私の場合、既に高齢域に達している我が身に照らして、これを見るのが一番興味深いかもしれない。
この欄には「恩師」の訃報も掲載されていて、今まで何人の恩師の訃報を見届けてきたことだろう。 やはり、授業にてご指導いただいた教授氏の訃報は訴えてくるものがあり、「ああ、あの先生、お亡くなりになったんだ…」などと、私なりの追悼の思いが巡ったりもするものだ。
さて、昨日届いた当該「会報」の最終ページの「訃報」を見て、私は今までで一番驚かされた!!
何故ならば、同年に入学して卒業した同級生の「訃報」を見つけたからに他ならない!!!
私の場合、この大学へは「特別選抜」にて合格し入学している。(参考だが、特別選抜入学者はごくごく少数。 その他大勢は、通常の入試にて入学している学生達だ。)
その入学後に知り合ったのは、同じく「特別選抜」にて入学していた女性のAさんだった。 年齢が近かったこともあり、私とAさんはまもなく意気投合した。
それでも、選択したゼミが異なるため、いつも一緒にいると言うことではなく、学内で会うと一緒に食事したり談話したりする仲だった。
お互いに「大学院進学志望」でも一致して、それを目指していたりもした。 結果としては私は同じ大学の大学院への進学で、Aさんは外部の大学の大学院へ進学したため、その後会う回数は自ずと減少していた。
実はこのAさん、既にご結婚されていたのだが、子宝に恵まれないことで多いに悩んでおられた。
時が流れ、我が晩婚の際の結婚式会場にAさんも招待したら、喜んでお越し下さった。
実はその時点で、私は既に妊娠(高齢妊婦だった)している身であることを初めてAさんに告げた。 その時のAさんの反応が今尚忘れられない…
Aさん曰く、「〇さん(私の事)が子供を産みたいと思っているとは想像もしていなかった…」
あの時のAさんの愕然とした表情が私は忘れられない… 😱
それ程までにAさんは、自身が子供を身ごもれないことを悲壮的に捉えている事実を、私は初めて理解した…
その後、Aさんとは疎遠となった。 年賀状を投函しても、返事がくることは一切無かった。
あれから30年以上の年月が経過しただろうか。
昨日、私は郵送されてきた2度目の大学(院)の会報誌にて。
Aさんの訃報を発見した。
このAさんに関して、本日ネット検索してみると。
Aさんはどうやら、その後某私立大学の助教授になられ論文を世に公開されているようだった。 その一つに触れることが叶った。
ただ、既に当該私学の職員名簿には当然ながらAさんの氏名は無かった。(おそらく昨年度内に死去されたのだろう…)
こんな形での過去の同級生とのご対面もあるのだろうと、感じざるをえない事件だった。
Aさんが、あれ程までに私が先に子どもを身ごもった事実を否定的に捉えることが無ければ。
我々の交友関係はもう少し続いていたのかもしれない。
Aさんがその後、子どもさんを授かったのか否かは私には計り知れないが。
それでも Aさんは長くはなかった人生に於ける、後の大学にての助教授職を全うされたことであろう。
陰ながら、Aさんのご冥福をお祈り申し上げます…