世の老人皆が、日々“不安感”に襲われつつ暮らしている訳でもないであろう。
この原左都子自身(今年「古希」を迎える立場だが)のことを思い浮かべてみるに。
おそらく私の場合 高齢域に達したからと言って、決して“日々不安感に苛まれている”訳ではない。
むしろ たった今、その不安感に苛まれようとしている感覚があるのだが。😨 😰
それは、今回のエッセイテーマが「そもそも『老後』がどうして不安なのか??」なるマイナー心理を分析せんとするものであるが故だろう。
要するに、この手のテーマ課題とは。
その時々の心理状態に大きく左右される対象物であると言えよう。
そうなると、だ。
この課題を正確に分析するためには、人それぞれの生活実態分析から開始するべきだろう。
ただおそらく 楽天家の方々とは自身の生活実態にかかわらず、日頃から“不安感”に襲われる経験すら無いとも分析可能だ。??
この原左都子を分析するに、決して「楽天家」ではない。 かと言っていつもいつも「悲壮感」に苛まれている程でもないし。
まあ一応 “平均的な心理状態”で人生を送っている立場かな??
いや、人の「心理状態」の分析とはそれ程いい加減かつ簡単では無いことだろう。
この辺の分析は、「心理学者」等々の専門家にお任せするとして。
「老後の不安感」に話題を戻そう。
そうだなあ。
本日、この原左都子がこの種のテーマでエッセイを書こうと思いついた原点とは。
最近、日々の人とのかかわりの中で ついつい自身の「古希」を意識してしまう故だ。
正直言って、昨年までそんなことは絶対無かった!!
年齢よりも比較的若く見える外見を保っている事実(ホントかよ!??)が自慢の我が身だったし… 😜 😖
とにかく、愚かにも(空虚な自信)に溢れていた我が身だと、つい最近まで勘違いしていたようだ。😱
その勘違いに少しづつ気付かされるようになるのが、「古希」を迎える意味合いなのか… とすら思わされるこの頃だ…
いや、実際。
人間とはいつまでも、“勘違い”でこの世を渡っていける訳もない。
もしかしたら、古希との年齢に達する事態とは。
いつまでも“若気の至り”で勘違いしている私の如くの人種に。
「空虚さを捨て去って、せめて余生を真っ当に生きよ!」 とアドバイスされる年代であるのだと。
やっと、自覚できた気もする…