NHK連ドラ「まんぷく」が明後日にて最終回を迎える。
ネット情報より、最終週のあらすじを以下に引用しよう。
「まんぷくヌードル」がついに発売。 仲間たちから絶賛され、萬平さんと福ちゃんの苦労は報われたかと思われたが、売り上げが全然伸びない。 そこで萬平さんは新たな販路を開拓することを決断。 深夜勤務の業界で夜食の需要があると考え、タクシー会社や消防署、警備会社などに売り込むことに。 一方、福ちゃんも地道な営業活動を続け、わざわざ人が集まる場所でヌードルを食べてアピール。 そんな中、鈴さんが「お葬式を挙げたい」と言い出し…
(以上、ドラマ「まんぷく」の最終週あらすじをネット引用したもの。)
冒頭より、私見を述べるが。
このドラマ、近年のNHKドラマとしては「傑作」だったと私は高評価している。
とにかく、ドラマの作りが綿密・精巧だった。 発明家(?)である主人公萬平が試行錯誤を重ねつつ様々な発明に取り組むストーリーだったが、その試行錯誤の過程が実に丁寧に描かれたと私は感じた。
いつものこのドラマの“やり口”とは、若き女性主人公が何の努力もせずして突然成功していたり、特段何の魅力も無いのに急に相手役男性より「好きです!」と告白されたり…。 嘘臭いやらアホらしいやらで(人生そんな甘い訳ね~~~だろ!)と、ダレてばかりだったものだ。
順調な流れで高視聴率に恵まれ、とんとん拍子で最終週に突入した「まんぷく」だが。
これ、どうしたんだ!? と言いたくなるのが本日(3月28日)放映の、福子の母親の「生前葬儀」シーンだった。
まあ私が推測するに。
おそらく現時点に於いて芸能界で「大女優」の位置付け(?)にあろう母親役の松坂慶子氏に対する、NHKスタッフからの半年間の御礼を兼ねた演出だったのではなかろうか?
ドラマ内で「皆さんに“ありがとう”のお礼を言いたいために生前葬儀をしたい!」と福子に嘆願した母親の願いが叶えられ、本日15分間のドラマはこれに終始した。
私見だが、これが何ともつまらない。
要するに、半年間を振り返る“総集編”的意味合いも重ねて、出演者たちをこの「生前葬儀」に出演させたのであろうが。
(あまりにもつまらな過ぎて、私は途中からスマホで“ナンプレ”ゲームをやりつつの15分間視聴だった。)
ドラマとは、本筋を最終回まで貫き通してこそ価値ある作品に仕上がるのではなかろうか?
視聴者としては、本筋ストーリーを外れて制作者側の意図で勝手な“余興”を放映される事ほど興ざめな事は無い。
NHKもよくぞまあ、ドラマ最終場面で墓穴を掘ったものだ。
さて、話題を標題の「生前葬儀」に戻そう。
原左都子の“死生観”に関しては、バックナンバーにても幾度か述べている。
何分無宗教の私であることが前提だが。
そんな私の「死生観」とは、“人間は生きていてこそ!” に尽きよう。
芸能人を筆頭に、大袈裟な葬儀をやらかす人物は現在でも後を絶たないが。
それを本人が望んでいるのかどうかに関しては、測り知れない。 おそらく所属事務所の巨額利潤追求や宣伝効果等々の背景事情があることには間違いないであろう。 それに踊らされるファンが数多い事実も、その実行を後押ししている訳だが。
我が死生観に話題を戻すと。
まさに人間とは、“生きていてこそ”である。
生きているうちに最善を尽くしたい!、と日頃から欲しつつ私は日々を過ごしている。(その割には努力が足りていない事実を常に反省し、自分の腑甲斐無さにも反省と共に心を痛める時も数多いが… )
例えば元医学者である私が医療依存せず「予防医学」を貫いているのも、生きている時にこそ最善を尽くしたいからに他ならない。
これを一旦医療に依存してしまうと(要するに他者医学関係者の見解を聞く機会があったなら)“迷い”が生じるのではないか、との不安感があるのも正直なところだ。 ここは、自分の判断(診断)を信じよう!との意気込みで、今まで事なきを得ているとも言えよう。
葬儀に話題を移すならば。
私は家族(と言っても亭主と娘の二人だけだが)には、もしも私が一番先に死んだとして「直葬」でお願いしたい旨を以前より告げている。
とにかく自分の死後まで家族に迷惑を掛けたくないのが本音だ。 形式のみの葬儀を施して時間や金銭面での要らぬ出費をするよりも、それを残された家族達が今後有意義に生きる糧として欲しいと、本心で家族に提案している。
家族側(亭主だが)も、まさか「直葬」とは言わないが「家族葬」でいいと伝えてくれている。
これぞ我が幸せと捉えている私にとっては…
今現在、「生前葬儀」を実行する輩が実在するのか否かも不明だが。
もし実在するとすれば、これぞその輩の“自意識過剰”あるいは“自己顕示欲”の深さを物語っている醜態であろう。
天邪鬼の私など、アンタはそれ程までに生前に周囲親族や近親者に恩恵を与えられたと“勘違い”したんだね、と憐れむしか他に方策が取れない…
それでもどうしても、「生前葬儀」を実行したい人種への提案だが。
おそらく今現在この世を生きる人達は、原左都子同様にその“招待状”が届く事自体が迷惑であろうと判断する。
その代替案として。
本気で「ありがとう」を言いたい相手を自分の生前葬会場に集結させるのではなく。
個別に誘って、旅行なり食事なりを自費で実行しその場で「ありがとう」を言えば済むのではなかろうか?
それなれらば、この私もその誘いに乗ってもいいかも!?!
ただし条件がある。 貴方自身が「要介護・要支援」ではない身ならばの限定話だ。
結論としては、自分の身が自分で満足に管理・維持不能な人種が「生前葬儀」を成したいなど、単に自意識過剰に過ぎず、招待される側としては迷惑でしかないことを自覚して欲しいものだ。
ネット情報より、最終週のあらすじを以下に引用しよう。
「まんぷくヌードル」がついに発売。 仲間たちから絶賛され、萬平さんと福ちゃんの苦労は報われたかと思われたが、売り上げが全然伸びない。 そこで萬平さんは新たな販路を開拓することを決断。 深夜勤務の業界で夜食の需要があると考え、タクシー会社や消防署、警備会社などに売り込むことに。 一方、福ちゃんも地道な営業活動を続け、わざわざ人が集まる場所でヌードルを食べてアピール。 そんな中、鈴さんが「お葬式を挙げたい」と言い出し…
(以上、ドラマ「まんぷく」の最終週あらすじをネット引用したもの。)
冒頭より、私見を述べるが。
このドラマ、近年のNHKドラマとしては「傑作」だったと私は高評価している。
とにかく、ドラマの作りが綿密・精巧だった。 発明家(?)である主人公萬平が試行錯誤を重ねつつ様々な発明に取り組むストーリーだったが、その試行錯誤の過程が実に丁寧に描かれたと私は感じた。
いつものこのドラマの“やり口”とは、若き女性主人公が何の努力もせずして突然成功していたり、特段何の魅力も無いのに急に相手役男性より「好きです!」と告白されたり…。 嘘臭いやらアホらしいやらで(人生そんな甘い訳ね~~~だろ!)と、ダレてばかりだったものだ。
順調な流れで高視聴率に恵まれ、とんとん拍子で最終週に突入した「まんぷく」だが。
これ、どうしたんだ!? と言いたくなるのが本日(3月28日)放映の、福子の母親の「生前葬儀」シーンだった。
まあ私が推測するに。
おそらく現時点に於いて芸能界で「大女優」の位置付け(?)にあろう母親役の松坂慶子氏に対する、NHKスタッフからの半年間の御礼を兼ねた演出だったのではなかろうか?
ドラマ内で「皆さんに“ありがとう”のお礼を言いたいために生前葬儀をしたい!」と福子に嘆願した母親の願いが叶えられ、本日15分間のドラマはこれに終始した。
私見だが、これが何ともつまらない。
要するに、半年間を振り返る“総集編”的意味合いも重ねて、出演者たちをこの「生前葬儀」に出演させたのであろうが。
(あまりにもつまらな過ぎて、私は途中からスマホで“ナンプレ”ゲームをやりつつの15分間視聴だった。)
ドラマとは、本筋を最終回まで貫き通してこそ価値ある作品に仕上がるのではなかろうか?
視聴者としては、本筋ストーリーを外れて制作者側の意図で勝手な“余興”を放映される事ほど興ざめな事は無い。
NHKもよくぞまあ、ドラマ最終場面で墓穴を掘ったものだ。
さて、話題を標題の「生前葬儀」に戻そう。
原左都子の“死生観”に関しては、バックナンバーにても幾度か述べている。
何分無宗教の私であることが前提だが。
そんな私の「死生観」とは、“人間は生きていてこそ!” に尽きよう。
芸能人を筆頭に、大袈裟な葬儀をやらかす人物は現在でも後を絶たないが。
それを本人が望んでいるのかどうかに関しては、測り知れない。 おそらく所属事務所の巨額利潤追求や宣伝効果等々の背景事情があることには間違いないであろう。 それに踊らされるファンが数多い事実も、その実行を後押ししている訳だが。
我が死生観に話題を戻すと。
まさに人間とは、“生きていてこそ”である。
生きているうちに最善を尽くしたい!、と日頃から欲しつつ私は日々を過ごしている。(その割には努力が足りていない事実を常に反省し、自分の腑甲斐無さにも反省と共に心を痛める時も数多いが… )
例えば元医学者である私が医療依存せず「予防医学」を貫いているのも、生きている時にこそ最善を尽くしたいからに他ならない。
これを一旦医療に依存してしまうと(要するに他者医学関係者の見解を聞く機会があったなら)“迷い”が生じるのではないか、との不安感があるのも正直なところだ。 ここは、自分の判断(診断)を信じよう!との意気込みで、今まで事なきを得ているとも言えよう。
葬儀に話題を移すならば。
私は家族(と言っても亭主と娘の二人だけだが)には、もしも私が一番先に死んだとして「直葬」でお願いしたい旨を以前より告げている。
とにかく自分の死後まで家族に迷惑を掛けたくないのが本音だ。 形式のみの葬儀を施して時間や金銭面での要らぬ出費をするよりも、それを残された家族達が今後有意義に生きる糧として欲しいと、本心で家族に提案している。
家族側(亭主だが)も、まさか「直葬」とは言わないが「家族葬」でいいと伝えてくれている。
これぞ我が幸せと捉えている私にとっては…
今現在、「生前葬儀」を実行する輩が実在するのか否かも不明だが。
もし実在するとすれば、これぞその輩の“自意識過剰”あるいは“自己顕示欲”の深さを物語っている醜態であろう。
天邪鬼の私など、アンタはそれ程までに生前に周囲親族や近親者に恩恵を与えられたと“勘違い”したんだね、と憐れむしか他に方策が取れない…
それでもどうしても、「生前葬儀」を実行したい人種への提案だが。
おそらく今現在この世を生きる人達は、原左都子同様にその“招待状”が届く事自体が迷惑であろうと判断する。
その代替案として。
本気で「ありがとう」を言いたい相手を自分の生前葬会場に集結させるのではなく。
個別に誘って、旅行なり食事なりを自費で実行しその場で「ありがとう」を言えば済むのではなかろうか?
それなれらば、この私もその誘いに乗ってもいいかも!?!
ただし条件がある。 貴方自身が「要介護・要支援」ではない身ならばの限定話だ。
結論としては、自分の身が自分で満足に管理・維持不能な人種が「生前葬儀」を成したいなど、単に自意識過剰に過ぎず、招待される側としては迷惑でしかないことを自覚して欲しいものだ。