原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

文化勲章“秋の叙勲”ご受章恩師より年賀状を頂きました!

2019年01月01日 | 人間関係
 (写真は、本日元旦に到着した恩師よりの年賀状。)


 毎年元旦に手元に届く年賀状の枚数は、年々減少していくが…。

 それでも、必ずや“直筆一筆”が添えられた価値ある年始の挨拶状が届けられる事実こそが、私が年賀状文化を終焉出来ない主たる要因である。
 
 今年も届きました! そんな付加価値ある年賀状の数々が!
 まあ私の場合は私側こそがそんな方々とのお付き合いを優先していることもあり、“直筆一筆”付年賀状がほとんどと言えるのだが。


 さてそんな中、本年元旦に届いた年賀状に於ける 直筆一筆“名文No.1”に輝いたのは、冒頭写真の恩師先生よりの年賀状だ!

 早速、その一筆「名文」をご本人の許可無く以下に紹介させて頂こう。(吉井先生、ご迷惑でしたら心よりお詫び申し上げます。)

 「小生に賜った御名文を楽しく読ませて頂いています。 ありがとう!」


 次に、恩師先生おっしゃるところの我が“御名文”(お恥ずかしい限りだが…)に関し、「原左都子エッセイ集」2012.03.18バックナンバー「吉井溥先生、秋の叙勲ご受章おめでとうございます!」より一部を抜粋して再掲載させていただこう。
 (要するに恩師吉井先生にとられては、当該エッセイ自体が僭越ながらも「御名文」であられることと推測する。)

 冒頭写真は、2012年3月17日、横浜グランドインターコンチネンタルホテル「エーゲの間」に於いて開催された我が恩師 吉井溥先生 の「秋の受勲」ご受章お祝い会にて撮影したもの。  
 我が恩師 吉井溥先生が、昨年秋の文化勲章「瑞宝中綬章叙勲」を受章されたとの連絡をゼミ生の先輩より頂いたのは、今年に入ってからのことである。
 原左都子が吉井溥先生にご指導いただいたのは、私が30代にして再び入学した首都圏公立大学及び大学院に於いてであった。 
 2年時の後期が始まる前に、所属ゼミを決定することを全学生が余儀なくされる。 我が出身大学には「経営法学コース」との進路があるが、そのコースの担当教官の中で勤労学生でもあった私が自分のスケジュールも視野に入れつつ、大学の時間割の可能な範囲で選択させていただいたのか「吉井ゼミ」だったというのが実は正直なところである。
 ゼミ受講申し込み締め切り期限が差し迫っていた中、大教室で吉井先生による「商法Ⅱ」の授業を受講後、まだ教壇に立っていらっしゃった先生に恐る恐るゼミ受講申請票を提出させていただいた私だ。
 (今頃になって受講申請しに来る“出遅れ学生”はどうせやる気がないぞ、と思われるのがおちと想像しつつ)、「受講申請が遅くなりまして申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」等々、しどろもどろにゼミ申請書を提出する私に対して、吉井先生が実にお優しかったのが印象的である。 ニコニコとした笑顔で「こちらこそよろしくお願いします」と丁寧にご返答下さったことを今尚私は忘れていない。
 学生当時の私の目線からも、吉井先生とは18,9歳のキャピキャピ学生にも講義に飽きさせない授業展開が徹底している素晴らしい教授であられた。 そんな吉井先生の類稀なお力に依存させていただきつつ、私は大学院へも進学し引き続き吉井先生のご指導をいただいた。
 大学院ゼミは学生数が少ないため、私も先生に対して直接お話させていただける機会があった。 ある時ゼミの場で「先生は“話芸”が素晴らしいですね!」などと口が滑ってしまった私に対し「“話道”と言って欲しいです」と冗談交じりに返された吉井先生に自分の未熟さを思い知らされ、「申し訳ございません!」と平謝りしたことが実に懐かしい思い出である。  
 吉井溥先生とは、我が母校である大学及び大学院において「経営法学コース」を立ち上げられた張本人であられる。 当時、商学部経営学科においてこれ程「法学」の講義が充実していたのは、もしかしたら我が出身大学のみではなかったのだろうか?  それがもしももっと後や先の時代であったならば、私は吉井先生と出会わさせていただく事すらなかったのかもしれない。
 どうしても大学院「法学研究科」へ進学したく、私は東大を始めとする名立たる国立大学大学院受験を試みうとした事に関しては本エッセイ集バックナンバーでも既述している。(ところが結果としては、東大は受験を断念等、全て実り無く終わったのが悲しいかな現実だったものだ…) それでも当時法学に感化され吉井先生と奇跡的に巡り合わせていただけたからこそ、私はあの大学に於いて大学院への進学が叶い「経営法学修士」の学位を取得させて頂いたことには間違いないのだ。 
 この度、吉井溥先生が受章された「秋の叙勲」とは“教育研究功労”の分野により表彰を受けられたものであるとのことだ。
 吉井先生が大学教授(及び学部長、さらには名誉教授)としてご活躍された経過のみではなく、(当時のご年齢で)79歳になられている今現在尚、学問を始めとする社会全般に多大なるご貢献を続けていらっしゃるご実績が総合的に評価を受けられた結果として、今回の「秋の叙勲」ご受章に直結したものと私は拝察申し上げる。 
 吉井溥先生、今回のご受章誠におめでとうございます!
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を要約引用したもの。)


 私の場合、一度目の大学に於いても二度めの大学・大学院に於いても、指導教官であられる恩師に恵まれたおそらく類まれな立場であろう。
 
 それが証拠に、一度目の大学(郷里過疎地の国立大学だが)医学部指導教官氏よりも卒業後関わらせて頂く機会が何度かあり、一昨年恩師他界後にご家族より恩師の著書をお贈り下さるとの恩恵を賜っている。
 当該医学部恩師よりも、生前には長年に渡り“直筆一筆”入りの年賀状を頂戴していた。

 更には、二度めの大学・大学院にてご指導いただいた吉井溥先生に関しては、私側も記憶が新しい。
 吉井先生の年賀状の“直筆一筆”は何も今年に限らず、毎年素晴らしく私に訴えて下さる底力があるのだ! その一言に毎年勇気を得させて頂いていると表現しても過言ではない。

 おそらく吉井溥先生は、毎年年賀状を届ける「教え子」(この言葉を高校教員経験がある私は“教員の立場”としては好まないが。)皆の一人一人に届けていらっしゃる事だろう。

 吉井溥先生は、今年86歳になられると私は記憶させて頂いている。
 今後益々お元気にご活躍され、来年以降の年賀状にも「一筆直筆」文書を無理の無い範囲で頂戴出来る事を、楽しみにお待ちさせて頂きたく存じます!

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