原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何処までも議論にならない「日本学術会議」に対する菅政権の態度

2020年12月12日 | 時事論評
 昨日12月11日、表題の件に関して自民党プロジェクトチーム(PT)は「学術会議」を政府から独立した法人格への組織変更を求める提言を、科学技術担当相へ提出した。


 本エッセイ集に於いて、私はしばらくこの案件から離れていたが。

 この自民党PT提言の文言のみを鵜呑みにするならば。
 自民党政権の思索通り「学術会議」を政府から独立した法人格へ組織変更することが「学術会議」側も自由度が増し、政府の“御用機関”と成り下がる事態を回避出来るのか??
 
 (実際この原左都子ですら、当初そのように誤解していた。)


 ところがこの自民党の提言、とんでもない内容なのだ!
 敢えて、国民の誤解を誘発する事態を狙っているとも思える提言である。


 昨日2020.12.11付朝日新聞「社説」がこの自民党PTの提言に関し、「学術会議改革 任命拒否の撤回が先だ」と題しバッシングしている。
 その内容を要約して以下に引用しよう。

 意に添わぬ人物や組織があれば力でねじ伏せる。 黒を白と言いくるめ、異論には耳を貸さない。 前政権から引き継ぐ菅政権の強権体質があらわだ。
 自民党PTが日本学術会議のあり方に関する提言案をまとめた。 「国の特別な機関」という位置づけを見直し新組織として再出発するのが望ましい、としている。 ごまかしに満ちた文書だ。
 提言案は「学術会議が政治から独立であるべきは当然だ」と書く一方で。
 首相が会員候補6人の任命を拒否しその理由も明らかにしないこの状況下では、政権と歩調を合わせよ、忖度せよと強要しているに等しい。
 さらに提言案は、政府の財政支援を縮小・廃止する方向を打ち出している。 代わりに当の政府や民間からその都度委託費を払ってもらうなどして活動を維持すればよいと書くが、それで学問・研究の命である独立性や客観性を担保できるか。 その懸念への考察は一切無い。
 自民党PTが実質1ヶ月余の間に十数人から聞き取りをしただけで、組織の抜本的見直しに踏み込んだのは乱暴極まりない。
 科学が戦争に利用された反省を踏まえ、研究者の社会的責任を確認するいわば倫理指針だったはずの「学術会議」の存在。 だが、政府自民党は反発した。
 菅首相が本当に学術会議のあり方を議論したいのであれば、歴代の政府見解を踏みにじって強行した任命拒否を撤回し、その上で政府として如何なる問題意識を持っているのかを社会に率直に提起するべきだ。 それをしないまま、「総合的、俯瞰的に判断した」「既得権益、前例主義を打破したい」といった趣旨不明の発言を繰り返しても、人々を納得を得ることはできない。

 (以上、昨日の朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)



 最後に、原左都子の私見に入ろう。

 ここのところ、「日本学術会議」現会長・梶田隆章氏を報道で見かけることはない。
 未だ現役の東大教授であられる「ノーベル物理学賞受賞」梶田隆章氏が本来の生業である“ニュートリノ研究”及び、後進の学生達の指導に当たっておられると信じたい。
 
 まったくもって、菅首相による今回の「学術会議任命拒否問題」は“科学に対する政治からの冒涜”でしかあり得ないと、私は以前より今に至って腹立たしく思っている。😡 
 
 やっとこさ、菅政権がこの問題に対して前向きに対応せんと志したのかと騙されそうになったが。

 その実態とは、あくまでも「学術会議に関する15年報告書」の結論である“科学的な見地から政策を分析し、批判的なものの含めて見解を出す」との過去の決定事項を覆し。

 菅政権は、一体何を目指したいのか……
 携帯料金を下げ、国民(特に高齢者)の介護保険料負担を増額し。
 そんなことを主たる政策として実行したかったがために、70歳を過ぎてまで安倍氏の後任として首相の席を死守したのか??
 
 何だか我が視線には、菅首相の“生き様”が哀れにすら映るのだが…
 

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