原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

しばらく執筆をお休みします

2007年11月08日 | お知らせ
いつも当ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

プライベート上の事情により、しばらく執筆をお休みします。 
 
来週半ば頃の復活をめざしたく考えておりますが、現在のところ未定です。

バックナンバーをお読みいただき、コメントを頂戴できましたら幸いです。コメントにはご返答申し上げます。

その間も、皆様のブログへは立ち寄らせていただきたく存じます。

 

               2007年11月8日

                       原左都子 


  *筆者のおすすめ記事*

教育・学校カテゴリー 「横並び教育の所産」

「ブログ意見集:社会アーカイブ」の“ひきこもり/ニート/フリーターの将来”の項目で、いったいどこのどなたが投票して下さっているのか不明ですが、当記事が現在投票トップを独走中です。」

教育・学校カテゴリーは、筆者が真面目にオピニオンを述べておりますので是非ご覧下さい。 
 
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1910フルーツガムカンパニー

2007年11月04日 | 音楽
 今回の記事のタイトルを見てこれが何だかお分かりになる方がいるならば、おそらく半世紀以上生きていらっしゃる方だと思う。 正解は、1960年代後半頃大ヒットしたソフトロックバンドのアーチスト名である。代表曲は“サイモンセッズ”だ。
 その頃私は中学生であったが、とにかく音楽好きだった。日本のグループサウンズも大ブームの時代であるが、当時は洋楽を聴くことは(少なくとも私が住んでいた田舎では)まだ一般的ではなく、洋楽通であることがひとつのステイタスでもあった。音楽媒体といえばレコードしかない時代で、まだ中学生の私はレコードには手が届かず、専らラジオの音楽番組から洋楽情報を入手していた。
 当時の数あるアーチストの中で、なぜ「1910フルーツガムカンパニー」を表題に掲げたかと言うと、後年になって当時のアーチストのカセットテープやCDを探しては入手しているのだが、どうしても「1910フルーツガムカンパニー」だけはどこを探しても見つからないのだ。いつまでたっても当時自分でラジオから録音した音の悪いテープでしか聴けない。手に入らないもの程、欲しい思いを募られるものだ。半年程前にネットで検索しようとした時も、どう検索しても「項目が見つかりません」とのメッセージしか出ない。やっと今回この記事を書くために先程検索してみたら、検索できた!! 早速注文しよう!
 私が洋楽に入門したのは小学校高学年の頃だ。姉の影響があったお陰で周りよりずっと早い入門である。ビートルズ全盛期の頃で、もちろんビートルズもその後解散するまで大ファンだった。解散したときのショックといえば、それはもう全世界が激震したものだ。ビートルズはほとんど全曲歌詞を憶えていて今でも歌える。
 小中学生の頃「ビートルズ」よりもっと好きだったのは「モンキーズ」と表題の「1910フルーツガムカンパニー」だ。両者の特徴はボーカル(男)の声がとにかく可愛くてセクシーなことである。その頃、大人になりかけていた私の少女心を大いにくすぐられたものだ。モンキーズといえばボーカルはデイビー・ジョーンズだ。声が可愛いけりゃ、顔も可愛い。数多いモンキーズの名曲の中でも私の一番のお気に入りは“デイドリーム・ビリーバー”である。この曲はカバー曲らしいが、デイビー・ジョーンズの可愛いセクシーボイスが一番映えている曲だと私は感じる。この“デイドリームビリーバー”は日本ではジャニーズ事務所の「フォーリーブス」がカバーした。私は「フォーリーブス」の大ファンでもあったのだが、ボーカルの青山孝の声がこれまた可愛くてセクシーなのである。ジャニーズ事務所からはその後どんどん若手グループがデビューしているが、青山孝のようなタイプのボーカルは未だかって私は見たことがない。
 さて、「1910フルーツガムカンパニー」の日本でのヒット曲は上記の“サイモンセッズ”と“トレイン”である。もちろん2曲とも大好きであるが、私の一番のお気に入りは“I think I love you”だ。やはりボーカルの声の特徴が一番出ている曲だと思う。ラジオから聞くだけで歌詞カードもないのだが、聞き取りで歌詞を憶えたものだ。“This morning I wake up with this feeling …”やはり、今でも憶えている。
 では、私の記憶と当時ラジオから録音したテープを頼りに1960年代後半に活躍していたアーチストとその曲名をランダムにあげてみよう。「エジソンライトハウス」もソフトロックグループで“恋の炎”がヒット曲だ。「ビージーズ」は70年代後半に大方向転換してディスコサウンドで大ヒットしたが、60年代後半頃のラブソングもいい。“マサチューセッツ”“メロディフェア”“若葉の頃”などヒット曲が盛沢山だ。「メリー・ホプキン」の“悲しき天使”はロングヒットだった。「シカゴ」の“長い夜”、「ダイアナ・ロス&シュープリームス」の“ラブ・チャイルド”、「スティービー・ワンダー」の“迷信”…、まだまだたくさんあるのだが、あれから40年が経過しアーチスト名と曲名との記憶が一致しないものが多いため、今回はここまでにしよう。
   
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税理士受験奮闘記

2007年11月01日 | 自己実現
 私は4年前から税理士試験にチャレンジしている。とは言え、現在中だるみ状態の軟弱受験者で今年は受験を断念した。(参考のため、税理士試験は毎年1回のみ8月に実施される。)
 なぜ私が税理士試験受験を志したかと言うと、高齢のため自分が納得できる再就職先もなく(当ブログ「就職活動悪戦記」参照)、その頃我が家では不動産売買に伴う確定申告書の作成を毎年私が担当していたこともあり、いっそ税理士にでもなろうかと軽く考えたのがそもそものきっかけである。 加えて、私は経営法学修士を取得しているため、税理士試験全5科目のうちなんと税法3科目が受験免除なのである。(既に3年前に免除申請を通過している。)すなわち、私はあと会計2科目に合格すれば税理士になれる訳である。(正確には2年間の実務研修も免許取得の条件であるが。)法的にこんなに優遇してもらって5科目受験者には本当に申し訳ない思いであるが、修士取得も並大抵の努力ではなかったし、税法3科目受験免除申請のための修士論文まとめ直しも大変な作業だったので、ご容赦願うことにしよう。(だが税理士実務界では、科目免除合格者は使い物にならないというのが定説であるようだ。わかる気がする…、私もきっと使い物にならない…) 数年前税理士法が改正され、現在では修士取得者の受験免除科目は減らされて5科目受験者との格差は縮まっている。
 という訳で、現在私は会計2科目(簿記論、財務諸表論)受験中なのだが、軟弱受験者である私はその2科目受験にさえ難儀しているふがいない有様である。 平成18年商法大規模改正に伴い本年(平成19年)度から税理士試験内容もこの改正に合わせ大幅に変更されることとなり、受験者は学習の大幅なやり直しを余儀なくされることとなった。軟弱な私はこの商法改正項目の網羅が本試験までに間に合わず今年の受験を断念せざるを得なかったのある。 これだけ社会が混沌とし、そんな社会に対応するべくめまぐるしく法改正がなされる中、税理士試験に限らず資格試験の内容も自ずと変容していき、資格試験受験者はその対策に苦慮するはめとなる訳である。(一発合格すればよいのだが、なかなかそうもいかず…)
 受験してみればわかるのだが、税理士試験とはまるで格闘技のようだ。例えば、財務諸表論の場合、2時間の試験時間で問題用紙がA4約8枚、解答用紙がB4約5枚ある。問題に目を通すだけでも大変なのに、例えば理論問題の場合解答は記述式でB4用紙2枚を埋め尽くさなければならない。しかも、鉛筆禁止のため書き直しが出来ない。計算問題は実際に財務諸表を作成するのだが、これまたB4用紙3、4枚を埋め尽くす作業である。高齢の私など2時間で精根尽き果てる。その分、やり遂げた爽快感も大きいが。(合格すると尚達成感があるのだが、残念ながら未だ合格通知は手にしていない……)
 現在受験勉強中の簿記論、財務諸表論のうち、元々理論派の私は財務諸表論の理論の学習が一番感情移入しやすい。(実際の試験ではなかなか点数は取れないが…) 時代の変遷と共に会計観もどんどん移り行く。債権者保護のために企業の担保能力の算定を重視した財産計算中心の静態論の時代から、投資家保護のため企業の収益力を表示する損益計算重視の動態論の時代を経て、現在は投資家への情報提供として企業の経済的資源の状態を表示する資産負債アプローチの時代に突入している。それに伴い利益概念が大きく様変わりした。(などと3か月ぶりに復習してみると、勉強していた頃がなんだが懐かしいなあ~)

 本年度税理士受験断念以降、受験勉強をすっかり棚に上げて9月にブログなどを開設してしまった私だが、さて来年度受験はどうしたものか。会計2科目はやはり合格しておきたい。受験する気なら早めに気持ちの切り替えをするべきである。そろそろ方向性を定める時だが…。
 
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